#32 伝承の姿
「もう、スーちゃん! 朝には帰って来るっていったじゃない……できる男は約束は守るものよ!」
今朝の戦闘は思った以上に長引いたが、一応全て集められる分は回収した。いつも通り悪魔に手渡すとすぐに平らげてしまったが。
「ああ、悪い。連絡の一つでもすればよかったな」
「兄様、今日も子供達が待っていますわ」
「ええ、そうねライア。朝ご飯は軽めにしておいたからささっと食べて広場に向かうのがいいですわ」
ぽんと手渡されたのは、硬めのパンと赤色のジャム。丁寧にパンに塗ってから、頬張る。
「うん、美味しいな」
「あまり食糧も持ってきていないようだったので」
あのジャムを持ってきても良かったな、と考えながら今日の予定を考える。幾ら犠牲を多めに配ったとしても、あの悪魔はどうせ毎日請求に来るからだ。
朝食をすませ、広場に向かうと何やら人だかりが出来ていた。
「お兄さん! 今日も俺に教えてくれよ!」
「ずるいわ! 私も!」
「まあまあ……少し人数も多いし、楽器を物質変換で増やすか……なあ、ライア、アラネア。ちょっと大きめの木を持ってきてくれないか?」
私の楽器だけでこの人数をさばくのは無理だ。木を楽器に変えれば、少しは回すのも楽になるだろう。
「了解!」
「お兄さん何するの?」
「うーん、ちょっとした手品かな。皆、同じものを用意してあげるからちょっと待っててね」
「はーい」
あの暴れん坊のヴェリテとは違い、子供達は素直に返事をする。将来が楽しみだ。
「持ってきたわよー! 近くにとってもいい木があったわ!」
どすんと音を立てて地面に落下したのは、幹が太い、立派な木だった。しっかりと栄養を溜め込んでいるらしい。
「随分と早かったな」
私は素直に称賛の意味を込めて言ったのだが、ザニアは苦笑する。
「……弓で射てワープさせたわ」
あそこ、とザニアが指さす先には確かに何本か木が立っていた。ライア達は反対方向に行ってしまったので、雷術を使って通信する。
「兄様? こちらはあまり良い木が見当たりませんわ……」
「きゃっ!? ライア! 今獣が通るのが見えたわ」
「ひやあぁぁぁ!! 姉様、失礼します! 少し痛いかもしれませんが……これしか思いつきませんわ」
「痛っ……取りあえず落ち着いて兄様に報告を……」
通信越しに聞こえる声は、やけに切羽詰まっている。そんな中で私は、言い訳を挟む。
「あー……ごめん。ライア、アラネア。もう、ザニアが弓で取ってきてるんだ」
「酷いですわね、姉様」
「ええ、後で私の糸で絞めてやりますわ」
「申し訳ない……ザニアの能力忘れてた……それ使えば良かった……悪い、弓用の毛をどこかで取ってこれるか?」
「またおつかいなのね……お腹が空きましたから帰ったらお茶にしましょう」
「ケーキぐらいは用意しておいてくださいね、兄様」
「部下は有効活用するものよ、スーちゃん」
巨大な木をさばきながら、ザニアがぼやくのが聞こえた。
*
「はぁ……兄様、余計な体力を消耗させないでください」
「そうね、獣との戦闘で糸が大分無駄になったわ。この紅茶は美味しいからこの程度で留めておくけれど」
「それは良かった。お嬢さん、その紅茶は此処出身の者が他地域から持ってきてくれた種を、一生懸命育てて作ったものなんだ。最近ようやく採れるようになってね」
楽器作りもひとまず終わり、宿に戻って一息つく。
ケーキはザニアと一緒になんとか余っている素材で作り、仕上げたものだ。
「それは……ええ、とても良い味ですわ。持ってかえってもよろしいかしら?」
「勿論。あまり多くは楽しめないかもしれませんが」
「十分ですわ。貴重なものはゆっくりと楽しむに限りますの」
