#58 最終決戦
体になだれ込む膨大な量の魔力に酔いながら、私は放心状態の人間たちを俯瞰する。上から愚かな獣を見下ろすのは、気持ちがいい。
仲間だったはずのレムナントにさえ、私は敵だと見なされている。敵なら抹殺するほかない。それが悪魔に命令された事だから。
私は長剣を握り、一歩一歩と距離を詰める。その足取りは、なぜか重かった。息も苦しい。
自分はどうしてこんなに苦しんでいるのだろう。何も考えずに、ただこの刃で敵を貫けばいい。それだけなのに……
「兄さん……どうして!? 悪魔の言う事なんて聞いちゃダメだって言ったじゃないか!!」
「……黙れ」
ああ、煩い。悪魔は、私を愛してくれる。こんな敵意に満ちた目で見られても、私は絶望に身を委ねたのだ。私は化け物になったのだ。
感情も捨てた。全部奪われた。誰かに殺されるまで、私は狂い続ける。それでいい。
助けてほしい。救ってほしい。そんな望みも、砕いて。私は唇を噛み締め、剣を大理石の床に突き刺し、薔薇の棘を周囲に生成する。
それによって跳ね飛ばされた敵達が、軽々と宙に舞う。血が床に飛び散り、黒く輝く床に赤い染みを垂らしていく。
「キース様!! おやめ下さい!!」
「兄様!!」
「スィエル兄さん!!」
数々の雑音が、私の耳を刺す。酷い頭痛に襲われながら、私は彼らの体をさらに刺していく。いばら達が暴れまわり、鞭のようにしなりながら何度も何度も敵を叩き続ける。
ここにいるのは、抜け殻だ。だから、呼ばないで。もう、求めないで。化け物になった私を――早く、殺して。
「あは……あははははっ……救う? 元に戻れ? 手遅れだと言っただろう? 無様に死にたいなら歓迎するよ……もっと藻掻いて、私のために愚かに果ててくれるなら……」
私は、何を言っているのだろう。こんな事、思っていないのに。私も救われたいのに。光がやっとこの城にさそうとしているのに。それを潰したいと願う自分がいる。
震えながら、立ち上がる少年。その名前すら、私の記憶から奪われてしまった。もう、何も思い出せない。血を吐き、むせながらも何とか言葉を紡ぐ。
「兄さん……僕、信じてる。兄さんはそんなこと言わないって。だから、だから目を覚まして」
その目尻には、涙が浮かんでいた。透明な雫が頬から滑り落ちる。だが、それでも私の凝り固まった心は動かない。
「……貴様らに何がわかる。奪って、もっと強い力を手に入れる。私の望みはそれだけだ。誰かに認められることでも、愛されることでもない。暴力的な力を手に入れて全てを叩き潰す。それが、私の望み……」
夢も、希望も、悪魔に全てやった。思い残すことはもうない。引き裂かれそうな胸の中の感情も、きっと偽りだ。頬を伝う涙も、贋物だ。
自分を裏切って、めちゃくちゃにして――。冷酷非道な殺戮者になって。そして、また幸せを手に入れるのだ。自分を騙して、悪魔に従って……全てを犠牲に捧げるのだ。
「兄さん!!」
薔薇の呪縛から開放された少年達が、私の元へと駆け寄ってくる。だが、私はそれを許さない。
「煩い……煩い、煩い!!」
私は叫び、怒り狂う。人数は、明らかに向こうのほうが多い。実力差も分かっている。しかし、止めることは許されない。あの悪魔が笑いかけてくる。私に命令してくる。殺せ、殺せと呪ってくる。
私は紫髪の白衣の男を狙い、羽根を使って宙に舞い上がる。そして、急降下。空気がビリビリと震えるほどの猛烈なスピードで襲いかかったものの、彼の反応速度は凄まじかった。
銀色の光がちかりと瞬いたと思うと、私の頬から鮮血がダラダラとこぼれだす。手に握られている小さな刃には、赤黒い液体が塗られていた。一瞬で懐から取り出して、私の頬を切り裂いたのだろう。
「随分と悪魔に気に入られたようですね……平等を重んじる私としては、イレギュラーな因子は気に入りませんよ」
「貴様の事情など知ったことか」
「医者であろうと、一応戦場を生き延びるにはある程度の戦闘経験は必要ですからね……貴方のことは、重度の病人と診ましたので。手術させてもらいます」
「……笑わせてくれる」
「その余裕、いつまで持つでしょうか?」
どういう意味だ、と問いただす暇は与えられずに猛烈なラッシュが繰り出される。細剣のままならばその全ての攻撃を正確に突き返す事が出来ただろうが、今私が持っているのは長剣だ。とてもそんなスピードは出せない。
「――アドレビトクェ・オプリスク」
後ろに大きく跳躍した私は炎の壁を作り出し、防御に徹する。流石に白衣に炎が燃え移るのは避けたいのか、青年も刃を回収し、私との距離を取る。
「厄介ですね……」
「兄さん……悪魔にまだ囚われたままなの……どうすれば……」
「どうする必要もない。貴様らは邪魔だ」
私は防御を解除し、再び攻撃に転じる。集団で固まっている中にあえて飛び込み、大きく振り回すと、胴体を切り裂かれた人間たちが吹き飛ばされる。
「マスター……僕です。ヴァーゲです!! 貴方の仲間です……だから、どうかこの攻撃をやめてください……」
「私に指図をするな……命令は悪魔からだけでいい」
「ぐぅっ……話を聞いてくださ……がはっ……」
ああ、苦しい。刃が振るわれる度に、血を散らしながら壊れていく小さな体。かつて城で笑いあったはずの仲間達を、私は殺そうとしている。
「キース様……お願いです。貴方の望みはこんなことではないはず……」
柱に打ち付けられ、がれきの中でうなだれる少年の前に立ち、逆手に剣を構える。酷い傷を負っているはずなのに彼は自分よりも私の心配をしているのだ。
守りたかったはずなのに。守ってあげようと思ったはずなのに。こんなに邪悪な力を手に入れたところで、孤児院で喪ったあの十人の贖罪になるはずなどないのに。
かぶりを振って、剣を降ろそうとした私の手に、闇がまとわりつく。力を入れて抵抗しようとするが、徐々に剣先は少年の方に向かれていく。
「さぁ……こんなものではないでしょう? 貴方の敵はいっぱいいます。全て殺すまで終わりませんよ……邪魔な人間はこの城には要らない。頑張れば、幸せはいくらでも差し上げます」
悪魔が、私に笑いかけてくる。私はその笑みに逆らえない。傷だらけの首につけられた首輪が私を締め上げ、痺れるような痛みによって逆らいたいという気持ちが消え失せてしまう。
「ああ……ぐあああぁぁ!!」
もう、何も要らない。こんな地獄を終わらせたい。歯を食いしばり、私は頭を回す。考えろ、考えろ。この悪魔から逃れる方法を――。




