#20 嘘つきの微笑み
「荒野って……僕達行ったことないね。マスターは行ったことあるのかな?」
マスターことスィエルから貰った資料には持っていくものと、派遣メンバー、それに地図が記されていた。イデアと一緒に整理した文章ではあるが、こうしてみると昨日徹夜した甲斐はあったと思う。
「ヴァーゲのまとめた資料は見やすくて良いですね」
「私は雪しか取り柄がないから、荒野は暑い……かな……良かったメンバーじゃなくて……」
紅茶を飲みながら、紙をめくるサンドラと、ほっと胸をなで下ろすネージュ。褒められるのは嬉しいが、鬼教官イデア様が課した課題を出すのが少々はばかられる。
「荒野はとっても危険なんだよ……って兄さんが言ってた事だけどね」
ワインをごくごく飲みながら、フラムは呟く。クッキーをパクパクと口の中に放るが、食べながら喋っているために欠片が床に零れる。その頭にビシッと銀色の鞭が当たる。
「痛い!」
「行儀が悪いですわ」
右眼に包帯を巻いた、淑やかな言葉遣いからは想像出来ぬ苛烈さ。銀の流れるようなセミロングに、綺麗に分けられた前髪が揺れる。
「君は……」
答えられずに口を開いたり閉じたりする彼に、鞭による容赦のない追撃が加えられる。
「……アラネアよ。確かにあんまり喋ってなかったけれど、忘れるのは酷いんじゃないかしらね? フラム?」
「あいたたた! ごめんって! ちょっと出てこなかっただけ!」
「そうですわ。言い訳無用。姉様の名前も思い出せないとは……いつも晩餐を共にしているというのに」
左眼に包帯を巻いたライアとアラネアは双子の姉妹である。アラネアが姉で、ライアが妹。姉の方は鞭使いで、妹の方は鎖使いである。
「ライアまで酷いなぁ……」
だってこいつご飯の事しか覚えてないもんというのはフラムとライアを除く全員が思っていた。
「それで、荒野には何があるの?」
一通り間食を終えたフラムはナプキンで口元を拭きながら尋ねる。
「一体あなたは何を聞いていたのかしら……」
「がっかりですわね、アラネア姉様」
やれやれ、と二人揃って首を振る。二人ともそっくりなので、ぱっと見では見分けがつきにくい。
だが、ケーキを前にするとその違いははっきりする。それは、ある日の茶会の事だった。
私が作ったニ種類のケーキを選んで貰って配ったのは良かったのだが、この二人で意見が真っ二つに割れてしまったのだ。
「ああっ……姉様! 何故タルトを食べないのです!?」
「タルトは欠片がこぼれてしまいますわ。あと、口がパサつきますの」
「姉様は紅茶のシフォンケーキばかり……紅茶に紅茶味のケーキなど味が被ってしまうとは考えない……そこが私は気に入りませんわ!!」
「何を言っているのかしら? タルトだと紅茶を何杯おかわりしなければならないのか検討がつきませんわ」
まあまあ、となだめたら二人揃って同じ顔で「ヴァーゲはどちらです!?」と言われたので、ガトーショコラが好きだと第三の回答をしたら酷い目にあった。そんな姉妹なのである。
「兄様が言われていたのはフィラレスという小さな村ですわ」
「私も何度か行ったことがありますが、それはそれは酷い世界でしたよね……姉様?」
「ええ。あまり行きたくないですが、兄様のためとなれば仕方ありませんね」
さっき受けた説明では、赤目の人間が酷い暮らしを強いられているというものだった。この姉妹も、その現場を目撃したのだろうか。
「ですわね……だってあの方……」
「私達レムナントが動かなければ生きることさえ出来なかったのですから」
一瞬だけ見えた寂しげな目は何なのだろうか。慌てる私を、にこりと彼女らが笑う。
「気になさらないで」
「深い意味はないのよ。ただ、そうね」
「囚われたままの主人と、私達。どちらも羽ばたく事は許されない」
「どうすれば良いのか分からないまま三千年が過ぎて、兄様は外の世界へと飛び出してしまった」
そうだ。結局私を含めたレムナント達は、膨大な時間を無駄に過ごしてしまった。虚ろな目で世界を見つめ続けていた彼のために出来たことは、もう一度機会が得られるようにただ命を繋ぐ事だけだった。
「私達は悩んでいるの。私達がしたことは正しかったのかって。兄様を刻限まで生かし続ければ、兄様の願いは叶うってそう思っていたわ」
でも、叶わない。愛されることを求めて、彼は日々人を犠牲に払っている。
最近は慟哭が毎日のように城に響く。バイオリンの音も、前と比べて明らかに萎れてしまっている。前までは私達を積極的に誘って弾いていたのに。
「兄様の夢はずっと夢のまま」
「あの方は夢を見たまま、待っている」
「…………私の話か」
大理石の像の一部がぐにゃりと歪み、中から長身の男が現れる。白い手袋に、表が漆黒、裏地がワインレッドの外套。目深に被られた軍帽の隙間からは、慈しむような目線が注がれる。
「兄様……!! とんだ無礼を失礼しました……」
「ずっと聞かれていたのですね……」
「ああ。もうそろそろ止めにするべきだろうと思ってね」
弱みを見せることを嫌って、彼はずっと笑っている。でも、私は気付いている。「マスターの心はもう限界に近い」と。
もしかしたら、あの災厄を繰り返してしまうかもしれない。私はその場には居なかったが、今でもその記憶に苦しめられているのをたまに見掛けるのだ。
「私は、判断を後悔しない。復讐のために叫びを上げ、三千年ぶりに地獄をもたらす。だから……協力してくれ」
「兄様がそう言われるのなら」
「分かりましたわ」
嘘だ。嘘だ。だから、もう笑わないで欲しい。そんな偽りの微笑みで、私を惑わせないで欲しい。「もうやめたい」と弱みを見せて欲しい。
辛いならば頼って良いのに、どうして彼は無理を続けるのだろう。
そんな私の思いを知ってか知らずか、彼はアラネアとライアをしっかりと抱きしめながら、微笑みを浮かべていた。




