#42 一筋の光
空と大地が血の色に染まっていた。
吹き渡る風は嘆きと怨嗟。それ以外には何もない。
深紅の炎は未だに劇場の幕のように揺らめいている。私があれほど焦がれた愛も承認も、ここにはなかった。
「これが、全てを犠牲にして得たもの……」
骸の山。炭になった思い出の地。何もかもが崩壊した荒野。これが地獄でなくて何というのだろう。
私はこんなものを欲して、三千年間あの孤城で過ごしてきたわけではないのに。ただ、居場所がほしいだけ。虐げずに私を受け入れてほしかっただけ。それだけなのに。
私が今まで心をやつしてまで戦っていた意味は一体何だったのだろう。こんな光景を私は心の中で望んでいたのだろうか。
ザニアと一緒に入った銭湯も、リュヌやその仲間達と一緒に楽器を弾いて楽しんだ広場も、全て焼けてしまっていた。
「ザニア……そうだ、後方はどうなっているか確認しなければ……」
足に力が入らないが、よろめきながらもザニアと通信を図る。
「ザニア、そっちの状況はどうなっている」
「スーちゃん、大丈夫!? こっちにも火は飛んでいるけれど、あらかた片付けたわ。皆無事だし、大分離れた森に避難したけど、ここでも見えるぐらい大きな術式だったから……」
「……ありがとう、無事なら良かった。でも、街は随分焼けてしまったんだ。今でもまだ燃えているから消したいんだけど、もう力が……」
「分かったわ、私の方で水術を使って食い止める。だから安全な場所まで……」
プツン、とそこで通信が途切れる。魔力が限界値を下回り、発動の継続が不可能になったのだ。私は再度の接続を諦めてふらふらと歩を進める。
彷徨う亡霊。私は伝承にそうも描かれた。戦場を焼き、無辜の民達を殺し、狂ったように犠牲者を増やし続けた悪魔。
戦場に背を向けてどこかに姿を消す姿は、行く当てのない敗者なのだと。私は、同じ過ちを犯した。守るべきものに執着した結果、その周りに大量の喪失があることを見逃していた。
私は、やはり壊すしか能のない人間なのだろうか。腰に刺さった血まみれの細剣を鞘から引き抜く。漆黒の輝きが、私の憂いを帯びた表情を寂しく映す。
――これで、全て終わる。
私は剣を逆手に持ち替えて喉元に剣先をゆっくりと近づける。命を絶てば、罪は拭える。もうこんなに苦しまなくていい。三千年間の苦労が水の泡になるが、それでも――。
呼吸が荒くなる。怖い。死にたくない。愛も承認もまだ十分に貰っていない。願いは終わっていない。酷いめまいがする。立っていられない。自分で――死ぬこともできない。
「ああ……」
たまらず膝をつき、私の手から離れた細剣が砂の上に転がる。私は、弱い。人の命は奪えるのに、自分の命を無駄にすることを恐れている。
死ぬ勇気さえ、私にはない。だから、三千年間生き続けてきた。微かな希望に縋りながら幾つもの命を奪い、犠牲にしてきた。
愚か者だと笑ってほしい。
私をこの終わらない復讐から救ってほしい。
苦しい、と喘ぐ。助けて、と叫ぶ。
もう、傷つきたくない。一人になりたくない。
壊したくない。奪いたくない。殺したくない。
とめどない涙が、私の頬と血に染まった荒野をわずかに濡らす。
「せめて、手向けになれば……」
私は光を伴って現れたバイオリンを持ち、一曲を奏でる。城の中で毎日のようにこの曲を弾いていた。
血を奪った事への後悔。それでも生き続けねばならないという決意。それらを想いながら。
この曲は、楽器と共にケースに入っていた楽譜を覚えたものだ。孤児院の時は即興で弾いていたのでいつも違う曲で、でたらめに弾きがちだった。
楽譜を見つけたとき私は全く読めなかったが、城の大図書室で勉強をし、段々と弾けるようになっていったのだ。
心を震わせるような、哀愁を誘うそのメロディーは私を虜にした。誰が書いたかも分からないが、私のお気に入りの曲だ。
「綺麗な旋律ですね」
そう言われて、演奏を止めた私は後ろを振り返る。
黒のリボンでまとめられた藤色の髪。微風に揺れる白衣。手には白い手袋がはめられており、目の色も髪と同じ色に染まっている。
微笑をたたえてはいるが、その笑みには何か超然としたものがあるような――。
「貴様は……あの時の」
「貴方とは初対面ですが、察するに情報は持っているようですね。初めまして、私はナハト・ディニタスと言います」
ヴェリテとネージュ、サンドラと戦った何でも救うという医者。興味はあったが、障害にも味方にもなりそうではなかったのでそこまで意識はしていなかったのだが……
「なぜ、こんな所に来たんだ」
「怪我人の救助……というのは半分嘘ですね。貴方が術式を行使してから、私は軍の人々の治療を行っていたのですが、大体治せる範囲は治しましたし。私の考えにもそれ以上関わると反しそうだと思ったので」
それからの説明は私を驚かせた。
ヴェリテが熱線で焼かれそうになったあの竜兵は、ナハトの知り合いとその連れの竜であったこと。
軍の命令に従って一緒に作戦に参加したものの、交渉だといって「スィエル・キースに会わせるなら軍の負傷者を治療する」という条件まで持ち出して、驚かれながらもここまであの火の壁をくぐり抜けてやってきたのだということ。
そして、私の存在は結界を出たときから小耳に挟んでいたこと。セーツェンの近くで負傷兵を治療していたときにたまたま聞いたとは話したが、この人物のいうことにはいまいち信じられない部分があった。
全てにおいて、掴みにくいと感じたのだ。等しく平等であるために自分を隠している。そんな雰囲気が彼からは感じられた。
体に焦げはなく白衣にも汚れはなかったので、知り合いの竜で飛んできたのだろうが、私とは初対面なのにどうしてそこまで関わろうとするのかが理解が出来ない。
「……考え、か。それで、私には何の用なんだ」
「貴方に会いたい、という人がいるんです。その人の元に一緒に行きませんか」
「会いたい? まさか、この場で私を捕らえようとは考えていないだろうな」
私は下ろしていたバイオリンを光の粒子に変換し、同時に弓を細剣に変えた。少しでも、何かあったら対応できるようにするためだ。
「いえ、そんなつもりはありませんよ。ただ、どうしても動けない。でも会いたくてたまらないという少女が一人いまして。その子に貴方を会わせたいんです」
「……」
「無理に、とはいいません。ただ、貴方を少しでも癒したい。私は出来る限り多くの人を救いたいのです。平等には犠牲も伴う。私も、戦地でどれだけ泣いたか分かりません。だから、絶望に染まってしまった貴方の痛みは私は理解できる」
いつもなら、嘘だと遠ざける自分が現れる。
他人の手を取る事なんて考えられずに、自分で自分を責め、傷つき、そしてまた同じ事を繰り返す。
だが、私はあまりにも疲れていた。壊れていた。
誰かに、この苦しみを預けたかった。苦しみを理解してほしかった。
だから――。
「ディニタス……私を、連れていってくれ」
それは、私が二度目に口にした救済を願う言葉だった。
夜想曲、それは破滅を経て救いへと至るための導きの曲。
永遠の夜を奏で続けた孤独な青年へ、一筋の光が射した。




