#26 踏み込む覚悟
「なっ……何なんだ!」
「公爵、資料をよくお読みになりませんでしたか? 彼の分身とも言うべき子供達が多数いると」
涼しげに対応するディニタス。その笑みには、微かな驚きが滲んでいる。
それにしても、本当にあの男そっくりだ。身長や性別、髪型は様々だが、雪のように輝く銀髪と不気味な煌めきを見せる赤い目は変わらない。
彼を封印した先祖のタレスであっても、この子供達にはきっと驚くだろう。
「それで……君達は、何のためにここに?」
「分かっているんでしょう? 冷徹な天使の名を持つ貴方なら」
凄い煽り合いだ。バチリと火花すら立つような、そんな殺気が両者から噴き出している。
「ええ。指揮官を潰してしまえば、話が進みにくくなるという作戦は、戦地では非常に有効です。ですが……」
「私も一応、戦うこともあるんですよ? 時には患者を守るために……ね。まあ、あくまで後方支援ですので戦闘力には劣りますが、風術なら得意分野です……カリダ・ウェントス!」
「アドレビトクェ・オプリスク!」
暖かな春風と炎で出来た盾がぶつかり合う。
状況を冷静に判断し、臨機応変に対応する。
流石は、冷徹な天使と呼ばれるだけはある。屋敷を壊しそうだが、命を奪われるよりはマシだろう。
「へー……まあ、そんな事別に僕にとってはどうでも良いけどね! サンドラ、堅苦しい話はやめだよ! 兄さんに言われたでしょ。いっぱい倒せって」
「ヴェリテ、今日は張り切ってるね……いつもドジでスィエル兄さんを困らせてるから、私も頑張らないと……アインザム・ローゼン」
少女の周りに水色に光る球が多数生成される。少女が手を振ると、それらは集まって大きな一つの薔薇の形となる。
少女が空中に何やら描くと薔薇は砕け、破片が室内を蹂躙した。
「チッ……魔術を室内で使うな!」
正しいツッコミではあるが、子供達には全然通用していない。術式を使って高そうなグラスを割り、肖像画に傷を入れ、やりたい放題だ。
「あはははは! 壊そう壊そう! 兄さん喜んでくれるかな? ねえねえどう思う?」
「あの殺人鬼が喜んでも私は喜ばない!」
「まあ、別に君のことはどうでもいいし、聞く気もないけどね!」
続く破砕音。この数十分で一体公爵はどれだけの賠償請求をしなければならないだろうか、と考えつつ猛攻をしのぐ。
「ディニタス先生! 何か幻惑術式でないか……眠らせたり、麻痺させたり……流石に俺だけではちと限界があるってもんだ」
「あるにはありますが、仕方がないですね……ラクテウス・オルビス」
彼の周りに、星のような輝きがちかりと瞬き、川のように流れ出す。確か、その術式は術者の願いによって変化する特殊な術式だったような――。
そんな事を考えていると、ふらりと一人の子供が床に倒れた。目は閉じられ、気持ちよさそうにくつろぐ彼を全員が呆然と見つめる。
「ふわぁ……なんか……戦いなんてどうでもよくなっちゃったなぁ。眠いし」
「ヴェリテ! 貴方はいつもいつも……ネージュ、すみません。お願いします」
「了解! 私が皆を守る!」
少女が放った氷の破片が星達にぶつかり、虹色の光を散らせる。しかし、それでも相殺しきれなかった星達が、少女に激突する。
「くっ……なんとか耐え……たかな」
「いい加減、退いてもいいのでは?」
「嫌よ。スィエル兄さんのためなら、私は諦めない」
もの静かそうな温和な空気が、突如凍り付いたのを私は肌で感じた。
「ねぇ、続けましょう?」
*
どれぐらい、飛び続けただろうか。
いつしか、眼下に広がる光景が、砂色に塗られていた。まだ、街らしきものは見えないが、フィラレスに近づいているのは確かだ。
「兄様、ここからは歩いて行きましょう」
「……と言ってもまだ見えてもいないが」
「少し、事情があるのでここで飛ぶのを止めて貰いたいのです」
「ほら、スーちゃん。健康と美容のためよ! 歩くわよ!」
「ちょ……まっ……」
抵抗しようと力を込めるも、ザニアの鍛え抜かれた腕が私を離さない。
「あいたた……」
