#3 宵闇の暗殺者
「……!」
ヴェリテと通信していたために気づかなかったが、誰かから狙われているらしい。全く、私としたことがうっかりしていた。連続で飛翔してくる刃を、凍術で氷の壁を作ることによって跳ね返す。
甲高い音を立てて、壁と刃の両方が勢いよく破裂し、旋風が巻き起こる。私は、続けざまに炎術を詠唱し、風の衝撃を受けきった。風の勢いが収まり、辺りに誰の気配もないのを確認してから、私は道ばたに転がる短剣を手にする。
「……これは」
短剣にしては重みがあり、剣の両端はのこぎりの歯のようにギザギザになっている。殺傷用に作られたものだろう。この剣を投擲した人物は、最初から私を殺す気だった。
それまでは理解できる。しかし、私はある一つの疑問を抱いた。それは――。
「もう、気づいたのか。私が復活……いや、あの城の呪縛を破ったことに」
私が城の外に出てから、まだ数時間しか経っていない。人々の前に姿を出したこともそうないはずだ。考えられるのは、ヴェリテが暴れまくったせい……ということだが、それにしても早すぎる。
ヴェリテが暴れているのなら、彼を取り押さえれば済む話だ。しかし、この剣の持ち主は私を狙ってきた。帰ってから作戦を練り直すか、とひとまず剣を持ち帰ろうとした私の頬を、再び短剣が掠める。
「私の感知から逃れるとは、そこそこの魔力は持っているようだね」
「赤目の悪魔を狩れ、という命令だ。それぐらいの実力があって当然だろう」
女の声。しかも、若い。私も封印されていた時間を除けばまだ若い方だが、相手は恐らくそれ以下だ。
何か目的があって殺し屋などをやっているのだろうが、私に向かうとは大した度胸だろう。
「へぇ、赤目の悪魔……か。実際に悪魔とは契約済みだが、現世では私の事はそう呼ばれているんだね……面白い。金目当てかは知らないが、殺せるものなら殺してみろ」
前方から飛び出して来た影が、私の喉元を狙って突っ込んでくる。私は腹をめがけて蹴りを加え、暗殺者を吹き飛ばす。
「クッ……」
茶色のブーツに顔を隠すための迷彩柄のフード。手には黒のグローブがはめられており、証拠を残さないという姿勢がうかがえる。
装備は速さを重視するためか、軽装だ。地面をこする痛みは直接来ただろう。
しかし、私の攻撃はそこでは止まらない。大きく跳躍して敵との距離をつめ、胸を守るプレートの接合面を狙って連続で刺突を繰り出した。女は身体を器用に反らし、私の攻撃を受け流す。しかし、かわしきれなかった最後の一撃が、女の右肩を鋭くうがった。
私は、復讐をするために目覚めたのだ。こんな序盤で殺されるわけにはいかない。攻撃によって吹き飛ばされた女は、うめきながらも立ち上がる。その姿は痛々しかったが、別に同情はしなかった。
――この女は、私を殺そうとした。
敵として見なすには、それだけで十分だ。
「スィエル・キース……貴様はなぜ民達を殺すんだ」
「……知ってどうする気だ? 別に答える必要もないだろう」
「私はまだ、妹を救い一緒に過ごすという目標がある。そのための汚れ仕事だ。ここまで生きることに縛られている人間は、見たことがない」
「放っておいてくれ。貴様が知ったところで、どうせ何も変わらない」
憂いを帯びた声で、私は冷淡に話す。理解できたところで解決は不可能だ。
「貴方はもう、この時代の人間ではない。それなのに貴方は今ここで、なんの関係も無い民達を殺し、弄んでいる。私達が理解できないの当然だろう? お前は生きていても仕方のない化け物だというのに」
生きていても仕方のない化け物。その言葉で、私の中に爆発的な殺意が宿る。震えが止まらず、右手を固く握る。
「黙れ……」
私は唇を強く噛み締め、鞘から細かな装飾が施された漆黒の細剣を静かに引き抜く。宵闇に溶け込んだ細身の凶器は、悪魔から与えられたものだ。
「ならば殺せ。殺してみろ。貴様のような者に、私を殺せるならば……!!」
私のブーツが地を蹴り、ほぼ飛ぶような状態で距離を詰める。髪が宙にたなびき、猛烈な風が私を叩く。私は勢いを殺すことなく、女の元へと駆け込む。命を奪うことに躊躇う気はない。
私の異変に気づいたのか、女はまだ余っていた二本の短剣を太ももの辺りについているベルトポーチから引き抜き、胸の前で交差させた。
「貴様、何を……」
「狂ったとでも言いたいのか? ……作戦のうちだ」
女が持つ二本の短剣と私の漆黒の細剣が、高い音と火花を散らしながらせめぎ合う。女は懸命に耐えているようだが、私にはまだ余裕がある。手を離せば殺されるという恐怖が、女の思考の余地を奪っていく。
