#1 伝承の過ち
壊れた心を連れ、荒れ果てた街を歩いていた。
空は憎いぐらいに青く澄み渡っている。一羽の鳥が、ゆっくりと風を受けて飛んでいく。
ああ、気持ちがよさそうだな。私も、あんな風に外を楽しめたなら良いのに。そんなことを考えた。
崩壊したブロック片を踏み、傷だらけになった身を引き摺りながら、私は元々街だった場所を歩いていた。
直線の道を歩き続けてもなお、その街には残酷なまでに何も無かった。乾いた喉からは、声も漏れない。それなのに、何故こんな所を歩いているのか。
……私が街の何もかもを奪ってしまったのだ。この街の全てを、私は奪った。
怒りと憎しみに身を任せ、救われぬ嘆きを叫びながら、街の全てを奪い尽くした。何もかも壊した。だから慟哭も、叫声も、私の他に聞く人は居ない。
燃えた街が、しきりに私の名を叫び、呪っていた。
炎が踊り、私の軍服の外套は、半分ほどが焦がされた。熱波が肌を焼き、針が刺すような細かな痛みが、私を襲い続けた。
そんな中で、私は自分の罪に対して冷静に見つめるだけの余裕があった。
何故だかは分からない。悲しむという慈愛に満ちた感情も、悪魔に魂を売った私からは消え失せてしまったのだろう。
ただ、足を動かす。どこへ行く当てもないままに。一歩、また一歩と自らが犯した罪から逃れるように。
これは、ある街の伝承に伝わる男の話。
それから時は過ぎ、その男は復讐のために姿を現す。
* * *
《昔、セーツェンには赤い眼を持つ少年がいました。彼には名が無く、いつも一人ぼっちでした。
しかし、少年が大きくなって青年になったある日、彼は悪魔に願いました。そして、何もかもを壊すようになった青年は、街を全て焼き尽くしてしまったのです。
街を壊して、人も何人も殺した悪い青年を倒すように、何人もの兵士が男と戦いました。しかし、その青年を倒すことはできませんでした。
そこで、魔法使いが青年を倒しに大きなお城に向かいました。
その後、魔法使いは街に戻ることはありませんでした。しかし、青年が暴れる事もなくなり、セーツェンには平和が訪れたのでした。めでたしめでたし……》
ページが破けた古びた本を一通り朗読してから、私はその本を大理石で作られた床に乱暴に叩きつける。荒い息を何度も繰り返しながら、何とか気を静める。
私、スィエル・キースが主人公のこの話は、伝承を元に描かれたお伽話だ。だが、くだらない。何の教養にもならない。
書かれている事は全て正しい。
だが、描かれた本人にとっては許せないところが幾つもあるのだ。
「差別を受けなければ、こんな事にはならなかった」
私は、赤い眼を持っている。それが原因で数々の暴力や虐待を受けていたのだ。何度も何度も傷つけられた私は、それに逆らう力が欲しかった。
だから、悪魔と契約したのに。しかし、その事は一切書かれていない。ただ、私が悪者として描かれており、スィエル・キースが倒されたというところで物語は終わっている。
――違う。地獄のような物語は再び始まる。
玉座の裏側にある十枚のモニターを睨みながら、両手を小さく握る。奥歯を噛み締めて、私は耐え続けてきた。
ずっと冷たい城の中に閉じ込められ続けてきた。その屈辱も、もう終わりだ。
今度こそ、虐げた人間達に容赦のない復讐を行い、余さず殺す。
三千年間、私は息絶えた者達の血を食らって生きてきた。犠牲によって何とか命を繋いで生き延びてきた。
あと少しでこの苦役は終わる。そうすれば、思う存分、今までの憎しみをぶつけることができる。
「逃げ惑え。私を堕とした人間共よ……!」
私は悪魔に全ての犠牲を捧げて、力を得た。
それでも私は更なる力を欲して血を奪い続けた。
誰とも知らぬ魔術師に、結界の中に閉じ込められた時の、その憎んでも憎み足りない皺の多い老人の顔はよく覚えている。彼でさえ、私の理解はしてくれなかった。
「お前は永遠に罪を悔い続けろ」
その嗄れた声が今でも私を痛め続ける。暗い影の中に、今でも私が未来を奪った者達の顔が浮かぶ。
「誰も認めても、愛してもくれない。誰も、この孤独を理解してくれない」
分厚いカーテンを開けて、窓の外をのぞく。こんな辺境の地には誰も訪れない。そんな事は分かりきっているが、いつも考えてしまう。
窓に映る私の姿は、酷いものだ。
馬鹿にされ続けた血のように赤い瞳、肩にかかるほど長い銀髪に青白い肌。垂らされた前髪も後ろ髪のように長く、視界を遮る。肉は最低限ついているだけで、顔は骨のラインが見える。
亡霊のような容姿は、自分も嫌いだ。
黒のネクタイにワインレッドのベルト。
軍帽にもベルトと同じ色のリボンが巻かれ、金色のピンで留めてある。ブーツは膝の辺りまである長いものだ。
弱々しい体つきには似合わぬ服装だが、これを着なければ魔力の補正がかからないため、仕方ない。
今日も、何も変化はない。
だが、着実に解放には近づいている。
私を何年も閉じ込めていた結界が、もうすぐ破壊可能な耐久度になるのだ。この城は魔力で形を保っているが、どんなものでも時間が経てば耐久度が減少するのが普通だ。
厳重な鍵をかけている窓のロックを解除し、結界の耐久度を調べる。
「……あと、五日か」
長かったが、終わりが見えると安心できる。私は再び窓とカーテンを閉めて、玉座のそばまで歩き、玉座の横にあるガラスケースの蓋を開ける。
そこには、一丁の純白の輝きを放つバイオリンが収められている。
私はそっと楽器を手に取り、準備を一通り行う。そして、ゆっくりと弾き始める。寂しげで悲しげな短調の滑らかな響きは、残念ながら外の人間には聞こえない。
孤児院の中にあった誰にも見つからないような倉庫の奥に、一丁のバイオリンを見つけたのが始まりで、見つからないように隠れながら練習を重ねた。
魔術の腕は中々上がらなかったが、バイオリンの腕は、みるみるうちに上がっていった。
八年近く弾いていたものの、最終的には倉庫の中のものが撤去され、そこでバイオリンを弾くことは断念せざるを得なくなった。
今弾いているバイオリンは、骨で作ったものだ。
悪魔から授けられた物質変換能力を利用して、この楽器を作った。
自分が赤目ではなかったら、と考えたことは一度や二度ではない。だが、運命は変えられない。だから自分で足を踏み出すのだ。
私を拒絶した故郷へ。
「あと、もう少し……それで私は自由になれる……」
願い続けた解放の時。それを頭の中で何度も描きながら、私は再び音を奏で始めた。