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【完結】孤城の夜想曲 -伝承の復讐者-  作者: 茶ひよ
第2楽章 唯一の理解者
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#16 日常との差違

 赤い光が散り、僅かな浮遊感が消えた後に瞼を開く。


 壁には僅かな灯火と、仲間が描いた肖像画や風景画が飾られている。

 床には深紅のカーペットが引かれ、磨き上げられた大理石のタイルが黒々と輝いている。


「……戻ってきたようだな」


 玉座の光沢のある肘の部分を()でながらぽつりと呟く。金色の輝きは豪華な雰囲気を(かも)し出している。


 生活に不自由のないこの城は、本当であれば安心感があるはずなのに、今の私にそのような思いは少しも浮かばなかった。


 ただ虚しく、寂しい。そんな虚無感に満ちた青黒い炎が、私の心を焼き尽くす。


「キース様! いつの間に戻られたのです?」


「マスター、帰ってきたときはただいまぐらい言いなよ……」


「スィエル兄さん、その瓶は?」


「兄さん! どこに行ってたの?」


 レムナント達が口々に喋る。可愛い、私の子供のような存在。私が寂しさを紛らわせることが出来るようにと、悪魔が作った永久に動き続ける人形達。


「……気にするな。それより、街の方で進展はあるか?」


「うーん……ないね。特に面白いものはこれといってないよ」


 サンドラが用意したワインのボトルを、レムナント達にも分ける。ヴェリテとフラムが飛びつき、他がため息をつくのは見慣れた光景だ。


 いつもは笑って見られるはずなのに、今日はわだかまりが消えない。胸の中にずきりと(うず)くこの痛みは何なのだろう。


 青いリボンが巻かれた瓶を見つめても、あの温かみは帰ってこないし、残ってもいない。欲を言うならば、今すぐにでもあの温かな家に戻りたいのだ。泣き(わめ)いて、甘えて、優しく頭を(なで)でて欲しい。


 でも、そんな事は出来ない。私は、悪魔に取り憑かれた存在だ。これ以上(たわむ)れたなら、あの悪魔は必ず牙をむくだろう。


 善意の裏に、(おぞ)ましい程の狂気と陰謀を隠しもっている事は理解している。私が三千年も生きているのも、悪魔との取引によって得た報酬だ。


 他人の命を犠牲にして、毎日を生きる。それが、私という存在。悪魔に依存しなければ、私は何も得られない。


『ふふっ……自分の身の上の事はちゃんと分かっているようですね?』


「……見計らって出てくるな。邪魔だ」


『それは失礼。でも、貴方がいない間にレムナントたちは働き詰めだったんですよ? 勝手に主がどこかに行ったものだから、迷惑でした』


「それは悪かった。過労で倒れたようだ」


 承認を求める赤い目の数々。幼い時の私は、こんなに希望に溢れた目をしていただろうか。あの、絶望の檻に閉じ込められた二十一年間の間で、あんなに純粋な目で人を見ることが出来たのは何度あっただろうか。


「マスター、また何か考え事してるでしょ? 僕は分かるんだからね? 悩みを全部自分で抱え込まないでよね。それを心配している仲間だっているんだからさ」


「うっ……ヴァーゲは目ざといな」


 悪魔の声はレムナント達には届かない。私の脳内に直接囁き、私をいつも惑わせる。


「ねぇ、兄さん。いつも迷ってちゃダメだよ? いっぱい倒せば楽しいよ?」


「あの……えと……ヴェリテ。スィエル兄さんを困らせないで」


 たどたどしくネージュがヴェリテを止める。ヴェリテは、頬を膨らませたままワインの瓶を両手に持って駆けだしてしまった。


「はぁ。ヴェリテは放っておきます。数十分もすれば酔って寝ていることでしょうから。スィエル、外に行きましょう。私も書類整理は疲れたので」


「……そうだな」


 イデアが外に出たいというのは珍しい事だ。気晴らしも必要だろうと考え、防寒用の漆黒の外套を羽織り、外に出ることにした。





 城の外は、一面の銀世界だ。白が延々と続く大地が広がるが、そこに生き物は見えないし、人などいるはずもない。


 今日も、乾いた冷たい風が吹き続けている。城の裏には雪を被った山が連なっているが、その山を見上げることはあっても近づく者は一人もいない。


 銀世界の向こうに見える街は、今日も変わらないままだ。どれだけ、私が動いたとしても何も変わらない。


 ただ、悪魔の命令を遂行し、愛を享受し、消費するだけの日々。私が求めていた理想はこんなものだったのだろうか。


 バルコニーの金色のてすりにもたれ、目を閉じる。何人も人の命を奪った。その一人一人の顔を、よく覚えている。


 泣き叫びながら散った者。私を憎みながら散った者。そして、私に絶望を植えつけた両親の顔。それでも、まだ足りない。まだ、悪魔も自分も満足していない。


「……」

 

「さっきから何を塞ぎ込んでいるのです」


 フードを被ったままの少女が、浅く積もった雪を踏みながら歩いてくる。しゃりしゃりと雪が砕ける音がリズミカルに響く。


「怖い。奪うことが。自分が自分でなくなることが」


「貴方がそんな事を言い出すとは。人間に(たぶら)かされたのですか?」


「私だって怖いものはあるさ。ただ、弱みを出したところで状況が変わるわけでもない」


 ふと、イデアの方を見ると、彼女は笑っていた。それも、小さな肩を震わせて。よほどおかしかったのだろうか。ただ、私は真剣に答えたつもりだった。それをこうも笑われると傷つく。