その感触は、砂と言うよりも石にぶつかったような感じだった。
「……本当にここから歩くのか?」
「いえ、兄様は一歩も動かさなくていいですわ。ですが、一つだけ」
大きく息を吸ってから、アラネアが口を開く。
手を固く握りしめ、自分を鼓舞するように足を一歩踏み出す。
「兄様は、ここから先の地獄を見る覚悟がありますか?」
「……急に何なんだ」
「答えてください。兄様」
あまりに真剣なアラネアの顔を見て、私は思わず息をのんだ。しかし、私はもう覚悟を決めている。だからこの荒野に来たのだ。
「私は幾らこの先に凄惨な現実が待とうとも進む」
その言葉に、双子は揃って目を伏せる。
まるで、私に隠し事をしているように。それを隠したままでいたいと願うように。
しかし、私はそれを許さない。
「言え」
「……ライア、術式の解除を」
「ええ。アラネア。これが現実です、兄様」
焦がれていた。私は、同士に焦がれていた。
同じ苦しみを味わい、同じ悲しみを背負った人々。
私はそんな存在に愛される事を欲していた。
だが。
「なんだ……この有様は……」
これが現実だというのなら。
私は、まだ生温い場所にいたのだろう。
壁にヒビが入り、屋根のない家。
水を得ようと思っても、近くに水源がないようだ。
建物も小さく病院らしきものが見えるが、まともな治療が受けられるかどうかも怪しい。
人気もなく、寂れた雰囲気だ。
街は賑わいがあるのに、少し離れればこんな光景が広がっているなど思いもしなかった。
私の場合は苦痛だったとはいえ、生は保障されていた。最終的には裏切られる結果となったが。
ふと、小柄な体が地に伏しているのが目に入った。
駆け寄ってみると、酷い傷が腕のかしこに残っている。
「大丈夫か! 今手当てしてやるから……」
倒れている子供を抱きかかえ、治癒術式を施す。
しかし、子供は動かない。もう、手遅れだった。
開いたままの赤い瞳が、私を見つめる。
ごめんな、と私は泣きながら謝る。
もう少し早く来れれば、この子供を救えたのだろうか。親は、どこにいるのだろうか。
目の前色は遺伝するわけではないので、もしかしたら親に見放されて一人荒野を彷徨っていたのかもしれない。
ふと、あの荒野が頭の中に浮かんだ。
大空を羽ばたく鳥を思いながら、足を引きずりながら歩いた道。
あの時の自分と、腕の中の子供が重なる。
三千年経てども変わっていない常識。
悲しさと同時に私を呑みこんだのは、激しい憎悪。
子供に生成した布を被せ、くるむ。
それを地に置き、軍帽を取り一礼する。
神も何も信じていない私はこれぐらいが限界だ。
深々と頭を下げたその瞬間、目尻に熱いものが込み上げてくるのが分かった。
頬を伝う雫を払い、私は空を見る。
冷たい星が私を嘲笑う。それでも、私は。
「絶対に……許すものか!!」
憎悪に溺れる私を、靄が包む。
レムナント達が驚愕の表情を浮かべるが、靄は私にまとわりつくのをやめはしない。
『クククッ……それで良い。貴様は復讐の炎に燃えている方が、似合っている』
「何も悪くない……何も間違っちゃいない……どうして子供が……狂った世界の餌食になる必要がある」
「兄様……」
「スーちゃん……」
「私は……ッ……ああ……どうすればいい!!」
混乱する私を、背から叩くものがあった。
仄かに感じる温かさ。私が求めてやまない温もり。
《スィエル。僕はずっと君を――》
夢の中で何度も聞いた声。それが今、背負っていた楽器から放たれるのを聞いた。
空耳だろう。勘違いだろう。しかし、私は信じることにした。
これは、親友からのメッセージなのだと。涙を拭い、軍帽を深く被る。
私は、今から地獄に足を踏み入れる。
もう、迷いはしない。
「赤目の人々に安寧を。加害者には終焉を。全員、私に続け。中心区はヴェリテ達に任せよう」
「はっ!!」
夜想曲。それは、あの日の夜の業火を想う曲。
今の私にとっては、許されぬ罪を留めておくための曲。
第2楽章完結、ありがとうございます。
次話は激動の第3楽章。新たに奏でられる物語をお楽しみ頂ければ幸いです。




