#27 新たな戦いの始まり
こんな惨状が同じ地域にあったとは信じたくはなかった。しかし、もうそうも言ってられない。
もう、目をそむけ続ける事は許されない。これからは、過酷な現実とどれだけ向き合えるかが鍵になってくるだろう。風によって運ばれてきた砂の味が唇に張り付く。
家は先程から何件かあるが、灯りは見えない。人の動きも見られず、村全体がひっそりと静まり返っている。ふと、微妙な空気の流れの違いを感じる。通常であれば違うだろうが、魔術を鍛えている私には分かりやすい工作だ。
「お前達は一回隠れておいてくれ。全員戦闘に参加すると危ないから」
「分かったわ、スーちゃん!」
「了解ですわ」
「私も待っていますわ」
息を殺して、目を閉じる。中の状況はよく分からないが、荒い息遣いと何か男が騒いでいる声が漏れている。あまり、時間はないだろう。
数秒のカウントの後、ドアを乱暴に開く。
「何をしている!!」
「なんだお前は……赤目が軍服なんか着込んで、お偉い様気取りか?」
その前では、涙を浮かべながら必死にもがく少女の姿があった。口には布がまかれており、苦しそうだ。恐らく、誘拐されたのだろう。
「黙れ。そこをどけ」
振り向いた男の顔に蹴りを入れ、無様に倒れたところで首を乱暴に掴む。膂力と己の体重を最大限活用し、ゆっくりと締め上げていく。ごきりと骨が鳴る音が響くが、私は構わず力を入れ続ける。
「さぁ、どこまで耐えられる?」
「うおっ……があっ……」
「その子供の枷を外せ。そうすればここから立ち去る」
へなへなと座り込んだ男に、更なる恐怖を与えるべく私は素早く腰につっている鞘から細剣を引き抜き、男の右の頬に剣先を突き刺す。刃が通った後の部分にはじわりと血の玉が浮かび上がる。
「外さないなら……まあ、分かるだろう?」
「ひ……ひい! 分かったよ、子供は渡す。だから去れ……さっさと去ってくれ!!」
暴れる男を無視して、子供の方へと向かう。怯えてはいるが、私の事が敵だとは思っていないらしい。
「大丈夫か?」
ロープを側に落ちていたナイフで切り、口を封じていた布を取ってやると、少女はにこりと笑った。
「うん、ありがとう! お兄さん」
「出て行けよ……赤目!」
恐怖が最高潮に達しているのだろう。ガタガタと振るえる肩を両手でつかみ、甲高い声を散らしながら、男は叫ぶ。
「ああ、出て行くよ。さ、立てるかい?」
「大丈夫!」
「くそ……お前が来なければ今頃いい金が手に入ってたってのに……」
少女の微笑みと対照的に、男は顔をしかめて悪態をつく。とりあえず少女を外に出し、男と一対一の状況を作る。
「絶対にこの中を見てはいけないよ」
「うん!」
元気に返事した少女に笑いかけてから、そっと扉を閉める。ここからは容赦のない戦いだ。男の方に向き直り、軍帽を深く被る。
「許さねぇ……俺の生活をぶち壊しやがって……」
男の黒い目の奥に、渦巻く憎悪が見える。しかし、手を抜くつもりはない。あの少女を救うためにも、この男は犠牲になってもらわなければ。
「それは悪いね。ただ、生活……か。この状況でもそんな平和な事を喚けるとは」
「な……何が言いたいんだ」
「君の生活を壊したことは謝ろう。だが、喜べ。明日の心配はしなくていい」
男の口が開く前に、私は男の両腕を静かに切り落とす。
そして、少女の拘束を解くために使用したナイフを、今度は男の命を奪うために使うことにした。この細剣では切れ味が良すぎて、簡単に絶命してしまうからだ。
腹に深々と突き刺さったナイフを男は懸命に出そうとする。だが、血で手が滑って引き抜くこともできない。私が手を貸すが、男の思い通りにするはずもなく――。
「嫌だ……助けてくれぇ!! 悪魔だ……お前は、お前はぁぁぁ!!」
「ああ、そうだね。私は悪魔に見定められたんだから、当然だ」
せっかく抜けそうだったナイフをもう一度別の方向――肉の中で斜めに刺し直す。どうせ、抜いたところで大量に出血してしまうだけではないかと思うが、しばらく男の抵抗に付き合い続ける。
