#39 決戦へ
悪魔との話が終わった後、私は怪我人の手当てを行い、そのまま宿で一晩を過ごした。
珍しく悪魔が「今日の分の贄は要らない」と言ったので早々に宿で眠りについたのだ。
どうやら、深夜に奪った量が二日間の量を上回っていたのでということらしい。今までもそんな事はあったはずだが、どういう風の吹き回しだろうか。
そういうわけで、朝の目覚めは久し振りに気持ちがいいものだった。
戦闘に出るための準備をするべく私は早朝から剣のトレーニングをしていた。
ライアやアラネアと一緒に稽古を一通りこなし、もうそろそろ休憩しようかと思ったその時だった。
「……? 兄様、何か聞こえませんか?」
「確かに何か騒ぐ声はするな……上か」
逆光で見えにくいが、太陽の光に紛れて何やら黒い影がこちらに近づいてくるのが分かる。
凍術で生成したプリズムを目に当てると、私と同じ服装の少年が私を目がけて突っ込んできている様子がよく見えた。
「あれは……」
続けて雷術を詠唱し、遠隔通信の準備をする。
「おい、聞こえるかヴェリテ! 何をしているんだ」
「ぎゃー!! 兄さん助けておねがい僕着地苦手なのー!!」
パニックのあまり、足と手をジタバタさせているが、墜落中な事には変わりない。心なしか、舌も上手く回っていない。
ため息を一つついてから、幻惑術式の詠唱を始める。
「――フェルス・クレアチオ」
ぼすんといい音を立てて、私の身長を超えるほど大きなクッションが空中に現れる。
「怖いよおぉぉぉ!」
「そのクッションめがけて突っ込め。大丈夫だ……耐久性は保証してやる」
流星のように風を切りながら、クッションから綿が飛ぶほど勢いよく突っ込んだ彼は、暫くそのまま動かなかった。
巻き上がる砂埃が収まったのを見て私は彼の元に近づき、一発軽く蹴りを入れる。
「わぶっ……んぐ……んぬぬぬ……」
「いつまでクッションと戯れる気だ。さっさと起きろ」
クッションに深々とめり込んだヴェリテの首根っこを掴み、引っ張り上げる。
「ヴェリテ!」
「兄さん! わーい! やっと兄さんに会えた!」
「相変わらずお前は……絶対道草を食っただろう」
背負っている袋はパンパンに膨らみ、今にもはち切れそうだ。道中の気になるものを拾ってきたのだろう。役に立つものであればいいのだが……
「草は美味しくないから食べないよ?」
「全く……もういい……時間がないんだ。幸か不幸か、今から約半日後ぐらいにここに大軍が押し寄せるらしい」
ようやく事態の深刻さが分かってきたらしい。
目をぱちぱちさせ、彼は口を開く。
「え……僕の出番はある?」
「ある。先陣を切って軍に切り込んでくれ。遠距離攻撃が出来るのがザニアぐらいしかいないから、お前は逆に走って軍にその剣を叩き込みにいけ」
「分かったよ兄さん!」
敬礼のポーズを取り、大袈裟に大股に歩く。
「ライアとアラネアは子供達や老人、赤目の人々を全員村の外に逃がすように。ザニアには後で言うが、後方で弓の援護射撃を行ってもらう」
「いよいよ、ですわね」
「ああ。正直、どうなるか分からない。城の耐久度は一応残りのメンバーに任せているが、いい加減戻らないと最悪崩壊するからな……この戦闘が終わったらまた戻って、もう一度ここに来る予定だ」
「それがいいですわ」
「あと……私も無事ではないかもしれない。その時は頼む。私は全力で皆を守り抜く覚悟だから」
「兄さん……無理しないでね。僕、これが最後とか嫌だもん」
駆け寄ってくる少年を私は軽く抱擁する。
心配そうに私の顔を覗き込む彼の頭を、私は軽く何度か撫でた。
「ねえ、兄さん。辛くなったら頼っていいからね!」
「ああ、分かってる……でも、これだけは注意として言っておこう」
「なに?」
「私がいつものあのバイオリンを弾き始めたら、剣で斬るのを止めてすぐに戦線から退いてくれ。――最上位究極術式の行使をするから」
その瞬間、ヴェリテの顔が驚きと悲しみに歪むのが見えた。彼の手が私の手首を強く掴む。
「最上位究極術式って……ダメだよ! 兄さん、それは禁忌中の禁忌っていってたじゃないか!」
「そうだ。でも、これしかないんだ。さっきも言っただろう? 自分の身さえどうなるか分からないと」
「兄さん……お願い、やめて。そんなことしても何にもならないよ……」
「離せ!!」
強く振りほどくと、赤くつねられた後が残る手首が痛んだ。あの時の痛ましい腕と重なり、胸が鋭く疼く。
「もう、失いたくないんだ。私は……何としてでも守りたいんだ。私は……もう……」
孤児院で失うだけだった私は、何にも負けない力を手にした。今まで破壊しか出来なかった。それで、愛されることをずっと望んでいた。
でも、それでは得られないのだとここで過ごした短い間の中で知ることが出来たのだ。
だから、今度は私が――。
「分かったよ、兄さん。あの城から出てよかったね。兄さんがそんなに他の人に一生懸命に頑張るなんて、今まで無かったもん」
そう言われて初めて気づく。
今までは自分の命を延ばすために、愛されるために他人を犠牲にしていた。それが、今では自分の身を呈してまでして他人を守ろうと思っている。
「そうだな……本当によかった。外に出るのは楽しみでもあったし、怖い気持ちもあったが……やっと、あの時の罪滅ぼしが出来る」
「じゃあ、兄さん。頑張ってね。僕は僕なりに前線で敵をぶっ倒すから!」
「兄様、私達は赤目の人達の誘導を始めますね」
「ああ……できるだけ遠くまで逃がしてくれ」
「どうかご無事で」
ライアとアラネアとも抱擁をし、ヴェリテと同じように頭を撫でる。私より背の小さい二つの頭が微かに揺れる。
「さあ、もう時間がない……全員持ち場に向かってくれ」
私の命令に従って、遠のいていく三つの影を見送る。私は、私のするべき事をするだけだ。
「今から、この街は戦場に変わる……」
ポツリと呟いた私の肩に、力強い手が添えられる。
手の先には、短く切りそろえられた前髪から覗く緋色の瞳。そして、まとめられた銀髪。
ザニアには楽器のメンテナンスを任せていたのだ。
「そうね、スーちゃん。でも、貴方は正義のために戦う」
「ザニア、後方は任せたぞ。ヴェリテにも言ったが、私がバイオリンを弾き始めたら、即座に撤退してくれ」
「ええ、お互い最高の戦果を期待してるわ。ここで野垂れ死んだら知らないわよ」
「分かってる」
短く手を合わせた後に、互いに微笑む。
そして、互いに反対の方向に向かって歩き始める。
「同士を守れ、敵を討て。正義を行え……例え世界が滅ぶとも」
別れざまにザニアが放った言葉は、私の心の中に強く響いた。




