第五十三話 フォードの本音
エドヴァルド達が出国して、五日が経っていた。口数の多いマリーやネヴィアスが不在なせいか、城内に人の声はあまり響かない。その代わりと言ってはなんだが、アンナとエリックの戦闘訓練は過激さを増し、喧しい音が城内のどこにいても聞こえる程だった。
──その日の夜。
仕事を終えたシナブルは、自室に戻ると上着を脱ぎ窓辺の椅子に腰を下ろしていた。ぼんやりと天井を見つめた後、シャワーを浴びようと立ち上がったその時、部屋の扉が控えめにノックされた。
「はい」
「俺だ」
「フォード?」
ドアノブを引くと、何やら思い詰めた表情のフォードの姿。彼が仕事の後に私室を尋ねてくることは珍しかった。酒の誘いなら稀にあったが、彼のこの表情を見れば、只事ではないことくらい理解が出来た。
「何事だ」
「姫の事で……話がある」
「入れ」
同じフロアに私室のあるシナブルの兄ルヴィスや父のコラーユはエドヴァルドに同行しているし、弟たちは眠っている時間だ。誰にも話を聞かれる心配はないだろうと、シナブルはフォードを招き入れた。
「姫とエリック様のこと、どう思う?」
「何を藪から棒に」
部屋の入口近くの壁に背を預けたフォードの斜め向かいの壁に、シナブルは背を預ける。二人の視線は絡まるが、フォードは下唇を噛んだまま一向に口を開かない。
「お前の言いたいことはわかる。先日は良い雰囲気だったじゃないか。このままいけばきっと……」
「お前、本当にそう思うか?」
「……どういう意味だ」
怪訝そうに眉を寄せたシナブルの額に、血管が浮き上がる。腕を組んでそのままフォードを睨むと、彼は観念したのか、短く溜息をついた後に口を開いた。
「良い雰囲気ではあったが、喧嘩別れしたようなものだったじゃないか。いつもこうなるだろう?」
「まぁ……そうだが……」
「いつまでももこのままでは、よろしくないと思わないのか?」
フォードの言うように確かに、ここ数年でアンナとエリックの関係は良好なものになりつつあった。しかし、結果的にはいつも喧嘩のような形になってしまうのだ。
「……ずっと考えていたことがあるんだ」
「何だ?」
「エリック様に、ティファラ・M・ラーズを殺したのは、姫ではなく……この俺だと、お伝えするべきではないのか?」
「は……何を今更。一体何年前の話を持ち出すかと思ったら」
エリックの婚約者であったティファラを殺したのはフォードであったが、エリックはその事実を知らない──エリックが事を見ていなかったのをいいことに、アンナが自分が殺したように偽るよう、臣下達に口止めをしたのだ。
「俺のせいで姫とエリック様の関係が進行しないのは、やはり駄目だと思うんだ」
「しかしお前……エリック様に事実が知れれば──!」
「俺の命はないだろうな」
エドヴァルドの命令は、エリックとティファラの生け捕りであった。いくらアンナを庇うためとはいえ、フォードが殺してしまったとエドヴァルドに知れれば──フォードの命はなかっただろう。それ故、アンナはフォードを守るため、自分の過ちでティファラを殺してしまったのだと父を欺いたのだ。
「俺の命と一族の繁栄を天秤にかけた時、重みがあるのは一族の繁栄……次期国王であるアンナ様がお子を成すことだ。そんなこと、言わずともわかるだろう?」
「しかし姫はそれを良しとしない! そのくらいわかっているだろう? 何のために姫が──!」
「わかっている、だから今まで悩み続けてきた」
アンナはこの事実が露見して、フォードの命が奪われることを恐れている。だからこそ、自分の失態だと父に報告し、罰として拷問まで受けたのだ。彼女は、それほどまでに臣下達のことを大切にしているということだ。
「姫のお許しもなくそのようなこと……! っ……許されるはずがない」
「許されようなどとは思っていない。ただ……」
「ただ、何だ」
「エリック様は……姫に靡いていると思わないか?」
鋭いことが常のシナブルの目が大きく見開かれる。唇は固く結んままだが、驚愕していることは明らかであった。
「最近、お二人の殺し合いが減ったとは思わないか?」
「まぁ……確かに」
「一体何故だと思う? あれほどまでに憎しみの感情をぶつけっていたというのに」
エリックがこの国に連れてこられた当時のことを思い出すと、二人揃って胃が痛くなる。毎日のように殺し合い、それを止める日々の連続で、休む暇もなかったほどだ。
「最後にエリック様が姫を襲撃したの、いつか覚えているか?」
「……いや」
「俺もだ。それほどあの方は……姫に靡いて……姫のことを、許しているということではないのか?」
