#13 小夜の晩餐
奪っても満たされない。自分を壊しても、人を壊しても、この渇きが満たされることはない。
私が望み、私が欲したものは幾ら掴んで離さないと誓っても、いとも簡単に雫のように、手のすき間からこぼれ落ちていく。
奪いあうために。殺しあうために、私は再びこの街に舞い戻った。本当は分かっていた。言われなくても分かっていた。
「私の事など忘れている」
私がここまで果てた理由などもう誰も知らない。
「誰も私を必要としてくれる人なんていない」
私が生きる理由などないと。分かっていたはずだった。それでも私は、壊れたままの心を癒す、悪魔に縋った。
笑えない演目だと誰もが嘲るだろう。馬鹿にして、蔑んで、ひとしきり傷付けた後、「お前は悪だ」と切り捨てるのだろう。
私は狂いたかった。狂って、全て忘れてしまいたかった。
幼い頃の記憶も、両親を殺し、血を全身に浴びたあの日のことも。
捨てて、棄てて、壊れて。そうしたら、まだ救われるだろうと、愚かなことを思ったから。
ああ。思考が闇にのみこまれていく。夜を告げる鐘の音が高く、鳴り響く。
憎しみと怒りが私を誘う。苦痛を、叫びを体が求める。抑えることの出来ない欲望は膨れ上がり、やがて一つの衝動を作り上げる。奪いたい。力尽くでも奪い取って、壊して、めちゃくちゃにしてしまいたい。
壊れたものを愛して、愛して、そして、見返りとして愛して欲しい。そんなものは、私のエゴでしかないはずなのに。
「サァ、今宵も暴れましょう?」
――!
悪魔の声で、私は跳ね起きる。軍服ではなく白いシャツを私はまとっていた。汗がじっとりと背に張り付いて気持ちが悪い。それにしても嫌な夢だ。
窓の向こうを見ると、もう日は暮れかっている。昨日はかなり長時間の戦闘をしていたから、寝込んでしまったのだろう。戦闘に関しての正確な記憶はほとんどない。
狂ったように叫びながら戦っていたのは曖昧ながら覚えているが、敵を何人相手したかは分からないのだ。ただ、悪魔の楽しそうな声だけが私の頭の中に響いていた。
嫌だと言えども、悪魔の取引には従わねばならない。そうでなければ、力も愛も何も得られぬまま、命を奪われる。
体を起こし、乱れた髪をとき直し、シャツのボタンを上まできっちり留め、黒のジャケットを羽織る。
「キース様! 夕飯の支度が整いました!」と私を呼ぶ元気なサンドラの声が部屋の外から聞こえる。今行くから、と返事をして私は歩き始めた。
*
廃墟と言っても、それは一階の大図書室以外のフロアだ。二階や三階は普通に生活出来る程度には整備されている。私がいつも生活する深紅の間は三階、この食事場は二階に位置している。
十一人全員が集まり、一堂に会するのも夕食だけなので貴重な時間となっている。
「で、西部の街の様子はどうだったんだ?」
西部に行かせていた三人に対して質問を投げかける。はじめに、小さくネージュが手を上げた。
「えっと……結構街は警戒態勢が敷かれてますね。私の隠蔽凍術で全員隠れていたのですが、辺りを見渡したり、装備も重装備で……」
そこまででネージュの口が閉じる。何かを言おうと目を宙に泳がせて、考えてはいるものの、出てこないらしい。
ネージュの横に座っていた眼鏡をかけた短髪の少年がスッと手を上げる。
「マスター、続きは僕が説明するよ」
「ああ、頼む。ヴァーゲ」
ヴァーゲは、基本戦闘要員ではなくよく叡智の間にいる。しかし、彼を外に出したのは、イデアでは整理しきれぬ分の情報を集めるためだ。
イデアは地理や術式の傾向などの自然関係の分析は得意だが、戦闘の分析には向いていない。
ヴァーゲは逆に、武器や戦術の提案をイデアが出した情報を踏まえて分析して、提出する仕事を請け負っている。
「ちょっと、それはまずいんじゃ……だってスィエル兄さん、まだ手をつけてないのに……」
ヴァーゲの側にいたフラムが、大振りのチキンに手を伸ばすのが目に入る。彼も偵察に行かせた三人のうちの一人だが、他のレムナント達が食べているのを見て、待ちきれなくなったのだろう。
