#63 絶体絶命
悪魔の大剣と私の術式がぶつかるたびに、火花が散る。至近距離で顔を合わせ、悪魔の紅玉のような瞳と向き合いながら、思いをぶつける。
「悪魔、あの子達を解放しろ!」
「解放? 解放して私に何の利益があるというのでしょう。何も得られない契約なんてしませんよ。自分が何もかもを失っても、誰も助けてくれないんですから……貴方を殺してから、他の人間もいたぶって、殺して楽しませてもらいます」
「楽しむだと……? 何度も言っているはずだ、あの子達を苦しめる理由はどこにもないと!!」
「ええ、貴方達にとってはどこにもないでしょう。でも、私にはあります。私が味わった悲しみや苦しみ、怒りや嘆き、憎しみと恨みを叩きつける相手が欲しい。誰も理解してくれない負の感情を暴力を使って理解させたい……それが、理由です」
「ふざけるな……そんな理由で、私以外の人間まで手にかけるというのか? 暴力を使っても誰も理解するわけがない。誰もお前の苦労を知って同情してくれる訳でもない。お前を恨むだけだ」
「ふふっ……貴方はそういうと思いましたよ。これだけ手を尽くして貴方を愛しても、躊躇なく私を裏切るような人間ですから」
両者の均衡が悪魔のひと押しによって崩され、無力な私を嘲笑うように悪魔の連続した攻撃が私の体力を奪っていく。細剣で対抗しようにも、隙がまるでない。極細の光に全身が焼かれ、痺れるような痛みが全身を駆け抜ける。
焼かれた痕から鮮血がじゅくじゅくと染み出し、肉が焦げる臭いが私の鼻を刺す。だが、私はこういう罰は孤児院で散々受けてきたため、たいした衝撃にはならなかった。
喉の奥から迫り出してくる血の塊を吐き出し、どうにか立ち上がってから悪魔の懐へと切り込む。しかし、まるで当たらない。影と戦っているような感覚だ。
風を裂く音だけが空しく鳴り、高速で繰り出される私の攻撃を難なく躱し続ける悪魔の哄笑と重なる。
「あははは……その程度の力で私を殺そうとするとは……私は貴方と契約する前にも膨大な魔力を吸っています。だから、人間如きに敵うわけがない」
「それでも私は貴様を倒す!! 倒して、皆を助ける……私のために、彼らは集まってくれたんだ。今更切り捨てられるものか」
「ふふっ……無駄だと言っているでしょう? 私は貴方のことを全て理解している。でも、貴方は私のことを何も知らない。どうせ切り捨てられるだけの私の事なんて何も知らない!! 勝ち目なんてない……最初から、貴方が敗れる事は分かっている」
悪魔は吐き捨てるようにそう言うと、宙に浮かせた大剣で私の細剣を力任せに薙ぎ払う。私はその力に振り回され、床に思いっきり叩きつけられる。
「そんな事はない……まだ、私は諦めていない。貴様を倒し、裁判を受けて自分が犯した数々の罪を償う。それが私がやるべきこと……いや、しなければならないことだ!!」
「貴方に勝ち目はない。貴方の力は私が与えたものでしょう? 貴方を弄ぶために、私が供給しているだけ。遊びはいつ止めてもいいんですよ?」
「なら、今すぐ止めろ。貴様の遊びに付き合うつもりはない」
「……戦いなんてしなくても、貴方を無力化するのは簡単なこと。もう戯れにも飽きてきましたし、それが貴方の望みだというのなら叶えてあげましょう。自分の実力すらもわからない愚かな人間風情が、よくそこまで吠える事ができますね?」
悪魔が僅かに口を動かすと、床に生成された血溜まりから大量にいばらが伸び上がり、私を絡めとっていく。逃げようとしても無駄だ。強烈な負荷が加えられ、指一本動かす事すら許されない。
いばら達はまるで生き物のように傷から溢れる血を呑み込み、悪魔に渡していく。
「まだ……まだだ……私は戦え……がはっ……」
「ああ、可哀想に。さっきまでの威勢はどうしたんです? 全身から豊富な血をたっぷりと私に捧げてくれるなんて……これでさらなる力を手に……あはははは……!」
いばらに締め上げられ、全身から膨大な量の魔力が奪い取られていくのを感じる。抵抗しようと思っても力が入らない。術式を唱えるために口を開こうとするが、それすらも不可能になる。
「ッ……悪魔……やめろ……」
「苦しいでしょう? 痛いでしょう? それが私が受けた屈辱です。私は貴方のために願いを叶えてきた。それなのに、貴方は裏切った……だから、最期ぐらい味わってください。絶望と、憎しみの叫びを」
床に転がった大剣を無数の槍に変えて、悪魔は私の全身を容赦なく貫く。そして引き抜き、再び突き刺す。槍が抜かれるたびに私の体から鮮血が舞い散り、紅の絨毯に黒い染みをいくつも作る。
――ここで、全て終わるのか。
今私がここで倒れてしまえば、悪魔は手を緩める事なくレムナントやアルト達を殺すだろう。そして何もかも失い、自暴自棄になり、街の人をも皆殺しにしていくことだろう。
そんなことは絶対に許してはいけない。私以外の積みなき人々を殺すわけにはいかない。だが、どうすればいいのだろう。今では、術式も唱えることもできない。仲間も全員眠ったままだ。
このままでは全てが闇に包まれてしまう。そんなことはわかっているのに、自分は何もできない。打つ手がないのだ。歯を噛む事しかできない私に、悪魔は冷ややかな視線を浴びせる。
「あは……もうすぐ貴方ともお別れですね。十分楽しませてもらいましたが、何も言わない人形に興味はありません。私が興味を向けるとしたら、貴方が息絶えた後の肉体をいじることでしょうか……では、最後の仕上げといきましょう。これで何もかもお終いです」
残酷な言葉を並べ、悪魔は僅かに唇を引く。悪魔の顔には一切の感情が含まれていない。喜びも悲しみも、もうあの怪物には残っていないのだろう。
少しだけ悪魔は顔を歪ませたが、すぐに元の無表情へと戻る。そしてそのまま翼を使って空へと舞い上がり、深紅の瞳を細めて真っ直ぐに私を捉える。
月の光を背に受けながらこちらを静かに睥睨する悪魔は、まさしく魔王と呼ぶにふさわしかった。
「さようなら、私を愛してくれた人。さようなら、私の期待を余すことなく裏切った人」
悪魔の手から槍が離れ、地面に這いつくばる事しかできない私の胴体を目掛けて轟音を立てながら一直線に向かってくる。
呆然と宙を眺め続ける私の視界を、闇が塗りつぶし、致死の刃が喉元に迫ったとき――。
「スーちゃん! 助けに来たわよ!!」
幾本もの光が大槍と激突し、轟音を響かせながら私の目の前で炸裂した。




