#25 交錯する思惑
夜が好きだった。
夜はいつも、自分の好きなことをしていた。
新しく使えるようになった術式を試した。
新しく覚えた言葉を何度も書いた。
時には、バイオリンを弾いた。
傷口に染み渡る音色は、私の心をほんの少しだけ明るくさせた。
夜が好きだった。
親友に会えた特別な時間。
見つかったら殺されてしまうのに。
私のような赤目に近づいてはいけないのに。
友は、いつもパンとミルクを持ってきてくれた。
パンもミルクも冷めていたが、何故か格別に美味しかったのだ。
夢中で私は食べた。
涙が溢れるのを堪えながら、私は差し出されたものを受け取っていた。
ああ、思い出せない。
君は私にいろいろなことを教えてくれたのに。
私が知らなかった世界を多く、語ってくれたのに。
それなのに、私は思い出せない。
名前も、姿も、忘れてしまった。
「会いたい」
会えない。友にはもう会えない。
何度も、何度も見た夢は叶わない。
あの温かみをもう一度だけ感じたい。
ただ、それだけ。
夜を想う。君を想う。
私はバイオリンを弾き続ける。
私を助けてくれた音楽。
君とわかり合えた一時の音。
どこで聞いているの? どこにいるの?
その問いには、答えてくれない。だが、私はいつも叫び続ける。
きっと、この大空に羽ばたいているのだろう。
そんな事を考えながら、私は音を奏でる。
「兄様、もうすぐ出発の時間ですわ」
双子の姉妹が仲良く私を呼ぶ。準備が出来たら二人に呼びに来て欲しいと言っておいたのだ。
「ええ。そうね、ライア。兄様、その楽器も一緒に連れて行くのでしょう?」
「ああ。勿論だ。今回は何日滞在になるか分からない」
この楽器は、いつも弾かなければ気が済まないのだ。骨から生成しているために、弦の変えも必要なく、コンディションもいつも万全に保っているため、壊れる心配はない。
「その楽器の音を聞くと、安心しますの」
「だから、赤目の方々はもっと喜びますわ」
「そうよねぇ。スーちゃんのバイオリンは天下一品だと思うわ!」
私を名前で呼ぶレムナントは一人しかいない。
軍服に、ブーツではなくハイヒール。そのため、私より身長が若干高く見える。
大型の弓を引っ提げ、長い銀髪はポニーテールにしてある。そんな彼の名は――
「ザニア!」
「んーもうありがと、スーちゃん!」
「その呼び名は止めろと言っただろう」
「ホントにさっぱりしてるわ……私の心はぱっくりだけど」
「勝手に割れてろ」
何かずがーんという効果音が聞こえたような気がしなくもないが、話を進める。
「スーちゃんのその冷酷さは私好きよ!」
「ああ、そう」
「そっけなーい! 私も一緒にスーちゃんと行くんだから……もうちょっと優しくしてくれれば……ね?」
「考えておこう」
「わ! スーちゃん優しい! 仲良しのハグね!」
突進してくるザニアを、私は氷の壁で弾く。
「スーちゃんはやっぱり厳しかったわ! 前言撤回ね。乙女にはもう少し優しくしないとモテないわよ」
「……三千年で一度もそんな機会はなかったから慣れている」
「あらあら……強がっても、甘えん坊さんなのは分かってるんだから。荒野に愛を求めに行くんでしょう?」
「……ああ。別に、君達を信頼していない訳じゃない。でも……私は、認められたい。愛されたい。温かみを感じたい。なのに今は……虚しい。寒い。何かが欲しくて堪らない……」
怖くて、体が震える。まただ。また、現実を見ることを恐れている。怖がっている。
そんな私を、彼は優しく包む。
「良いのよ、スーちゃん。甘えていいの。貴方はよく我慢したわ。三千年間、貴方は愛される事を待っていた。だから、大丈夫」
「その代わり、復讐はしっかり、ね? 貴方は何年も何年も我慢してた。だから、復讐する権利はある。赤目以外は殺して、奪って、楽しみましょ!」
「……ああ」
*
その頃。セーツェン中心部では、連続殺人事件の対策に頭を悩ませる者達がいた。
「まあ、こんなところか。お前さんはどう思うよ? ベルガ公爵」
統治者であるレグルス・ベルガに、仲介屋兼魔術師の私は情報を提供していた。
「……全く、君の情報収集能力は恐ろしいな。私が知らなかった情報が沢山だよ」
「それは光栄だ」
そう言われると、命懸けで彼に接触した甲斐があったというものだ。
リーベから提供された情報によると、
《所持魔力量は計測不能、武器は漆黒の細剣。物質硬度はトップクラスの9.8。扱いが難しい剣ではあるが、使えるようになればかなりの力を発揮する。宵闇では剣身が霞んで見えず、霧と戦っているようだった》
《人間を恐れている様子がある。また、悪魔が憑いている様子も確認した。ユートピアと名乗ったが、詳細は不明》
《最上位術式の発動、禁忌術式の物質変化まで使用可能。直接戦闘の殺害が望まれるが、近づくことも難易度が高い》
「伝承に名を残すだけはあるな……恐ろしい戦闘能力だ」
現場で撮られた写真には、数々の犯行の結果が映されていた。
どれも、正気の人間がする事ではない。
刺、絞、撲……死因は様々だ。
しかし、どれもあまり無闇に傷つけているといった様子ではない。最低限の手数だけで、彼は敵を屠っている。
「一番どこを傷つければ敵が弱るかを熟知しているんだろうな……だから、こんな事が出来る。愉悦のためではないね」
「ディニタス先生……」
ナハト・ディニタス。彼は、世界で活躍する医者だ。今日は犯行を詳しく分析するために、彼にも来て貰っていたのである。
「もっといたぶって遊びたいなら、最初の時みたいに焦らして弄べば良い。そうだったんだろう? ベルガ公爵」
「はい。命からがら逃げ出した指揮官の報告によれば、彼にスィエル・キースが術式をかけ、嘲笑を浮かべながら惨劇を傍観していた……と。その話を聞いたときは震え上がりましたよ」
赤目の悪魔。それが、彼についた呼び名だ。
冷酷に、残虐に、彼は命を等しく扱う。
「でも、最近は違うんだね?」
「ええ。最近は、大分感情を表に出すようになってきているんです。ですが……彼が暴走する回数も増え、犠牲者の数は倍増。今は、数えるのも恐ろしい」
毎日のように増え続ける犠牲者。
彼は対象を特定せず、影のようにどこにでも現れる。私の勘はよく当たる方だが、それでも限界はある。
「ふむ……暴走か。興味深いね」
「先生! 真剣にお願いします。彼は殺戮者。人の心もないような男に、何の興味が湧くというのですか?」
公爵は席から立ち上がり、机を叩く。
悔しい気持ちはよく分かるが、戦場でも活躍し、同胞達に【冷徹な天使】とも呼ばれる彼の前では無意味だ。
「殺戮者……ね。それはどうかな」
「はっ……? 先程見たでしょう? 何人も殺している化け物のどこが……」
「話は、あの子達に聞いた方が良いんじゃないかい? キースそっくりの彼らに、ね」
窓を割って、屋敷の中に入ってきたのは、流れるような銀髪と、月光を背に輝く赤い目。
揃った軍服に、様々な武器。
それらを一斉に構える。
「兄さんを愚弄しないでくれるかな?」