ずるり、と耳障りな音が響く。粘り気のある液体が私の頬に張り付き、男の体がゆっくりと崩れ落ちる。
「……無様な姿だな」
少女の分の恨みも込めて、数回ブーツの踵で踏みつける。もう絶命しているが構わない。
一応防音として別に持続性のある術式を貼っておいたので、少女に先程の出来事で出された叫びがもれる心配はない。しかし、あまり外に放置しておくのも悪いので、血を結晶に変えてから扉を開ける。
「お兄さん、大丈夫……? 凄く疲れてるよ?」
「ああ、大丈夫だよ」
「そう……あのおじさんは?」
「いないよ」
「え? どうして?」
「お兄さんが、外に逃がしたんだ」
子供との会話はあまり慣れないが、それでもどうにか少女をなだめる。彼女も納得したのだろう。コクリと頷いて私の前まで走ってきた。私は、膝をついて少女の目を見る。先程は暗く絶望に沈んでいた瞳も、今はまだ柔らかな光をたたえている。
「お兄さん、頬に血が付いてる」
「え? あ、ああ……そうだね……少し怪我したかな」
「……」
子供に嘘は簡単にバレてしまう。感性も鋭いこの子に、虚を見せ続けるのも悪いだろうか。私は、ほっとため息を吐いてから口を開いた。
「私が、あの男を殺したんだ」
「やっぱり。すぐわかった。でも、ありがとう。親がいないの。十歳になったから売られちゃった」
私と同じだ。この子はまだ小さい。十歳の子供から取引をすると決められているのだろう。私は親の姿すら知らないまま育ったが、知りながら棄てられるというのもなかなか辛いものがある。
少女の右手には、緋色に輝く宝石がついた指輪がはめられていた。小さな指を可憐に彩る指輪の美しさに、私はすいこまれそうになる。
「指輪、綺麗だね」
「……お母さんが、くれたの。誕生日だからって。これが最後のプレゼントになるとは思ってなかったけれど」
「お母さんは?」
その問いに、少女の顔が急に暗くなる。何かまずいことを聞いてしまっただろうか、と私がなだめるよりも先に少女の口が開いた。
「二年前に。それからずっと……」
「……」
なんとも言えない空気になってしまった。私は、身内以外にはコミュニケーション能力が高くない。何とも配慮を欠いた行為だと恥じるのはいつもあとからだ。どうしたものかと考えていると、私の首に絡みつくものがあった。銀色の糸だ。
「本当に子供の扱いが下手ですわね、兄様」
「アラネア! 隠れていろといっただろう!」
「あまりに兄様が苦戦しておられるようなので」
続いてライアも建物の影から顔を出す。
「スーちゃん……今度は術式じゃなくて子供向けの対応をお勉強ね。イデアちゃんに本の手配をお願いしておくわ」
ぽかりと私の頭を軽く殴るザニア。
「戦いより難しい……」
全員に散々に言われた私は、思わずうなだれる。子供とあまり接したことのない私にとっては、術式の勉強よりも難しく感じるのだ。
「まあまあ、私の糸で子供の注目は引けますわ。ザニアと兄様は一緒に戦闘を」
「私とアラネアは子供達の面倒を見る。それでどうかしら、兄様」
「スーちゃん……やっと私の出番が来たわね! 集団戦はお任せよ!」
「頼む。私は剣を握っていた方が楽だ」
アラネアは鞭だけでなく、銀色の糸も扱う。東洋で流行った遊びだと言うが、私にはよく楽しみ方が分からない。ライアは、現実に虚構をつくることが出来る。私もつい先程騙されたばかりだが、本物そっくりの景色を見せるため、子供達はきっと喜ぶだろう。
蜘蛛と嘘つき者。この双子の姉妹は良いコンビだ。
「貴方、名前はなんといいますの?」
「リュヌ、です」
「そう、リュヌ。ここに赤目の人々をまとめる長の人はいるかしら?」
「はい! 案内します!」
アラネア達にはまだ慣れていないのか、少し口調が硬い。だが、もうじき慣れてくれるだろう。
「それじゃあ、行ってみようか」