エリックはアンナが大切な婚約者を手にかけたと信じ切っている。にも関わらずここ最近のこの態度は──つまり──
「つまりは、そういうことなのか?」
「恐らくな」
「しかしエリック様が姫のことをお許しになっているにしても……事実を知れば……お前がエリック様に殺されるだろう!?」
「それは構わない」
「ふざけるな! 埒が明かない!」
シナブルは大きく息を吐いて天井を見上げる。ゆっくりと顔を下ろしてフォードを見つめると、徐に口を開いた。
「……が、もしかしたらだ、姫がエリック様を説得すれば、止まってくださる可能性もあるのか?」
「ゼロではないかもしれないな」
「確信が低い……推測ばかりではないか!」
「何故お前がそこまで……俺ごときのことで感情的になる? エリック様の心が動いているのが事実であれば、喜ばしいことだ」
フォードの言葉に奥歯を噛み締めたシナブルは、苛立ちを隠さないままフォードに詰め寄った。スーツの胸倉を掴むと、腕を震わせながら口を開く。
「俺だって姫と同じだ。お前には死んで欲しくないと思っている」
「優しいんだな」
「俺は真面目に話しているんだ」
シナブルとフォードの付き合いは長い。シナブルはアンナが生まれた時から傍に仕えているが、フォードはファイアランス軍からアンナが引き抜いてきた元軍人。仕事とはいえ数十年にも及ぶ付き合いの仲で、二人の間に友情に近いものが何も芽生えていないというわけではなかった。
「シナブル、お前は姫と俺とどちらが大切なんだ?」
「姫だ」
即答する姿にフォードは呆れて笑みを落としてしまう。シナブルは出会った時からずっとこうで、これからもそれが揺らぐことはないだろう。
「それならば……わかってくれ。エリック様が姫のことを許しているのであれば、俺のことも許して下さる可能性もあるだろ?」
「……楽観が過ぎる」
真面目なフォードにしては些か軽率に思える発言に、シナブルは顔を顰める。自分の命を軽んじることは、アンナの命令に背く行為だ。
「お前が……自分に関わることで、言い出したら聞かないことは理解している」
「話が早いじゃないか」
「一先ず、今のエリック様のお気持ちを確認してから事実を話さないか? そのほうが確実に事が進むと思うんだ」
「しかし、エリック様が素直にご自身の気持ちを話して下さるだろうか?」
二人揃って腕を組みながら首を捻って考えを巡らせる。思い返してみれば、エリックはアンナに対して積極的に気持ちを伝えていたように思えた。
「……姫の御髪が美しいのは、今に始まったことではないというのに……今更」
「シナブル……まだ怒ってるのか、それ」
「あれは許せなないだろう!」
「半分口説いているようにも聞こえたもんな」
先日の戦闘訓練中、エリックがアンナの髪の長さに言及し、褒めたことがあった。あの時の二人の表情を、シナブルは忘れられずにいた。
「姫は満更でもなさそうなのに、エリック様のことを拒絶なさっているのは……自責の念のせいだろうか」
「姫が満更でもない、などという言い方は止せ」
シナブルの顔が少しずつ不機嫌になってゆく。アンナの事を信仰神のように扱うシナブルからしてみれば、ほんの僅かでもアンナを侮辱するような言葉が耳に届けばこの態度だ。
「姫は何も悪くないというのにな……悪いのは……俺だ」
「自分を責めるのはもう止せ」
「……せめて、俺の口からエリック様に説明させてくれ」
「任せるよ」
「明日、お伝えしようかと思う」
フォードの決意に、シナブルは黙って首を縦に振った。
「同席はする」
「心強いよ」
緊張の糸が切れたように、フォードが僅かに笑みを零す。シナブルに礼を言うと、彼の部屋を後にした。
*
──翌日。
城内の家族が少ないことをいいことに、アンナは連日戦闘訓練に励んでいた。喧しく訓練をしても、人気が少なければ騒音に文句を言う者も少ないので好都合であった。
「父上達は夕方頃お戻りになるんでしょ?」
「はい、その予定です」
「それならば、早い時間からさっさと始めよう」
時間が惜しいと言ったアンナが、臣下たちとエリックを引き連れて向かったのは戦闘訓練用闘技台壱番だった。西側の海に面し、一番の広さを誇る闘技台だった。
いつも通り、入れ替わりながらアンナは剣を振るう。フォードを打ち負かし、シナブルと入れ替わろうとした──その時だった。
「……何だ、今の声は」
断末魔のような──重々しい叫びが、四人の耳に届く。まさしく城の方から聞こえたその声に、アンナは飛行盤を使って駆け出した。




