#38 戦場に響く音
「悪魔、何を考えているんだ」
「少し失礼します。あの宿まで戻りますよ」
いきなり出てきた悪魔に問いかけると、いつもとは違って固めの返事が返ってきた。しかし、目の前には私のせいで傷ついた赤目の人々がいる。
「でも……怪我人が……」
「怪我人はレムナント達に任せましょう。それより、急ぎの話なのです」
「人命よりも?」
「ええ……」
ここまで悪魔が引き下がらないのも珍しい。
私は仕方なく折れ、宿に向かうことにした。
「ライア、アラネア、ザニア……すまない。私は少し宿に戻らないといけなくなったんだ。私がしたことなんだが……怪我人の救護を頼む。治癒術式であれば大体は回復できると思う」
急ごしらえではあるが、若緑色の薬草を中に詰めたボトルをザニアの手のひらにのせる。これで少しは治療の補助になるだろう。
「分かったわ」
「ええ、兄様もあまり無理をなさらないで」
「ありがとう」
*
「話が早くて助かります。これは子供達に聞かせられる話ではありませんので」
昨日奪った血で作ったワインの栓を開け、ボトルに注ぐ。久し振りに味わったが、やはり止められない。
「お前の声は私以外には聞こえないだろう」
「まあ、そうですね。ただ、貴方がどんな反応をするか分からないですから」
「……どんな内容なんだ」
空色のジャケットに黒色のリボンで銀色の長い髪をまとめた貴族風の衣装をまとった青年が現れる。
いつ見ても、緋色の瞳を持つこの男は私によく似ている。
「甘い、甘い言葉の蜜に溺れて……安寧を捨てた未来がこれでいいのですか?」
「良くはないが……子供達を守りたかったんだ」
「貴方は、心からの承認を失った。狂気に身を任せ、子供達の目の前で血みどろの戦闘を行ったんですから、当然でしょう。貴方が不憫でならない。せっかく守ったのに……得るものは何も無いなんて」
「それは……」
うなだれる私を、悪魔はそっと撫でる。
私より筋肉質な力強い手は、私を安心させる。
ふわりといい匂いもする。それが少し羨ましい。血の臭いがする私でもしっかりとこの悪魔は受けとめてくれる。
もしも、親に私が愛されていたならきっと同じように甘えていただろう。それを思うと、じわりと涙が浮かぶ。
全部、彼は認めてくれる。それにずっと溺れていたい。しかし、私のそんな願いを壊すように、悪魔は私の頭を撫でるのを止め、私を見つめた。
「……貴方に、告げねばなりませんね」
「何かあるのか」
悪魔の赤銅色の瞳が悲しげに伏せられる。長い前髪がカーテンのように下ろされ、整った顔に影を作る。
そして、告げられた言葉は私を酷く動揺させた。
「明日の夜、ここにセーツェンから大軍が来ます」
「なっ……じゃあ、あれは……」
「偵察や状況確認用の部隊だそうです。最も、あの犯行は上層部も予想外だったようですが。あと、明日の昼頃にヴェリテがこちらに来る予定です。微妙なタイミングですが、夜の戦闘に巻き込まれるよりはまだマシでしょう」
危険は去ったと思ったのに。地獄はこれからだというのか。震える私を悪魔は抱き寄せ、再び頭を撫で始めた。
「大丈夫ですよ。貴方のサポートは最大限しますから」
「でも……また、殺さないといけないんだろう……?」
「そうなるでしょうね。貴方のバイオリンを使う必要がありそうです」
「バイオリンを……戦場に?」
唐突に出された提案に、再び私は震えた。
「ええ。あのバイオリンは貴方が私の物質変換能力で作ったもの。ですから、魔力は十分に吸収しています。貴方が毎晩奏で続けている際、あの楽器は犠牲を吸い続けていたのですよ」
前にもそんな事は聞いたはずだが、よく覚えていない。三千年間といえば膨大な年数だ。何年前に何をしたのかも覚えていないのだから、何度聞いても覚えられないのは当然かもしれない。
「犠牲を……吸って……」
「貴方の心臓も悪魔と人間の血が入り交じったようなものですからね……でないと、三千年間どころか百年もせずに貴方はその命を絶えていたでしょうし」
「……」
「ああ、心配ありませんよ。貴方を殺すつもりはありませんから。この前のは脅しですし。私に血液が供給されなければ私どころか貴方も命を落とすことになりますので。こうして意識を接続させるのはそれ程リスキーだということです」
「脅しっていっても……イデアの時は本当に驚いたぞ……心臓に悪いからやめてくれ」
「……確かに、あれはやり過ぎましたね。あまり加減が分からないもので。とりあえず、楽器が必要になることは覚えておいてください」
「分かった。用意はしておこう」
楽器で戦闘など今までしたことがないが、悪魔があれだけいうのだから何か策があるのだろう。
「……」
美しく物憂げな伸びのある響きが、宝石のような輝きを放つ白い胴から放たれる。この楽器が、人を殺すことになるのだろうか。
この楽器は……両親の骨で作ったもの。
街を焼き尽くす前に、愛されるために最後の望みをかけて、孤児院から出て、両親が住む家に向かった。
親は、私の予想とは違って貴族の出身だったのだ。それも伯爵。国家を担うまではなくても、貴族としてパーティーに招かれるぐらいの爵位ではある。
それを見越して私を捨てたのだとしたら、胸が痛い。私の命より、家族は社会によく見られることを取ったのだから。
戸籍も、自分の名前は消されていた。
だから、知らない。名前を聞くこともままならないまま私は二人を殺して楽器にした。
「父さん、母さん……僕は……」
そこまで言いかけて、はっと気づく。
僕、などいつ振りに言っただろうか。
「まだ、認められたいって思っているんだ。傲慢だと思われるかもしれない……それでも、貴方達には愛されたかった」
涙が一滴、ぽたりと弦の上に落ちる。
「ずっと弾いていたら、ずっと一緒にいたら少しは寂しさが紛れるかと思ったけれど……ダメみたいだ」
バイオリンの弓を持ったまま、血の臭いが残る軍服の右の袖で涙を拭く。
「……私は、母さんや父さんと一緒に楽しく過ごしたかっただけなんだ。それ以外には何もいらなかった。でも……この楽器で皆が守れるなら、戦うよ。だから、ごめん」
小さな窓越しに映る雲一つ無い青空を見つめて、私は小さく呟く。あの空の向こうで、両親が私のことを見てくれている事を信じて。
「母さん、父さん。私のために力を貸してくれ」