話の途中だからだといって見逃すほど私も甘くはない。チラリと視線を移すが、まだ彼は気付いてないらしい。
こういうときこそ他人に厳しく、部下や自分にも厳しくだ。指先に初等炎術のイメージを描き出す。極小規模の火球が五本の指から放たれ、ぽんっと音をたてて彼の頭に直撃する。
「あっつい!」
「しばらくの罰だ。凍術では容赦が効かないからな……全くお前もヴェリテもせっかちなところは治らない……」
食いしん坊なフラムは炎術の使い手なので一番影響はないはずだが、彼はよくオーバーリアクションをするのだ。転げ回る彼の首根っこをぐいっとネージュがつかむ。
「スィエル兄さん、とりあえず私が隣の部屋に連れて行きます」
いつもはおどおどしているネージュだが、フラムを連れ出すときだけは何かと躍起になるのである。油断していると、ご飯を食べられてしまうためだ。
「ううー……今日のご飯美味しそうだったのに……ちくしょー……」
「あなたが食べなければ良いだけの話なの!」
ずるずると引きずられながらもご飯の心配をするフラムに、ネージュの容赦のない叱責が飛んだ。
「マスター、食べないの?」
ナイフとフォークを持って、丁寧に切り分けるヴァーゲと、私の前にスッと出された温かな料理の数々。
「えっ……ああ……そういえば話の途中だったな。続けてくれ」
「うん。ネージュの言っていたとおり、重装備でかつ大人数だ。兄さんの剣じゃ限界があると思うよ」
私が使う細剣、オブシディアン・アウローラは耐久度には優れているが、射程はそこまで長いわけではない。少人数の相手ならば出来るが、鎧に身を包んであれば、隙間を狙って刺すのも難しいし、大人数の相手をすることは精神的な疲労も伴う。
「そうか……私も考えねばならないな」
あの時のように燃やしてしまえば簡単だが、また同じ事を繰り返していては、いつまでも私の望みは叶わない。
「ああ、あと懸賞金もかかってるみたいだ。捕らえたら結構な報酬が貰えるみたいだから、市民も躍起になってたよ」
「……全員、敵か」
正直、それは意外だった。捕らえたところで、何も話す気はない。ただ、彼らの望みはそんなものではないのだろうと思った。
「私を人々の前で処刑する気だな……きっと。見せしめとして多くの野次馬達に見せるのだろう」
「僕もそう思うよ。だってマスターは、捕らえられたとしても逃げるでしょ?」
「もちろん。私だって、傷を何度も負いたくてやってるわけじゃない」
そう。私は子供のときに得られなかったものが欲しいだけ。この渇ききった心を満たしてくれるものが欲しいだけ。
それだけのために、私は何年も苦しんでいる。当たり前が分からない。普通が分からない。だって私は、最初から普通じゃなかったから。赤目で、覚えが悪くて、醜い容姿だったから。
当たり前、普通。それが何なのか分からない。誰が基準? 誰が定めた? 誰が、私を無価値だと位置づけた? 命を奪い続けても、その答えは出ていない。
「……マスター、顔が強ばってるよ。お肉も固まっちゃうし、早く食べた方が良いんじゃない?」
はっと顔を上げると、ヴァーゲが心配そうにこちらを見ていた。彼の皿は既に空になっていたが、私はというと半分ちょっと食べた程度で、サラダもスープもそのままだった。
「そうだな。少し後で会議を開こう。私も色々と整理したい」
「了解。じゃあ僕は皆に伝えておくね」
彼が消えた後、しばらくして全員が食事を終え、私一人が広間の中に残されていた。孤児院ではあり得ない光景だ。私は食事すらまともにとれなかったのだから。
そんな中でも、私のためにパンをくれた人がいた。それはぼんやりと頭に浮かぶ。だが、それが誰なのかが分からない。それ以上は思い出せないのだ。憎しみの記憶だけが、私の頭の中をぐるぐると回り、邪魔をする。
「悪魔、貴様が奪ったのは……私の記憶か」
忌々しげに呟いたその問いに、答える声はないままだ。




