#14 復讐の意味
-セーツェン市街区中心部-
「いたぞ! キースだ! 絶対に逃がすな。拘束し、署まで連行しろ」
「……」
数時間前、私は全員参加での作戦会議を行った。その結果、これからは集団で対応する必要があるだろうという結論に至ったため、戦闘慣れしているヴェリテとサンドラの二人を連れてきたのだ。
久しぶりに市街地で戦闘を行うが、やはり手数は明らかにあちらの方が多い。だが、私はそれほど気にしていなかった。逆に、私を傷付けた直接の原因である軍の後継と考えれば容赦のない攻撃が行えるとも思った。
「キース様には指一本触れさせません……」
「僕だってやるときはやるんだからね!」
サンドラが闇術で敵の視界を奪い、ヴェリテが霧の中で戦闘を続ける。剣と剣が打ち合わされるときに発生する音の遠さを計算し、サンドラが正確に霧で敵を叩き、ヴェリテの戦闘の補助をしている。二人はよく口論になるが、連携を組ませるといい関係にはなるのだ。本人達は気付いていないようだが。
「……一人残らず、私が食らい尽くす」
あまりの猛攻に対処しきれずにヘルメットを外したところを集中的に狙う。ヘルメットでは上が見えにくくなるので、思い切って外したのだろうが、それは誤算だったと言わせて貰おう。額から血を流しているが、じきに息絶えるだろう。
暴力的な衝動が私の脳を刺激する。盾装備には私の刺突は貫通しにくいため、ヴェリテが盾と盾の間に強引に割り込み、陣形を破壊する。
頑丈な盾も、彼の暴力の前では紙のような薄い防御に等しい。鋭い金属音を立てながら、ヴェリテは縦横無尽に戦場を駆け回る。
「あははは! これでいっぱい壊せる!」
「貴様……子供のくせに……」
「ごめんね、こう見えてもお酒は飲めるんだ! 見かけで敵を判断したらいけないよ? 暴れた後には結構飲むし」
確かにヴェリテの見た目は少年そのものだが、力は強い。なめてかかった兵士達がそろって放り投げられ、彼が振り回した大剣の餌食になる。
「いっぱい血を頂戴! 暴れたくてしょうがなかったけど数日我慢したんだからいいよね?」
「誰が貴様などに……」
次の瞬間、右腕が神速の早さで振られ、吹き飛ばされた兵士達は、揃って壁に打ち付けられた。砂埃がもうもうと立ち込める中、少年の無邪気な笑い声が響く。
「まあ、嫌だって言っても僕はやめないけどね! だって楽しいから! ねえ、おじさん……突っ立ってないで僕のところにおいでよ!」
満面の笑みで彼は剣を振り続ける。兵士達は必死になって槍を投げ込んだり、火弓を使ってヴェリテを止めようとするが、まずそもそも彼は防御という言葉が頭にない攻撃特化型だ。風を割きながら飛来した深紅の帯が巻かれた槍はヴェリテをまっすぐに捉えるが、彼は動じない。
槍がヴェリテの目の前まで迫り、喉元に触れる寸前で、ヴェリテは両手で槍の刃の少し下の部分である銅金を掴み、ぶんと振り回した。強く踏み込まれたため、衝撃波がほとばしる。しかし、当の本人はまったく気にしていないようだ。
お前らごときが敵うわけがないとでも言うように、彼の口端には獰猛な笑みが刻み込まれる。
「なんだ……あいつ、槍を受け止めやがったのか!? くそ、止まるんじゃない!」
「無駄だよ、ヴェリテは私のメンバーの中でも火力型だ。そんな半端な戦略で敵う相手じゃない」
「そうそう! 僕をなめないでって言ったでしょ? と言っても、そこのおじさんは戦う気満々だね。仕方ないなぁ。じゃあ、消し炭にしてあげるね!」
ヴェリテは槍を巧みに使いながら、炎をまとった無数の矢を叩き折り、一瞬空いた左手で風術を起こし、地面に転がる矢の炎を巻き上げて全体に行き渡らせる。「消し炭にする」という宣言通りに、彼は戦場を紅く染めていく。
「サンドラも一緒に壊そうよ! 楽しいよ?」
「貴方のやり方は私は好みませんが、仕方ありませんね。これもキース様のためです――サーペント・ウィールス・スピリトス」
サンドラの左肩から白蛇が飛び出し、紫色の毒を吐く。彼の扱う毒にも数種類あるが、私は全ての毒に対して耐性をつける術式が扱えるし、そもそもヴェリテなどレムナント達にはまず効かない。しかし。
「があっ……何だこれは……体が焼けるように痛いぞ!?」
毒にはそれを解毒する相殺の術式を使う必要があるため、初見での対応は不可能に等しい。すぐに対抗する術式を唱えれば解毒は完了するが、ヤードの人間の中にそれを知っている者はいないようだ。
「じきに冷えますよ? その代わり体も血も全部冷えて、心臓も止まって凍りつきますがね……全く、火の処理は面倒だというのに……ウォルテ・ヴァルト」
サンドラが水術を唱えると、小ぶりの雨がざあざあと降り始めた。その雨は、私の心も癒やしていく。雨はいい。何もかもが洗い流されるような、そんな気がする。といっても、私が奪った命達が戻ってくることはないのだが。
彼らは短く術式を唱えたあと、赤い光の粒子となって消えた。高等雷術による転移だ。魔力も集中力もかなり消耗していたので、この判断はありがたい。
私の手から放たれる靄が、雨に流されかけている血を余さず食らいつくす。それでもまだ食い足りないのか、闇が口を開き、哄笑を零す。靄でできた欲望にまみれた手が、兵士達の身体の上を這いずり回る光景は、獄中で見た腐りかけのミルクに群がる虫のようだ。