カップの中で揺れる紅色は、とても綺麗に見える。私の目もこんな色であれば、虐げられる事もなかったのだろうか。
――お前の目は醜い悪魔の目だ。
――国のために犠牲になれ。
「うっ……うぐっ……」
急に激しい頭痛に襲われる。呪われた過去をふとしたときに思い出してしまう。
この記憶を、悪魔が消してくれたらいいのに。そうしたら、私は楽になれるのに。
「大丈夫か……? お口に合わなかったなら、申し訳ない」
「い……いや、何でもない。こちらこそ、取り乱してしまってすまない。紅茶は美味しいよ。ただ……少し嫌な事が浮かんでね」
「別室で話を聞こう。キースさん、こちらへ」
「ザニア、済まない。広場には子供達が戻るだろうから、茶会が終わったら向かってくれ」
「分かったわ!」
外に音がもれないように、術式をかけてからドアを閉める。席をついた私に対して、村長は険しい顔で口をひらいた。
「貴方は、伝承の復讐者のようには見えないんだ」
「それは……どういう意味だ」
「貴方がこの荒野に来てから子供達は笑うようになったんだ。楽器を弾いたり、貴方が連れている方と一緒に遊んだり……楽しそうに毎日を過ごしている」
「私が犯した罪は本当だ。街を壊したあの日のことは全て覚えている。実際に、今日も大勢殺してきた」
テーブルの上に、数個の結晶を置く。
「貴方は一体……どうしてそんな事が……」
「私は伝承通りの事を行った。大勢の兵を相手に、究極最上位術式の行使もした」
「馬鹿な!! 究極最上位術式など……魔力不足で行使など出来ないはずなのに……」
「そう。普通は不可能だ。だから、私は魔力を極限まで高める悍ましい実験の対象になり、結果的に街さえも破壊したんだ」
今でも、憎たらしい。
狭く、暗い空間に閉じ込め、私の幼少時代は蔑ろにされた。
戦いたくない。戦うのが怖い。
本当は、仲良く遊びたい。一緒に勉強をして、一緒に夢を語りたい。
ただ、それだけを思っていたのに。
「赤目を虐げた人間さえいなくなれば。そうすれば、私も罪の軛から解き放たれる。だから、私は復讐を続けているんだ。子供達に見せる姿は――偽の姿だ」
「違う」
「何故そう言える?」
「貴方は本心から子供達に接している。子供達を愛して、どうにか楽しませてあげようという思いがある。貴方は何人もを手にかけた殺戮者かもしれない。でも……やはり、私は信じられない」
「子供達を、愛しているだと……?」
「ああ、そうだ。貴方は愛している。大事に接して、子供達のためにいつも頑張っている」
分からない。私は、やはり分からない。
でも、心の底からこみあげてくるものは止められなかった。透明な雫が一つ、頬を伝う。
「私は……ずっと分からないままだ。何かを求めておきながら、それが何なのか分からない。ただ、承認が欲しい。認められたい。そんな曖昧な思いをずっと……」
この手では、壊す事しか出来ないのだと思っていた。でも、こんな私でも力になれる事はあったのだ。
村長の言葉は、冷え切った心を少しだけ溶かした。
まだ、信用出来る訳ではない。妙に疑り深く、慎重になってしまう悪い癖が邪魔をする。でも、これだけは伝えなければ。
「……ありがとう」
「いいんだよ。君も色々あったようだからね。こちらこそ、根掘り葉掘り聞いて悪かった」
元の部屋に戻ると、そこには飲みかけの紅茶が一杯残されていた。足を組み、ゆっくりと器を傾けて飲み干す。
「……そうは言っても、復讐は止められない。憎しみは、いつまでも消えることはないのだから」
紙を丸めて広げた時のしわのように、私の心の中には、今もあの時の傷が残ったままだ。
「叶うことのない復讐だとしても、私はこの手を緩めない。この地に舞い戻ったならば――誰であっても容赦はしない」