#37 氷花の牢獄
「怯むな! 相手は一人だぞ!」
子供達にも危険が及ぶので、戦場において抜群の効力を発揮する幻惑術式は使えない。しかも、凍術を展開中なので他の術式を使うならば一旦この拘束を解かねばならない。
「流石に一気にこの人数の相手は無理か……」
ざっと辺りを見回しただけでも、五十人はいる。装備もバラバラだが、一番厄介なのは銃だ。私を狙ったつもりの銃弾が、赤目の人々に当たってしまったら話にならない。
意識を集中させ、銃身を切断するように棘達を動かす。過剰な使役のために頭がずきりと疼くが、この程度の代償ならばどうということはない。
それにしても、私一人のためにこれだけの人数を集めるとは。
「スィエル・キース……大人しく首を出せ……そうすれば残りは解放する」
「その言葉をどれだけ信じると思っているのか聞きたいね……首を出さずとも全て奪い返す」
奪えば守れる。街を。子供達を。そして……自分の居場所を。
「うおおおぉ!!」
疾風のような勢いで全力で距離を詰め、細剣で周りの邪魔者達を蹴散らす。腹部や心臓部を狙って刺し続け、最小限の動作で最大限の攻撃を行う。
そして、空いている右手で指揮官の男の胸ぐらを掴む。至近距離で睨み付けると一瞬は動きを止めたが、男は私を振り払おうと再びもがき始めた。白い霜が顔中に張り付いているが、まだ力は残っているらしい。
「くそっ……離せ!」
「誰が離すか……許さない……絶対に許さない……呪い殺してやる」
憎悪と殺意を込め、私は叫ぶ。
どうせ、逃がしたところで子供達が危機にさらされるのは分かっている。それだけは許してはならない。
「なぁ、殺人鬼よ……貴様も何人も殺しているだろう? 同じじゃないか……」
「一緒にするな。分かっている……どれだけ罪深い所業を今まで自分がやってきたのかぐらいは……」
「後悔するぞ」
「もう、何度もしている……でも、止めるわけにはいかない。私は復讐を続け、血を血で洗い続ける」
細剣を鞘に強く押し込んだ後、自由になった左手も加えて首を絞める。
「ぐあっ!!」
「苦しめ……もっと苦しんでくれ……そうでなければ死んだ子供達のためにならない」
首を握る手に更に力を込める。ごきり、と嫌な音がするが構わずに続ける。温度を感じないほど冷えた男の首を握り続けているため自らの手まで凍りそうになるが、最後の仕上げは必要だ。
頸椎を完全に破壊し、双眸から流れ出た二つの透き通る雫を指ですくって舐めとる。
「絶望の味が濃いね……深くて、苦い……」
久し振りの上質な味に酔いそうになるが、ここは戦場だ。後でゆっくりと味わうことにする。絶命したのを確認してから手を離し、地面に転がしてから踏みつける。
真っ赤に凍った霜を男の顔に丁寧に足で転がしながら塗り、傷痕に手袋を外した右手を当てると、瞬く間に小さな紅い結晶へと変化した。
「……次だ」
氷花の牢獄の中で、私は淡々と殺し続ける。
氷の棘は随分と魔力を吸収したようで、ほとんど体の自由が利く者はいなかった。
私が剣を振る度に次々と犠牲は増えていく。感情さえも殺し、無表情を貫く。闇色の細剣からは、赤黒いスパークが放たれる。どうやら、食い過ぎたリソースを放出しているらしい。それが効率を向上させ、更に多くの犠牲を生み出していく。
飛び散る鮮血が、まるで紅玉のように美しく感じる。もっとこの輝きを見ていたい。心を震わせるような、紅い煌めきを。
「ああ……とても綺麗だ……」
段々と正常な思考が保てなくなっているのが自分でも分かる。ぞくり、ぞくりと私の中で何かが蠢く。暗く悍ましいものに自分が呑み込まれているような――そんな違和感だ。もっと言うならば、あの時とよく似た″何か″。
「スィエルさん……どうしたの……?」
リュヌが呆然と呟く声が、僅かに私の意識を虚ろな夢から現実に引き戻す。しかし、私の暴力的な破壊衝動を収めるには至らない。背中を貫かれる痛みで、目の前が真っ白になる。だが、止まるわけにはいかない。一瞬でも止まれば、犠牲者が増えるだけだ。
流した血のぬかるみに足がとられる。数の暴力によって、押し潰されそうになる。それでも、私は戦わなければならない。切断された人体、転がる無数の武器、鮮血の嵐。伝承の――あの時と同じ地獄。
たった一人で、何人もの人間を殺した。化け物。怪物。殺人鬼。例えどう言われても、私は立ち止まらなかった。
あのときは、守りたいものなどなかった。ただ、自分の憎しみや悲しみを分かってほしかった。
でも、今は違う。今は、守りたいものがある。誰かのために戦いたいという意志がある。
「ぎあああっ!!」
「甘い。甘すぎる。貴様らが与えた苦しみはこの何倍も大きいのだから」
目の前の敵を屠り尽くさなければ。そんな使命感に支配された私は、血を浴びても心が動かない機械のようなモノに成り果てていた。
――どのぐらい時間が経っただろうか。
いつの間にか、オレンジ色の朝日が遠くに見える砂の山から顔を出していた。
「終わったか。ああ……臭うな」
手や髪、頬にこびりついた血の臭いが、鼻を刺す。久し振りに大勢殺した。
黒く固まった血を手で払って、細剣を鞘に収める。
何人を相手したのかも分からないが、一応全員片付けたはずだ。これで、赤目の人々はまた平和に暮らせるようになった。しかし……
「お兄さん……」
「母ちゃん……スィエルさんが……」
子供達に恐怖を与えてしまった事は、取り返しがつかない。
何度も恐怖を味わわされるより、信頼していた人の素顔を見る方が余程絶望しやすい事は知っている。
折角作ったバイオリンも広場の一角に集められたまま凍りついている。これでは解凍してもいい音は出ないだろう。また、一から作り直すしかない。
「……」
私のせいだ。私がここに来なければ、こんな恐怖を味わうこともなかったのに。
「ごめんな」
血だらけになった体を引きずりながら、子供達の元に向かう。誰もが目を背ける。それはそうだ。相手は何人も虐殺した殺人鬼なのだから。
「悪かった。私のせいで、君達の仲間が殺されてしまった……本当にすまない」
「ううん、スィエルさんが駆けつけてくれなかったら私達も殺されていたかもしれないから……」
「怖いなんて言ってごめん。僕、いつもいつもアイツらに暴力を受けてたんだ。だから……」
「……」
ここでは、私が犯した過ちは許される。
何であっても、それは正義だと肯定される。
だが、他では悪でしかなり得ない。
私は悪だと蔑まれ、憎まれ、恨まれる。
私は、どちらを信じてこれから歩めばいいのだろうか。それとも、どちらも間違いなのか。
「私は、どうすればいい?」
誰に問いかけたかも、分からない。
ただ答えのない問いを呟く。
空白の三千年間で、ようやく得たものがこれなのか。頭が割れるように痛む。凍術を操作したときよりも何倍も酷い頭痛が、私を襲う。
『面白くありませんね』
脳の奥に響いた憂いを帯びた声は誰のものだろうか……そんな事を考える暇も無いままに、黒い靄が私を包み込んだ。