「ふふっ、何をぼうっとしているんですか? まだ戦闘は終わっていませんよ」
僅かな癒やしの時間はあっという間に終わりを告げ、空を見ればサンドラが作り出した雨雲も消え去っていた。食事に夢中になっていた悪魔がわざわざ声をかけてくるということは、よほどぼんやりとしていたのだろう。
「……ああ」
私は剣を引き抜き、貪欲な悪魔に対しての贄を作る。絶叫に耳を塞ぎながら、目の前で起こる惨劇から目を背けながら。
私は悪魔の言いなりだ。それでも、悪魔は私を認めてくれる。私を必要としてくれる。だから、理解しない人間達を犠牲にする。
恐怖に怯えたその顔は、私の幼少期にとても似ていた。冷や汗が額から滑り落ち、権力に抗うことなど考えられずに、ただ暴力を恐れ続けたあの頃に、よく。
「やめろ!」
「無駄なことを叫ぶな」
左胸に正確に三度突きをいれ、深く押し込んでから引き抜く。分厚いプレートも、この剣にかかれば無いも同然だった。大きく開いた穴から、大量に命が零れる。
「もっと壊れてよ。もっと狂ってよ……まだ足りない。まだ壊れてくれないと満足できない」
とろりとした生温かい感触が、更に私の思考回路を溶かしていく。ああ、まだ欲しい。そんな欲望が私を闇に誘う。
真っ赤に染まった手袋を放り、鋭い爪で首に刺す。歪みきった笑みを浮かべる私の顔が、瞳に張り付いているのが見えた。欲を全面に出した、酷い顔だ。
「殺人鬼め……」
「いいや……私は殺したいんじゃないよ? ただ、悪魔に捧げる犠牲が必要でね……多ければ多いほど私は力を手にできる。だから奪っているだけさ……」
「そんなに奪って、一体何をするつもりだ?」
「私はただ、愛して欲しいだけ。愛して、認めてくれさえすればいい。その程度の事さえ、君達はしようとしない」
「ハッ……愛して欲しいだと? お前は殺すことしか頭に無いというのに? そんな悪魔を誰が認めるものか。誰が愛するものか。お前はただの……」
その言葉を私は睨み付けることで制する。
「黙れ。私は確かに殺すことしか頭にない。それは認めよう……だが、一つ言いたい。私は……貴様らに、ここまで壊された」
私はボタンを外し、軍服の袖を捲った。誰よりも醜い腕が、月の光を受けて青白く映る。あまりにも細く、枯れ木のような腕にはびっしりと孤児院で受けた傷が刻み込まれている。
「その傷は……お前は一体……」
「私は悪魔と契約を結び、私は今まで溜め続けた憎しみを復讐のために捧げると決めた。だから……私は殺し続ける」
逆手に持ち替えた細剣を、兵士の左胸に容赦なく振り下ろす。絶叫とともに大量の返り血が飛び散り、私の頬をじっとりと濡らす。一人、また一人と順調に殺戮は進んでいく。感情を殺したスィエル・キースという男によって。
他人に触れることさえ、許せない自分がいる。怖がっている自分がいる。
温かみを感じたい。他人と普通に接したい。ただそれだけの勇気さえ、私は持っていない。
自分は嫌われ者なのだ。その意識はいつも私を苦しめる。自分が嫌いだ。他人が嫌いだ。世界が嫌いだ。だからといって、具体的な解決策があるわけでもないのに。
他人を遠ざけて、拒絶して、復讐して。自分を壊すことに身を粉にして。嫌だ。嫌だ。だから、全て壊したくなる。
自分も、人も全員巻き込んで、私が経験した闇の底に沈めてみたいと、いつしか思うようになっていた。そうしたら、まだ関われる。まだ、味方として、仲間として、見ることが出来る。
誰でも良かった。誰でも、この壊れきった心を癒してくれるなら。それを追い求めて、私はあの城から外に出たはずだ。得られないと知りながら、世界が変わっていないことも知りながら。
なのに、どうしてこんなに心が冷えるのだろう。何故こんなに寂しいのだろう。
「……ああ……ああああああ!!」
絶叫しながら、私は何度も突き刺す。分からない。理解できない。
混乱は暴力となって、私を駆り立てていく。私は、他人と普通に関われない。力という悪魔に貰った力でないと、他人と干渉できない。肉塊を手で掴み、ようやく我に返った私はショックでその場に膝をつく。私の手から離れ、放り棄てられた剣が乾いた音を響かせるが、今はそれどころではない。
「ああ……また私は……」
夜の風が、私の頬を撫でる。それとともに頭の奥底がじんわりと冷えてきて、一気に後悔が押し寄せる。自分はただこの立場を理解して欲しいだけなのに。どうしてこの手を赤く染める必要があるのだろう。
立ち上がり、重たい足を引き摺りながら、どれぐらい歩いただろうか。ふと、私の前に一軒の家が現れた。その家からはとても温かな光がもれているが、私はそこに立ち寄ることを躊躇った。
ああ、幸せそうだな。とそんな事を考える。でも、私には届かないものだ。伸ばしかけた右手を左手でぎゅっと押さえる。人を散々殺した私に、そんな光を得る資格はない。そう心に言い聞かせながら。
足を動かす。家の方向ではなく、元の歩いてきた道に。体力はもう限界に来ていたが、それでも足を動かす。右も左も分からないが、ただ闇雲に。
段々と視界がぼやけていく。もう、一歩も動かせない。蓄積した疲労とストレスが、私の体力を奪っていく。膝に力が入らず、私の体はゆっくりとその場に倒れ込む。
「大丈夫か!!」
遠のく意識の中、そんな声が聞こえた。