#2 破壊と解放
あれから五日が経過した。傍観だけを強いられ、城でただ寂しく街を眺め続ける生活も、今日で終わりだ。
私は玉座から立ち上がり、深紅の絨毯を歩く。
緋色の大扉をそっと押し、中庭に続く回廊へと出る。
「ここから……出られる……」
何度も夢見た日が、ようやく来た。
その感動は心を震わせ、大理石で作られた床を踏む足を速く動かさせる。何度も何度も試して上手くいかなかった封印の破壊。
それが、今日叶う。
中庭に出ると、忌まわしき結界が露わになった。
魔術で生成した氷のつぶてを指で弾いて飛ばすと、ぶつかったところから不思議な模様が浮かび上がる。
何か特殊な術式なのだろうが、解読することは叶わなかった。
一瞬で消えてしまうのと、毎回どうやら違う模様が浮かび上がるようなのだ。あまり意味は無いと割り切り、諦めたのは何年前のことだったか。
玉座の前で展開された結界は、多少は外に追いやることは出来たもののこの場所より外には動かすことが出来なかった。
目を閉じ、リソースの吸収を開始する。使い魔(私はレムナントと呼んでいる)が集めた犠牲を全て変換し、力に変える。
白く輝く光の球が、城全体から私の元に集まってくる。
私が広げた十本の指の前に、光達は集合し、やがて炎球に変化する。
やはり、なかなか魔術を使ってこなかったためか、体への負担も相当大きいらしい。
体全体が鉛のように重い。骨が砕ける音がする。それでも、治癒術で治せるような傷だ。この心に負った、深い傷が疼くのは少しも治りそうにないのだが。
最上位術式は、初心者はおろか、優れた術者でも命に関わるので、使う者はまずいないし、教えない。だが、私はそれさえも習得した。誰にも教えて貰えないのならば、自分で学ぶしかない。
「――ドラケン・インテスヒト」
炎術最上位術式の一つ、ドラケン・インテスヒト。炎龍を多数呼び出し、猛攻を繰り広げる術式である。それ故に魔力の消費は激しいが、破壊には十分の力を持つ。
一点に力を凝縮させる。巨大な火の渦が、辺りを真っ赤に染め上げ、雪を被った芝生を焦土に変える。龍の姿になった炎達が結界を破壊せんと、一斉に炎の龍が猛烈な勢いで襲いかかる。
「この憎しみを……この怒りを……破壊の糧に!」
その叫びに呼応するかのように、炎龍達は低く唸り、何度も何度も体当たりを続ける。
「全て壊せ。叫び、荒れ狂え!!」
結界の内部は熱く、汗が滴り落ちる。亀裂が、結界の中心に入った。その中心から、割れ目が広がっていく。復讐への道が、ゆっくりと開かれていく。
「グルアァアアッ!!」
火龍が吠え、脆くなった結界を粉々に粉砕し。私は、三千年に渡る封印を、ついに破ったのだった。目の前に見えていながら、手が届かなかった世界にようやく足を踏み出せる。
「はは……はははは……やっと壊せた……」
限りあるリソースを使い切った為か、目眩がする。足下がぼやけ、焦点が定まらない。仰向けに倒れた私を心配して、私とそっくりの姿をしたレムナント達が、集まってきた。
「大丈夫? 兄さん?」
本当ならば、一番に礼を言わなければならないはずだ。なのに、力が入らない。立ち上がるのにも苦戦するような酷いありさまだ。
「ああ……心配しなくていい」
「やっと兄さんも外に出られるね」
「そうだな……何年待ち続けたか……」
「外の星は綺麗でしょ? 結界越しじゃあまり見えなかったと思うけど、ここならよく見えると思うんだ。僕たちはいつも外に出れたけど、兄さんは出れなかったもんね」
「ああ、綺麗だ……久し振りに、あんな小さな星まで見えたよ」
彼らは僅かに微笑み、四方八方に駆けていく。
それを見送ったあと、もう一度私は雲一つない夜空を見つめる。
ようやく出れた。あの忌まわしい結界の呪いから。
破壊した街は元通りに修復され、何事も無かったかのように普通の生活を送っている。
あと、数時間眠ったら、元気になるだろう。そうすれば、レムナント達に指示を出し、セーツェンに攻め入るのだ。私は治癒術を自らに施し、短い眠りについた。
*
「それにしても……随分と変わったね」
私が孤城にいた三千年の間で、街は色々と進化を遂げているようだった。取りあえず今は情報が少なすぎる。街の地形、動向、流行……全てを理解した上で復讐を進める必要がある。
私は外套を着込み、姿が分かりにくいようにしてから足を進める。コツ、コツと小刻みに固い音を響かせながら、街の闇に溶け込む。
中心を流れる運河は街の主要な交通手段らしい。運河の周りには商店が多く建ち並び、様々なものが売っている。
橋もかかっており、地上の交流も盛んなようだ。商人らしき人も何人か見え、物のやり取りが行われている。
その反面、街の路地裏は治安がいいとは言えず、罵声や悲鳴が飛び交っている……そんな雰囲気だ。
街の光と闇がはっきりと見え、私は何度目かのため息をこぼす。私が赤目であることが知れ渡れば、きっと闇の部分が大きく出てくるのだろう。
「路地裏を中心に攻め、貴族達にも手を出していく……それがいいかな。すぐにも手を出したいところだけど……殺されてしまえば、せっかくの計画が台無しだ」
