#47 在るべき場所に
「契約を……断つ……」
「ああ、そうすれば君は自由になれる。弱い自分を絶ちきり、全てやり直すんだ。今、赤目の人々の解放をアルトと領主が話している頃だろう。もうすぐだ……もうすぐ、自由は来る。だから……」
殺したくない。もう、自分はこんな事をしたくない。
逃げたい。やめたい。終わらせたい。
「私は、普通になりたい。自分の足で世界を見たい。でもそれをするには……私は罪を犯しすぎている。何人もの人の命を奪った。何人もの叫びを、嘆きを聞いてきた」
ディニタスは黙って私を見つめる。二つの紫紺の瞳が私を刺す。
海からの強い風に負けないように、私は声を少しだけ大きくして喋る。
「叶うなら、もう一度だけフィラレスに戻りたい。あの村ではやり残したことが多くあるから」
「そこに行けば君は満足するのかい」
「分からない。なんだかあの場所にもう一度戻りたくなったんだ。私は気づいていなかった。英雄なんてそんな大層なものじゃないと自分を否定していた」
でも、と私は続ける。
「あの短い間のなかで、私はきっと色々なことを得ていたんだ。子供達と一緒に過ごした事なんて今まで一度もなかった。誰かと過ごしたこともなくていつも一人だった……」
そんな私を、彼らは彼らなりに受け入れてくれていたのだ。それに、どうして今まで気づけないままだったのだろう。
「私が、自然に過ごせる場所だったんだ。彼らが受け入れてくれたから、期間が短くともこうして語れる」
「君は、ようやく得たんだね。長かったろう。辛かったろう。私の所には差別制度はない……だから、この苦しみは分からないけれど」
「しかるべき罰は受けるつもりだ。私が起こしたことには変わりないから。たとえ、どんな結末を迎えたとしても」
「じゃあ、最後に向かう場所になるかもしれないね」
「……そうかもな」
自分がどうなるかも分からないのに、なぜか自然に笑みがこぼれた。やっと自分で決めることができたからだろうか。
ディニタスがさっと右手をあげ、左手で口元を押さえて空気を切り裂くような鋭い音を発する。
「今のは?」
「まあ、少し待ってくれ。今こちらに向かっているはずだから」
言われるままにぼんやりと夜空を眺めて待つ。満天の星が空を彩り、月は申し訳なさそうに縮こまって輝いている。
波の音が、耳に心地よい。藍色の海は、何でも受け入れてくれそうなほど雄大だ。
「なあ、ディニタス」
「ん? 何だい?」
「この海の向こうには色々な人が住んでいるんだよな」
「ああ、そうだね。セーツェンとは全く違った人達がいるよ」
「じゃあ、なぜここでは……赤目の人達はずっと苦しむ必要があったんだろうか。彼らにはもっと他のところが……」
「鳥は、飛び方を知っている。彼らは困難から逃れる方法を知らなかった。その違いさ。赤目の人々は色々なものを奪われていた。知らなければ……鳥も飛べないよ」
その鳥に当たる人物が私だったということだろうか。飛び方を教えられた赤目の人々……それも、奪われてしまえば飛ぼうとは思わなくなる。
「君は足掻こうとした。そして、見事に変えてみせた。君がしたことは許されることではないが、そこは誇りに思っていい。罪も罰も受け入れる覚悟は持っているようだから」
迎えが来たよ、と空を指さすディニタス。
指された先に、銀の鱗を持った大きな竜が翼をはためかせて飛んでいるのが見えた。
「ナハト!」
「エル。わざわざありがとう。今日はあの荒野までこの子を連れて行ってくれないか」
エルと呼ばれた女性は頷いて、竜の顎から引かれている手綱を鳴らし、着陸態勢をとった。
「少し危ないから下がってて!」
女性の忠告を聞き、私とナハトは大きく後ろに飛ぶ。数秒の後に二人がいた場所に巨大な竜が砂煙を上げて着陸する。
「よしよし、ありがとう」
怖そうな見た目に反して、くるるっと鳴く姿は可愛らしい。女性は褒美の餌を竜の口に放り込んでから、私の方を見る。
ディニタスと同じ藤色の瞳がとても美しい。彼が美人だとたたえるのも納得だ。
「初めまして……まあ、一回会ってはいるんだけどね。エル・シウスです。あなたがスィエル・キースよね。重症だったから、ナハトが頑張って手当てしたのよ」
「エル……そこまで言わなくていいから」
「もうあなたはすぐにそうやって……でも、そんなところも可愛いわ」
私の目の前で、二人は構わずにキスをする。婚約者とは聞いていたが、ここまでとは。若干気まずくなり、目をそらす。しかし、彼はそれを見逃さなかった。
「ああ、スィエル。すまないね。……どうしたんだい? そんなに顔を赤くして」
「べ……別に……ただ羨ましいなと」
絶対分かって聞いているだろうと心の中でツッコミを入れる。こういうところは苦手だ。
「そういえば、この子を荒野に連れていってほしい……って言ってたわね。荒野ってこの前行ったフィラレスかしら」
「そうだ。私はそこにもう一度行きたくて……すまない、迷惑をかける」
「いいのよ、それよりナハトの方が無茶振りがひどいもの。いきなり今日はここに行きたいって言って戦場に向かう無計画さ! セーツェンもここまで長く滞在するとは思わなかったわ!」
故郷に帰ったらいっぱい服や美味しいものを食べに回らせるわとディニタスには痛い話が飛んだところで、私は鐙に足をかけて、竜の背中に乗っかる。
「飛ぶからしっかりと掴まっててね! 振り落とされると困るから!」
「ああ、分かっ……うおっ!!」
急に吹いてきた風に体勢を崩しながらも、なんとか立て直してから竜の胴に掴まる。
「加速するよ」
先程よりも更に強い風が吹き付ける。高度も大分上がっているようだ。眼下に見える街並みは小さくなり、私が言ったことの無い都市の灯りも見える。
「……凄い」
「だろう? 世界は広いんだ」
自慢げにディニタスが言うのも、今は気に入らなかった。私が憧れ続けた世界の全貌が分かるだけでも私にとっては大きな感動に繋がるものだった。
「なんて狭いことを考えていたんだろうな、私は」
ポツリと、そう呟く。孤児院の中で声をかけてくれた唯一の友人も同じ事を言っていたな、と今更ながら思い出す。
「君が見ていた世界は、案外ちっぽけなものなんだよ」
その言葉は、私の心に強く響いた。