「イデア?」


 苛立ちのあまり私は少し声のトーンを下げ、圧を込めて話す。だが、彼女の笑いは止まらない。


「仕方がないですね……貴方は迷い過ぎなんですよ。殺し、奪い、私に捧げることがそんなに難しいこととは」


 違う。これはイデアではない。私の目の前に立つこの少女の中身は、私よりも邪悪な存在だ。嫌な予感は見事に的中し、フードの中から黒い靄があふれ出す。


 靄は蛇のように細く凝縮し、首に絡みつく。締め付けはだんだんと強まっていき、息をするのも苦しい。


「があっ……悪魔……貴様か……!」


「アハハハッ……貴方がどうも契約を忘れているようなのでね。少し罰を与えようと思いまして」


 少し、どころではない。手足をばたつかせてからどうにか悪魔の拘束から逃れる。だが、悪魔はそれを許さない。再び手足を絡め捕られて、雪の上に無様に転がる。


「もがき苦しんだあの日の屈辱を忘れたんですか? 狂いましょうよ。貴方を愛してくれる人なんて全員貴方が殺したんですから。その手を赤く染めた事、よく覚えているでしょう?」


 忘れるはずがない。あの過去は拭っても拭いきれないものだ。力を願い、あの憎き両親の血を全身に浴びたときから私は罪人だ。それは理解している。


「何が言いたいんだ」


「貴方は罪人なのですから、今さら人間である必要もないでしょう?私が愛する事に何が不満なのです?」


「……不満はない」


「でしょう?」


「でも、私は人間だ。それは変わらない」


 小さなため息と共に、闇の拘束が解かれる。息を吸うことを我慢していた私は、投げ出されたと同時に激しくせきこんだ。首に痕がつくほど激しく絞められていたらしい。鮮血が柔らかな雪の上に赤い染みを作る。


「ああ、そうですか。まあ、貴方が人間だろうと人間でなかろうと私の興味には関係ありません。貴方が贄を捧げなくなれば、貴方の前から立ち去るだけですから」


「くっ……」


 歯噛みする私を嘲笑いながら、悪魔は言葉を続ける。


「貴方の憎しみは、私にとっては極上の餌になる……貴方が復讐を達成するまで、苦しみは終わらない。永遠に過去に苛まれ、亡き命たちの叫びを聞き続ける」


「ああ……ぐあああっ!!」


「貴方は、私と契約してしまった。数々の代償と引き換えに、貴方は多くのものを得た。愛情? 希望? そんなもの、貴方には必要ないでしょう? 貴方はただ、殺せばいい……それだけで、貴方の願いは達成できる。誰にも負けない、強大な力を手にできる」


「この鎖はなんだ……今すぐ離せ……」


「ふふっ。私は何もしていませんよ。貴方に殺された命たちが、怒っているだけです。その鎖は、貴方が生きている事に対しての怒り……それと、貴方が憎しみを忘れていることへの怒りです」


 私の体に突き刺さる、怒り。これから逃れることは許されず、私は罪を贖うこともできない。だから、重ねるしかない。


「悪魔……」


「サァ、私に命令を。我が主……もっと力が欲しいと、叫んでください。貴方はまだ弱い。他人に少し愛された程度で、心が揺らぐなど……貴方の罪は、もう取り返しのつかないほど重くなっているというのに。でも、力さえあればそんな甘い誘いも断ち切れる。狂えば、人間に心を許すこともない」


 悪魔の歪んだ笑みが、私の顔の前まで迫る。悪魔が乗っ取ったイデアの体は靄に包まれており、全身から悪意が溢れ出している。


「……分かった」


 私の口が自然に言葉を紡ぎ、悪魔に命令を下していく。悪魔は変装を解くと、いつもの靄の状態に変わり、力を私の体へと注いでいく。


「はは……あはははは! ああ……なんて単純なのでしょうね……やはり、貴方は扱いやすい。愛しても、愛しても満たされぬなら……いっそ、壊してしまった方がいいというのに」


「壊すな……それ以上は……」


「何を言っているんです? 言ったでしょう? その痛みは、貴方が奪った命の怒りだと。散々壊しているのに、貴方はまだそんな事を言う。だから、あの夫婦の願いも聞けなかった。壊すのが怖くて、何もできなかった」


「……ッ……」


「そうですよね? それなのに、中途半端な正義感で、壊すなとは。だから復讐もできない。何もできずに、私が憎しみを教えて、ようやく剣を取った貴方には酷なのでしょうが……貴方が憎まないと、赤目は更に酷い目に遭いますよ?」


「それは……」


 私は思わず、下を向いた。悔しさや、歯がゆさからではない。ただ、その通りだと思ったからだ。私は何もできずに、あの牢屋の中で助けをずっと待っていた。そんなときに、助けてくれたのがこの悪魔だった。力のない私には、この悪魔しか縋るものはない。


「ああ、その目です。その憎しみに溢れた目……絶望を知った目が、私は見たい。貴方は何も考えなくていい。赤目が味わった屈辱を――許そうとは思っていないでしょう?」


 私は何も答えない。もう、何を言ってもこの悪魔には逆らえない。そう感じた。人形のように動かない私を見て、悪魔は笑う。


「もっと力を手に入れて……他は皆、蹴散らしましょう? 貴方が守りたいものを守るために……他は全員犠牲になっても、貴方だけは幸せになれる」


 悪魔の靄で出来た手がゆっくりと私の顎に伸び、顎を上に持ち上げ、私の目線を上に向けさせる。ぼうっと光った悪魔の赤い目が細められる。


「他のために、貴方は今まで犠牲になってきた……だから、今度は亡者の嘆きも打ち払えるぐらい強くなりましょう?」

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