#49 鏡映しの二人
私が手にできなかった可能性。それを、私は赤目の子どもたちに託す。
「スィエルさん……」
この子供たちなりに、何かを察したのだろう。私の言葉がただのつぶやきによるものではなく、心からの願いであることを感じたのかもしれない。
私は子供達に微笑みかけてから、胸の中の奥深くにため込んだ言葉を、一気に吐き出すようにして語り続ける。
「夢を叶えるんだ。私は、とある場所で十人の赤目の子どもたちに先立たれている。だから、重いとは思うけれど……君たちには自由に世界に羽ばたいてほしい。夢をたくさん持って、立派に成長してほしいんだ」
あと、数日も経たないうちに私は何らかの罰を受けるだろう。殺されるか、よくても投獄されるかだ。その覚悟はとうに出来ている。
だが、やりきれなかったことを思うと、悔しさもあるような気がした。
「スィエルさあぁぁん……うわあぁぁん!!」
「頼む、君たちは私のようにはならないでくれ」
私の復讐は終わり、彼らには普通の生活が待っている。当たり前の生活を、ようやく送れるようになるのだ。
大声で泣き叫ぶ子どもたちをなだめ、私はディニタスの方を見やる。
「気が済んだかい?」
「……ああ、もう満足だ」
「そうか、それならよかったよ。君をここに連れてきた甲斐があったというものだ」
私は、ディニタスに礼を言い、共に天幕を後にする。見送ると言って私の腕をつかみ、鼻をすすりながら手を振ってくれた少年達のむせび声が、私の耳を捕らえて離さなかった。
* ◆ *
靄で自らの姿を隠しながら、赤目の人間との交流を見ていた私は、思わず歯噛みした。
どうして彼はあんな人間を許せるのだろう。傷つけられ、切り捨てられたのに、信じることが出来るのだろう。憎む心を忘れ、復讐をやめようとしているのだろう?
「貴方の穢れた心がなければ、私は生きられない」
悪魔である私は、どう頑張っても人間にはなれない。人間の姿に化けることはできても、完全に人間になることはできない。
人間より多い六本の指。伸びきり、丸く曲がった爪。背からはコウモリのような醜い翼が生えている。足は触手のようなものでできており、ぬめりとした光沢がてらてらと輝く。
自分の姿は、まだ彼には見せたことがない。自分でもこの姿が気持ち悪いと考えているからだ。本当の私を見せたら、スィエルはどう思うのだろうか。
「貴方だけが、私を欲してくれた。認め、愛してくれた」
なのに、どうして彼は人間を愛するのだろう? 私を捨てて、勝手に人間の元へと行こうとしているのだろう?
許せない。人間も、彼も。私を裏切るなど、許されない。三千年間のあの苦しみは何だったのか。
こんなに半端な復讐で、満足できるはずがない。泣きながら誓いを叫んだあの日を、私はずっと忘れない。
「悔しい、悔しい」
そう何度も彼は言っていたではないか。唇をかみながら、共に願いが叶う日を待ち望んでいたはずなのに。
それなのに、彼はいつの間にか遠くに行ってしまった。人間達と関わり、心を通わせる事で仲良くなってしまった。
人間の善意は、私の毒だ。
だから、最近は体力の消耗が激しい。あの戦場で得た血液もずいぶん飲み尽くしてしまった。
私はただ、それを黙ってみている訳にはいかない。もう、甘えは終わりだ。少し自由にさせただけで、彼はやすやすと赤目以外の人々までもを信用し、裁かれてもいいと戯言を言っている。
契約違反にもほどがある。だから、スィエルに強力な魔術をかけて、私への服従を約束させるのだ。
そして、前のように愛を求めあう関係に戻す。
人間の愛など要らない。私に愛されればそれでいい、と思えるように。
この街を再び恐怖に陥れて、私はあふれる悪意を余さず吸収する。
絶対的な支配で、彼を愛して縛り付ける。
人間に存在の全てを忘れ去られてしまう。それは、悪魔にとって――いや、我々魔族にとって、一番避けなければならないことだ。誰にも認識されない、と考えるとすさまじい恐怖が襲ってくる。
人間界の夕闇よりもなお濃く深い闇の中に埋もれてしまえば、「いるのにいない」という最悪な在り方になる。憑く人間がいないというのは、魔族の中では最大の恥なのだ。
憑かないというのは、魔族としての資格を放棄するようなものだからだ。
憑いて、人間に悪事を働かせて寄生しながら生きる。それでしか、人間たちに追い出された我々は生きていけない。
彼を手放したくない。大事にしたい。捨てられたくない。
あれほど冗談で「別の贄でもかまわない」と言っていたのに。自分の変わりように、何よりも私が驚いている。
「人間らしい、か」
長い、途方もなく長い年月を彼と共に生きてきた。彼の笑顔、怒った顔、泣き顔。癖、好きな事、特技……全部知っている。
きっと、私は彼に似てしまったのだ。外見だけでなく、中身までも。鏡映しのような存在である彼とは、これからも一緒にいたい。
「いつまでも……共に……」
ただ、それだけなのに。彼と共に暮らした時間が、今では尊い。こんな事になるとは、夢にも思わなかった。
「人間はいつでも変わらない。期待しても、裏切られるだけ。ただ……貴方の事だけは、信じていたかった。愚かにも、私は貴方の事を贄だとは思っていなかった」
誰にも届かぬ声を、私は虚しく叫び続ける。
「私も孤独だった。嫌われ、疎まれ、ずっと人間を憎み続けていた。そんな憎悪の塊でも、貴方は優しかった」
失うことが怖い。彼に嫌われることが怖い。
私は、彼にいいように見られたい。
「私を必要としてくれた貴方は……もういない」
頬を伝うこの雫は、何なのだろう。涙を流す機能は、私には備わっていないはずなのに。止めようと思っても、止まらない。
血の気のない青白い舌で、塩の利いた雫をなめる。……ああ、なんて苦くてまずいんだろう。
ずっと仕え続けてきたのに。夢を見せ続けてきたのに。彼を、幸せにし続けてきたはずなのに。
「……どうして貴方は私を裏切ることができるのでしょう?」
それは、純粋な疑問だった。
何度問うても、これだけは分からない。
――彼に裏切られた理由が、私は分からない。




