#53 最果ての孤城
「兄さーん! ご飯の準備が出来たよー!」
荒野にずっといても暇なので、ヴェリテは先に城に帰らせてもらっていたのだ。城から出て市街地で暴れたい気持ちは勿論あったが、スィエルにこっぴどく叱られるので我慢していた。
そんな彼は、スィエルの自室の前で扉の向こう側に向かって何度も呼びかけていたのだが、いつまでたっても反応がない。
「……あれ? 兄さん寝てるのかな? 兄さん! ごはんできたよ。食べよう!」
取っ手を引っ張っても、鍵がかかっていて開かない。扉の前で首をかしげていると、同じ姿の子供達がわらわらと集まってきた。皆、スィエルが自室から出てこないので不安になったらしい。
「どうしたのかなぁ。今までこんな事なかったのに……」
「キース様もお疲れなのでしょうか……最近、ワインを飲まれていないようですし」
「うーん、そうだね。兄さんにダメって言われているけれど、戦って血を奪って、美味しいワインをいっぱい飲んだほうが元気になる気がするんだよね。先に食べておく?」
「それ、スィエル兄さんに申し訳ない……かな。私達だけがお腹いっぱいになって、スィエル兄さんはペコペコって……」
「だよねぇ……どうしよう?」
レムナント全員でああでもない、こうでもないと話していた、その時だ。
「があああっ!!」
苦悶に満ちた絶叫が、扉の向こう側から聞こえてきた。
「兄さん!?」
間違いない。兄さんの身に、何かが起きている。それも、とても良くないことが。焦って何度も扉を引くが、全く歯が立たない。
「ど……どうしよう! このままじゃ、兄さんが危ないよ」
「俺に任せろ! 早くどいてくれ、ヴェリテ。そうじゃなきゃお前までも巻き込んじまう」
赤髪の少年、フラムが前に進み出て、背に吊っている鞘から、深紅の長剣を引き抜く。
足までに火に包まれ、赤髪は燃え上がる炎のように激しく立っている。強く踏み込み、跳躍。あらん限りの力をかき集めて、向かっているのがわかる。
「――ブレイブ・フォニア!」
ガギィィン!!と激しい衝撃音と、火花がパッと散る。しかし、扉は微動だにしない。しかも、扉の向こう側から感じられる魔力が、急激に強くなった。
「チッ……どうなってやがんだ……これでもまだ足りねぇのかよ……」
ガクリと膝をつくフラムに、ヴァーゲが治癒術式を唱えて治してやる。大分魔力を使ってしまったらしく、回復には時間がかかりそうだ。
「ヴェリテ、この奥で起こっていることですが……恐らく、悪魔が関係しています」
「イデア、どうして分かるの?」
「この城に、高密度の魔法壁が張られているんです。こんな事が出来るのは、スィエルぐらいのもの。しかし、あの苦しそうな声からして、本人が張ったものではないでしょう」
「だから、悪魔が……って事だね。でも、何か策はあるんでしょ? じゃないと兄さんはずっと苦しい思いをしなきゃいけなくなっちゃう」
「ええ、でも……私達、レムナントではどうすることも出来ません。何故なら、悪魔が嫌うのは人間の善意だから。人間と協力して、救うしか方法はありません」
「人間と……協力……」
人間と協力する、なんて前までは考えられなかった。兄さんはいつも、復讐について話すだけだったし、封印が解けてからもずっと復讐を誓い続けていた。でも、兄さんは変わろうとしている。
兄さんは、よく笑うようになった。色々な感情というものを、みせてくれた。レムナント達には分からないけれど、きっとそれは温かくて、大事なものなんだろう。
元のように戻ってくれるなら、人間と協力するのも、苦ではない。
「兄さんを、助けよう」
* ◇ *
ヴェリテ達が城で異変を感じとったのと同じ頃――。セーツェン南部、クラティオ病院ではスィエル・キースの失踪に関して話がされていた。
「参ったな。市街での目撃例もないのか」
「ああ、全く確認されていないそうだ。元々深夜だから、というのもあるだろうが……これしか残されていなかった。ディニタス、あれを」
