#34 つかの間の休息
「……子供達は寝たか」
「兄様ったら、今日の練習はどうされたのです?」
「皆待っていましたのに……」
「あ、ああ……悪い。少し考え事をしていたんだ」
思った以上に時間が経っていたらしい。
日はすっかり暮れてしまい、月明かりが灯りの少ない街を照らしている。
「少し疲れているようね。元気もないし、顔色も悪いわ。睡眠不足はお肌の天敵よ。いつもお城のときはケアを欠かさないじゃない」
「それはお前が……わっ!」
筋トレも美容のためと張り切って取り組むザニアに、必要最低限の筋肉しかつけていない私の体力が上回るはずもなく。
腕を掴まれた私は半ば引き摺られるような形で一階に降りた。受付で居眠りをする村長を起こすべく、ザニアが勢いよく机の上のベルを鳴らす。
「ハーイ! 元気? 居眠りはスーちゃんもよくやるけれど夜いざ寝ようと思っても、眠れなくなるわよ! 規則正しく早寝早起き筋トレね。貴方も実践すること!」
「は、はい……?」
「ザニア、目覚めの挨拶がそれだったら誰でも引くぞ」
「そうかしら……ごく基本の健康法だと思うのだけど」
「いや、問題はそこじゃないと思うんだが……」
何かズレている気がしなくもないが、ザニアの話は止まらない。訂正する隙さえ与えずに喋り続ける。
「まあいいわ。アドバイスを受けとるか受け取らないかは自由だものね。村長さん、近くに良い宿ってないかしら?」
「え? ああ、宿ですか……荒野ではありますが、オアシスの近くに小規模な温泉なら……」
「本当に!? ちょっとこの子を連れて行きたいの」
「は、はぁ……キースさん、ユニークな友人をお持ちですね……出て左側にずっと進めば見えてくるかと」
「ありがとう」
寝ぼけまなこの村長を置いて、ザニアは私を引っ張ったまま、扉を開けて駆け出す。
「ザニア?」
「ちょっとした気分転換も必要よ! スーちゃんがいない間、皆でどうしようか考えてたんだけど、暫くお風呂、入ってないでしょ?」
「あ、ああ……そうだな。戦闘ばかりで軽く水術で済ませてたから……」
「本当、そういう所は器用よね。でも、ゆっくりしたいかなって思って。あれのようね」
ザニアが指さした先を見ると、確かにパイプが引かれた小さな建物と、オアシスが見えた。
「入ってみよう」
幕のようなものに頭があたる。書いている文字は読めないが、似たようなものが確か東洋にあったような……
と、私が記憶の断片を整理する前に、ザニアがどんどん奥へ入っていくので慌てて追いかける。
幸い、人はいないようだ。もしもここに人がいたら、私は入るのを躊躇っていただろう。私の体に刻まれた傷を見て、いい気分だと感じる人がいるとは思えない。
腰にタオルを巻き、シャツのズボンを外すと、私が受けた屈辱の数々が露わになる。傷が痛む、というのは錯覚だろう。昔の傷は、とうに塞がっている。
だが、いつになっても思い出すことは可能だ。表面上は無くなっても、抉られた心は闇をたゆたう。
「スーちゃん? 体冷えるわよ?」
「あ、ああ……悪い。また考え事を……」
「ほーら、悪いクセっていったじゃないの。スーちゃんは悪くないんだから、気にしなくていいのよ」
私を宥める声は優しく、力強い。
「……ごめん」
「その困り顔、かわいいわね」
「なっ……う、うるさい!!」
私は勢いよく扉を開けて、蒸気の歓迎を受ける。
城にも一応浴場はあるが、城自体が氷原にあるので出た後はかなり冷えるのだ。
椅子に座って、湯を肩にかける。
「あったか……」
今度は右側に湯をかけようと思った、その時だ。
「スーちゃん! 私が久しぶりに洗ってあげるわー!」
「わぷっ!?」
泡が私の視界を埋め尽くす。髪もゴシゴシと荒っぽく洗われる。後できちんと髪のケアをしておこう……などと、そんなどうでもいいことを考える。
「あわあわ攻撃よ。私からのラブアタックね」
「色々と誤解を招くからやめろ!!」
「それにしても、血全然落とせてないじゃない。臭いがするわ」
「……だろうな」
そこまではどうやら限界があったらしい。
軍服は特殊な服なので洗う必要はないのだが。
「あまり無理はしないのよ? 三千年間、外を見続けて色々やりたかった事、あったんじゃないの?」
「やりたかった事……か。確かに、色々したいことはあった。外に出て、綺麗な風景を見て、楽しくまたやり直せたらな、って。でも……私はもう戻れない」
三千年間描き続けた未来は、実現しないことを知っていた。それでも私は微かな期待を抱き続けていたのだから、愚か者というしかない。
「まだ、やり直せるかもしれないわよ?」
「……どうだろうね」
頭の上からざぱーっと湯がかけられる。
温かい、と思ったのはつかの間で、すぐに冷気が私を襲った。
やり直したい、とは前まではよく考えていたはずなのに。最近はそんな事を考える暇もなかった。
湯船につかり、目を閉じる。
孤児院では、汚れたタオルで体をこする程度だったので、入浴は結構好きな事の一つだ。
「はぁぁ……やっぱり最高だな……」
心地よい温度の湯が、私を微睡みに誘う。
気を抜くと寝てしまいそうだ。
仰向けになって、首まで全部浸かる。
水術ではこうはいかないので、久しぶりの癒やしだ。
回復術式を唱えれば、表面上の傷は塞がる。
しかし、精神面やこりなどは、自分でケアしなければならない。
全部治せればいいが、そうしてしまうと蘇生までも出来てしまう。世界の法則は、私であっても破ることは不可能だ。
「蘇生が出来たら母さんや父さんにまた会えるのに」
一人呟いても、何も変わらない。
私が殺した事実は、もう拭いようがないのだ。
「……」
一回いい気分になっていただけに、突如浮かんだネガティブな思考が頭を回り続けているのが、無性に気になる。
「気にしても仕方がない」
そう自分に言い聞かせるように暗示をかける。肩も随分とこっているらしい。念入りにもみほぐし、コンディションを整える。
「ふぅ……やっぱり温泉はいいな……」
随分と疲れも取れた。今日の戦闘はいい戦いが出来るだろう。
「スーちゃん、ごゆっくり。私は先に上がっておくわ」
「ああ、ありがとう。ザニア」
一人残された私は、頭の中で思考に耽る。
作戦の失敗。増え続ける敵。新たな邪魔者。
「……生温い。苦痛から逃れる力はもう、持ったのだから」
胸を抉られるような痛みが、私を襲う。
しかし、その苦しみを悟られてはいけない。
もう、弱い私とは別れた。
今ある私は、偽りの強者を等しく裁く殺戮者。冷酷に、非情に、空虚な目的を叶えるために犠牲を厭わない復讐者なのだから。
「これ以上つかると、止められなくなりそうだ」
暫くしたら、ワインを飲もう。
今日は、特段に苦いものを味わおう。
私は、置いておいたタオルで髪をまとめて、扉の方へと歩いた。




