#36 崩壊の始まり
「……ふぅ、今日も必要分は確保したか」
宿から出て、私はザニアと二人で悪魔に捧げる今日の贄を探していた。幸いにもそこまで移動せずにほど近い沼地で一戦を交えることになったのだが……
もう随分と戦闘を続けていたらしい。
いつの間にか日にちを跨いでしまったようだ。
懐中時計の蓋を開けて時刻を確認し、また胸ポケットに収納する。機械系は苦手な私だが、懐中時計は私に合っているようでそこまでの抵抗はない。
「お疲れ様、スーちゃん。温泉でのマッサージは効いたようね」
「ああ、ありがとう。今日は何となく実力が高かったような気がするな……」
折角洗った髪もすぐに血に濡れてしまったが、機会があればまたあの宿に行ってゆっくりとしたい。
もっとも、機会があればの話だが。
「もしかしたら追っ手も混じっていたのかもね。私も弓で射っていたけれど、それでも合間を縫って突っ込んでくる敵もいたわ。火矢を打ち込んで炎の壁を作ったら流石に近寄ってこなかったけれど」
その時だ。耳に痺れるような違和感を感じる。
初等雷術の受信の合図だ。
「兄様! 聞こえていますか、兄様!」
この声は、アラネアだ。
「珍しいなこんな時間に……聞こえているが、どうしたんだ?」
「兄様! 急いで広場に来て下さい!」
今は深夜、それも明け方ではなくまだ空は薄暗い。
それなのに、広場がどうしたというのだろう。しかも、その声はやけに切迫していて落ち着きがない。
「アラネア……何があったんだ」
「大変です兄様……街が侵入者に占拠されたのです!」
「何だって……!?」
街が、侵入者に。
恐れていたことが現実になったのだ。
額から流れた冷や汗が、頬を滑る。
心臓の鼓動が速くなり、呼吸が荒くなる。
「ザニア……急いで広場に向かうぞ! 子供達が危ない」
「分かったわ。それにしても汚いわね……!!」
宿で老人と対峙した時よりも怒りの色を濃く顔に表しながら、二人で風術を唱える。
風のイメージを脳内に描き出し、最大速度までブーストをかける。猛烈な風が私とザニアの体を叩き、巻き上げられた砂が目に入って視界を奪うが、痛いなどと言っている場合ではない。
「行くぞ!」
「ええ……スーちゃん、ここは冷静にね。意識だけで組み上げた術式は少しの乱れで壊れるから」
「ああ、分かっている。着いたら敵は一人残らず刺し殺すから」
「うん。それじゃ、行きましょう」
轟音を響かせながら空を飛び続けると、何やら騒がしい様子が見えてきた。
子供達と一緒に飾った旗はビリビリに破かれ、楽器や武器、鍛冶道具などが一カ所に集められている。
広場の中心には泣き叫ぶ子供やうずくまる老人、その他にも色々な人達が集められ、武器を持った覆面の兵士達に周囲を囲まれていた。
兵士達は皆同じ銃を持ち、同じ迷彩柄の服に身を包んでいる。これといった特徴はないが、私の敵であることには変わりない。
直接その場に降りると何があるか分からないので、少し離れた茂みに着陸し、そこから広場まで走る。
「リュヌ! リュヌ!!」
「お兄さん……ダメだよ……来ちゃダメ……」
まだ眠いのか、目をこすりながら彼女は話す。
私が作った赤色のワンピースはズタズタに引き裂かれ、白い腕が露わになっていた。彼女の綺麗な金髪も乱されている。
あんなに気に入ってくれたのに。
満面の笑みで私に感謝の言葉を伝えに来てくれたあの時の嬉しそうな表情が、脳裏に焼き付いて離れない。
「嫌……子供達を返して!」
「――!」
女性の子供なのだろう。
布が口に被せられ、苦しそうにもがいている。
「煩い! 我らの指示に従わなければ即、撃ち殺すぞ!!」
牽制のためか、兵士の一人が銃弾を地面に向かって一発放つ。しかし、更に混乱が広がっただけで彼らの言葉に耳を貸すものは一人もいない。
「黙れと言っているだろう! 大罪人を匿ったんだ。罪から逃れようと思うな」
私のせいで皆が苦しめられている。
胸を抉るような痛みが、私を襲う。
よろよろと広場に出てきた私を、覆面越しでも分かる嘲笑が歓迎する。蔑みの目は、孤児院にいたときに感じていた恐怖を再び思い起こさせた。
しかし、ここで退くわけにはいかない。
私が恐怖に屈せば子供達が危険にさらされる。
ゆっくりと砂を踏みしめながら、私は軍帽を取って正面から敵を見据える。
「やっと来たか。待ちくたびれたぜ……なぁ、殺人鬼さんよぉ?」
「……何の用だ。子供達を離せ。私が勝手にここに来たんだ。だから子供達は何も悪くない。赤目の人達だって、何もしていない。私が……全員殺しただけだ」
「クククッ……悪くないだって? お前をかばった時点で同罪だ。なんでコイツらを生かしていたのか知っているか? 労働でこき使うためだ。だから、最低限の生活ぐらいは保障してやってんだよ。なのに、税金が高いだの生活が苦しいだの……巫山戯るな」
「巫山戯るな……だと? 貴様らが赤目の人達を虐げなければそんな事にはならないはずだ! 今すぐ全員解放しろ!!」
「ああ、煩い……スィエル・キース以外は殺しても構わないぜ? 上の狙いは赤目の殺戮者だけだからよぉ?」
続く発砲音は、私の感情というものを悉く消し去った。
悲鳴。絶叫。
しぶく鮮血に、モノクロに変わっていく景色。
小麦色の砂が、雪のように真っ白になる。
黒で塗りつぶされた空は、更に闇色に変わっていく。
一瞬が永遠になる。時間の流れがひどく遅く感じる。
全てが止まってしまったようなそんな幻覚に囚われる。
「あ……ああ……」
力の無い掠れた声が、私の喉から漏れる。
もう、これ以上失いたくない。そう決めたのに。
ここで、全部また失ってしまうのか。
あの日常に逆戻りするのか。
いや、まだだ。まだ足掻かねばならない。
――そうだ。まだ、諦めてはいけない。
この人数なら、まだ戦える。あの戦場で戦ったときよりもずっと今の敵は少ない。
今ならまだ、間に合う。残っている子供達ぐらいは救える。だから、剣を――。
「絶対に……許さない」
鞘から引き抜かれた細剣の剣身は、血のように赤黒い輝きを放つ。鍔の部分にはめ込まれた深紅の宝石が、どくんと強い光を放つ。
――奪え。奪われたくなかったら、奪い返せ。
「……ああ、分かった」
砂が、私のブーツに絡みつく。しかし、私は止まらない。
異変に気づいた兵士達が、私に銃口を向ける。
それを予測していた私は、右手に用意していた水色の光点を空中に放ち、術式を展開させる。
「フルール・イーサシブル!」
薔薇に似た花が荒野を覆い、子供達を避けながら兵士達を凍らせていく。花から放たれたリソースを余さず吸収し、力に変える。
「スィエル・キース……貴様ァ……!」
「惨劇を終わらせるために、私は貴様らを全員――殺す!!」