争い事に紛れて殺せば、特に騒がれることもないだろう。街の人々も邪魔者がいなくなったと思うはずだ。
辺りを見回すと、ちょうど狙うのに良さそうな敵が見つかった。鞄に入りきっていない紙に、人身売買の対象である少年の情報が書かれていたのだ。闇取引であれば表ではやらない。
私はこっそりと後をつけ、細い路地に入ったタイミングで男の肩を叩く。
「ああ、君。ちょっと道を聞きたいんだけど」
「なんだぁ? 今急いでいるんだ。取引に間に……があっ!?」
「厚意を裏切るようで悪いね」
男の胴体に深々と刺さる剣を抜き、足で転がす。血が路面にしみこむが、水術で流しておけばそれほど問題でもないだろう。
「あまり喋らないでくれ。静かに終わらせたいんだ」
「俺は……俺はただ……」
「ああ……良いリアクションをありがとう。喰う側から喰われる方になった気分はどうだい?」
「さ……最悪だ!!」
「私は最高だよ」
慌てて立ち上がる男。しかし、そう簡単に逃がしはしない。運動もろくにしていないのだろう。
動きは遅く、腹が垂れている。男の元へ跳躍し、計三歩で追いついた私は、生成していた凍素を彼の足下に向け、発射する。
「フルール・イーサシブル」
ガラスを砕いたような音を響かせながら、空気中の水分が一瞬にして氷に変わる。私は指を鳴らし、足で強く氷の床を踏みつける。
すると、氷たちは一瞬にして花の形に変わり、花を支えるツルたちが男の足を絡めとる。
「無駄だよ……私は色々な術式が使えてね……逃げ場など、ないも同然だ」
「なっ……! 一面が氷漬けに!!」
焦る男を前に、私は長剣を引き抜く。黒水晶で出来たこの剣は、あらゆる命を貪欲に吸い込む。なので、何人斬ったところで、剣の切れ味は落ちることがないのだ。
「君とは初対面だから……なぜ、と思っているだろう。それにはちゃんと答えを用意してある――」
「犠牲になるなら、誰でもいい。それが君の命を奪う理由だ。笑ってくれても、憎んでくれても構わない……といっても、君にはもう聞こえていないのだろうけど」
「ひ、ひい!!」
今度こそ、明確な恐怖の色がありありと浮かぶ。しかし、藻掻くことしか出来ない。
「やめろ……やめてくれ!」
「騒ぐのは後にしてもらおうか」
耳をつんざくような甲高い声は、一瞬にして無惨に散り、悲鳴と返り血をまき散らしながら、男は息絶えた。
「……」
剣が吸わなかった余りの血をルビーレッドの宝石に変換しながら、セーツェンの状況を確認する。外で動きがあった様子もないので、人々はこの騒ぎに気づいていないようだ。
「楽しいね……こうも愚かに逃げ惑ってくれるなんて。君達の後ろに、静かな脅威が迫っているとも知らずに」
その時、微弱な魔力を感じ、耳に意識を傾ける。これは、雷術初等術式によるものだ。
現代では通信機器が発達しているらしく、レムナントにも買って持ってきて貰ったことはあるのだが、どうも性に合わなかったため、今でもこんな方法を取っている。
「あ、繋がった? 僕だよ、ヴェリテだよ。ねぇ兄さん……全員馬鹿みたいに命乞いしてきたのだけど、どうしたらいいかな?」
十人いるレムナントのうち、一番騒がしい奴だ。しかし、剣裁きは中々のものである。ヴェリテには、叩けば一番影響力を与えられる放送局に乗り込んでもらっていた。
「容赦はいらない。好きにしろ」
「分かったよ……兄さん。帰ったらワインをちょっと頂戴ね? 僕へのご褒美はちゃんと用意しておいてね!」
全員、私から分かれた存在なので私より身長や魔力量は低く、子供っぽい。だが、年齢は変わらない。なので酒も飲めるのだ。
「ああ。こちらも今日は収穫が良いからな」
続いて聞こえてきたのは、剣が風を薙ぐ音と、ぱちゃぱちゃと血だまりを踏む音、派手にガラスが割れる音だった。
騒がしいが、容赦はやはりしていない。私に判断を委ねておきながら、する気も無いのだろう。
「あはははっ! 楽しいよ兄さん! もっともっと兄さんの力になれるように、頑張って倒すね! 楽しいな……こんなに暴れても、誰も抵抗しないからやりたい放題! お陰で兄さんから貰った黒い服が真っ赤だよ!」
嬉々とした声が通信越しに聞こえる。
何故、私が最初の攻撃に彼を選んだのかと言えば、簡単だ。彼はレムナントの中でも、一番の狂犬だからである。それにしても……また服がダメになったか。
服の生成は少々面倒なのだ。糸と布を生成して、残りは手作業。勘弁して欲しいが、それも彼のことだ。
何度与えたとしても汚すのだから、もうそのままでも良いのではないかと思う気もある。
「兄さーん……服ビリビリで僕歩けないー!」
「演技はいいからさっさと一人で城に帰っておけ。服の手縫いは面倒だとあれほど言っただろうに」
「ひどい! 兄さんのいじわる!」
その文句には盛大なため息で返しておくことにした。彼にはもう少し大人になって欲しい。通信を切り、もう少し街を見て回ろうと足を一歩動かした、その時。
――頬のすぐそばを、銀色の閃光が通り抜け、綺麗に切断された銀色の束が宙を舞った。