「ええ。レグルス・ベルガ公爵。このようなものが病室には残されていたんです。他には全てがなくなっていましたが……」
「深紅の宝石……か。復讐の初め頃を思い出すな。全ての民に放送を飛ばすとは頭を抱えたものだが、今日の処刑は見送りだな……ん? これはなんだ?」
よく見ると、結晶に術式が彫られているらしい。アルトが彫られたとおりの術式を詠唱すると、結晶が不気味に輝き始めた。
「な……なんだ!?」
「聞こえるか……誰でもいい。誰でもいいから私を助けてくれ。もう、時間がない……私の全てが壊れようとしている……」
「スィエル……一体何が起こっているんだ」
「ああ……があああっ!!」
激しく咳き込む音。不快な不協和音。その他にも、色々な音が結晶から溢れ出す。段々とヒドいノイズも混じっていき、スィエルの声がかき消されていく。
――何者かに、襲われている。
そう、アルトは思った。しかし、何に襲われているのか。街を壊滅させ、圧倒的な力で歯向かうもの全てをねじ伏せた彼に敵うものが一体どこに……
「ふわあぁ……アルトさん、そんなに難しい顔してどうしたの?」
「お嬢さんが渡してくれた結晶だけど、スィエルの声が入っていたんだ。なあ、何か彼について知っていることはないか?」
「うーん。スィエルについてかぁ。あんまり知っていることはないけど、前にスィエルによく似た子が来たときに、悪魔に怒られちゃうから私に会いたくても会えないって言ってたような……」
「悪魔……リーベも言ってたな。スィエルには悪魔が取り憑いていると。そいつが原因なのか?」
「そうだろうね。悪魔から命令されて殺戮を行っていたそうだよ……黒幕が彼ではなかったとは驚いたけれど」
ディニタスが出したメモには、会話で得た情報がぎっしりと詰め込まれていた。その中の一つの情報に、アルトの目は釘付けになった。
「おい。これはどういう事だ? 先生よ」
「ああ、それか。悪魔の弱点は、人間の善意なんだそうだ。悪意ばかりを食らって栄養分にしている……と」
「よくそんな情報が手に入ったな。悪魔の監視はなかったのか?」
「さぁ……私もそこに関しては。でも、それで彼を連れ戻せるなら役に立つ情報でしょう?」
「そうだな。だがしかし……一つ問題がある。彼の居場所が分からないと話にならない」
結晶の中には、肝心の情報が残されていなかったのだ。これでは助けを呼ばれても動くことが出来ない。
「それなら、僕たちが案内するよ」
「君たちは確か――」
「この前は、ごめんなさい。でも、兄さんのために何かしてあげたかった。僕たちを、兄さんはずっと可愛がってくれたから」
「キース様は、悪魔に襲われました。あの方は、決めたことを滅多に曲げません。処刑も仕方がないと受け入れていたのでしょう……しかし、今はそんな事も考えられない状態です」
スィエルと同じ軍服を身にまとった二人の青年は、揃ってため息をつく。話を聞くと、状況は最悪に向かっていて、レムナント達の話は一切聞かないらしい。
ただ、血だけを追い求めており、部屋に入ることは出来ても冷たく追い返されるだけだと。残虐で冷酷な手段を好み、人間味はほとんど残っていない。何度呼びかけても、虚ろに笑うだけ……そんな人間を、救うことが出来るのか?
「迷惑だって分かってる。僕も、色々なものを壊した。めちゃくちゃにしちゃった。でも、これだけは本当の気持ち。兄さんを……助けてあげたいんだ」
「場所は、私達が案内します。三千年間、誰も訪れなかった孤城――エテルニテに。このままでは、街を壊滅させることも厭わないでしょう……どうか、力を貸してください」
夜想曲、それは氷雪の城で奏でられる想い。その音が絶えたとき、散った演者は再び集まり――最後の演目が始まる。
第4楽章、完結です。
次章の最終楽章で本作は終わりとなりますが、引き続き楽しんで頂けると幸いです!