それを眺めながら、私は唇を引き、冷たく笑う。力のない者が、力ある者に支配される――。それは、私が今まで散々経験してきたことだ。だから、私は悪魔に力を願った。誰にも負けない力を身につけ、私を苦しめた人間達に復讐すると誓ったのだ。
「くぅっ……!」
「甘いな。まるで力が足りていない」
私は強引に短剣を押し込み、右手の指先に青白い光をともす。生成された氷の刃が女の腕を裂き、女は苦しそうな声をあげる。血を吸った私の剣は勢いを増し、まだ血を吸おうと欲望のままに襲いかかる。
女が私への警戒を解いた一瞬の隙を利用して、私は一度剣を引き戻し、左側から細剣の胴の部分を当て、短剣を弾き返す。女もその反応は予想していなかったようだ。
「ッ……! 貴様!!」
「何だい? 私に文句があるなら、実力をまずは示してくれ。弱い者の言葉は聞く気にならないからね」
「弱い者の言葉は聞かないだと?」
「ああ、そうだよ。私は弱い人間が嫌いなんだ。何も出来ずに、ただ助けを待つような……希望を持っても、誰も助けてくれやしないのに、いつまでも信じて待つ愚か者が……私は一番嫌いだ」
私が指を鳴らすと、空から雪がはらはらと降り出す。雪が降るスピードは徐々に早くなり、やがて吹雪に変わる。
「手足が動かない……視界も悪い。どこだ……どこにいる……?」
「つまらない戦いだよ。一方的な暴力で叩きのめしても、何も楽しくない。私の苦痛を味わってもらうために、私は復讐者として生きているんだ……だから、もっと苦しんでくれ」
私は女の体をめがけて鋭く剣を突きこむ。女は必死に手を動かすが、全く追いついていない。私が強く薙ぎ払うと、二本の短剣は虚空に放り出され、次々と私の攻撃によって女は胴体や腕を貫かれる。
「甘い。遅すぎる」
「がはっ……!」
女は軽々と吹き飛ばされ、固い雪に覆われた地面に派手に打ち付けられる。私は、それを冷ややかに見つめた。
「ああ、つまらない。でも、これ以上続けるのも時間の無駄だ。君では楽しめなかったが、復讐相手なら大勢いる……別に君にこだわる事もないしね」
私は吹雪の出力を更に高める。私の凍てついた心と同期するように雪たちは荒れ狂い、女に襲い掛かる。だが、次の瞬間。大地が低く唸り、その後に僅かに足元が揺れる。
何が起こったのか、と女を探すが、姿はおろか影も見当たらない。
「……さっきの爆発は貴様か、暗殺者」
私の問いに答えるように白い煙が私の周りを覆いつくしていく。雪が爆風で舞い上がり、辺り一帯が風雪に呑まれているのだ。
逃げられるのは癪だが、骨のない相手と戦っても面白くない。今日分の魔力は十分得ることができたので、深追いする必要もないだろう。
女が場から立ち去った事を確認し、私は術式を解除する。長時間術式を発動したままだと、体力や集中力を奪われるためだ。敵がこれ以上出てこないといいのだが。
「……生に意味はなく、その生きざまは狗……か。まさか、そこまで言われるとは。私にも、人間らしい頃はあったんだよ」
禍狗。そう言われたのは初めてではない。まだ、幼く弱かったあの時。まだ、許される術を知らなかったあの時。全てを憎んでなお、抵抗する事も出来ずに、地獄の底に沈んでいた、あの時。
私はいつも泣いていた。痛い、苦しいとそう無力に叫んでいた。
孤独が私を作った。孤独が私を育てた。
あの思い出したくもなかった過去が、頭の中にはっきりと描き出される。鋼鉄の檻。その中で喚く、赤目の少年。腕には夥しい数の手術痕が刻まれ、足には鎖が繋がれた枷がはめられている。床は冷たく、寝具などもない。
喚けるときは良かった。喚くだけの元気があるときは、まだ良かった。
一週間のうち、休日以外は全てこのような仕打ちを受け続けていた。休日は軍であっても軍務が無いときは安息日扱いで、その日だけ、私は自由になれたのだ。私は休日だけを頼りに、日々の苦痛に耐えていた。
しかし、そんな楽しみさえ奪われてしまってからは、私は生きているというよりは、生かされていた。
軍の実験の為に、私が選ばれることが多くなったためである。後でそれは、私の代わりが居なくなったから私を使い始めたのだと知った。
何とも身勝手で、軽率な理由だ。
私以外にも、赤目の子供は何人か居たらしい。名前も、年も分からない。まず、会ったこともなかった。居たことすら、聞くまで知らなかった。
私を含めて十一人だったようだが、本当かどうかは分からない。しかしそれも、魔術を使って盗み聞きをしたから知ったのであり、直接的にその情報は伝えられなかった。
惨めな思いをした子供が、私の他にもいた。そして、その子供達は、この大人達に未来を奪われた。幼い体で、必死に抵抗し、勉強し、苦しみ続けた仲間達が、私の知らないところで散っていた。
その事実は私を段々と狂わせていった。