4 よみがえる過去
電算室の鍵をもらって帰宅した後、妹にレターセットをくれないかと頼んだ。再三理由を聞かれ、学校で必要になったと嘘をついたが、クリッとした大きい瞳からは疑惑の視線が浴びせられた。
「はい、これ。おにぃの言う通り1番シンプルなの持ってきたよ。」
「ありがとう、麦。何か欲しいものとかないか?」
タダで受け取るのも気が引けたので、アルバイトで稼いでいる分お礼と兄貴としての威厳を見せるため尋ねる。麦は、その言葉に年相応の笑顔を咲かせたが一瞬にして眉をひそめモジモジし始める。
7つ年の離れた妹の麦は今年小学校6年生。母譲りの向日葵のような明るく色素の薄い瞳がチャームポイント。父親似の活発な性格から、ご近所にも愛される自慢の妹だ。普段なら、ハキハキとした言動をするのだが今回は様子がおかしい。大地は、体調でも悪いのではないかと心配になり、おでこに手を当てて見たが異常はない。麦は慌てた様子で後ずさりて前髪を整えると
「おっ…お風呂上がったばっかでぼーっとしてたや…おにぃからのお返し、また今度でもいい?」
「分かった。それより、疲れてるんじゃないか?一生懸命なのはえらいけど気をつけろよ。」
「うん、ありがと。じゃっおやすみなさい!おにぃ。」
といつもの調子で白い歯を見せながらニカッと笑い、就寝前の挨拶をして自室に入っていった。
その後ろ姿を見送り大地も部屋へ戻り、筆箱からシャーペンと消しゴムを取り出し作業を開始する。忘れないうちに便箋に相手と自分の名前を書き次に、便箋へ移る。問題はここからだ。
主文の内容は、電算室へ彼女を呼び出す事で決定していたがそのままだと良くて告白の呼び出し、悪くて果たし状のそれになってしまう。そういえば麦が
「字の上手い下手はあくまで外見。文は内面が現れるから思いのまま書けばいいんだよ。それに、おにぃからもらうんだもん。ぜぇっったい喜ばないはずないよ!」
と実に深く、身内にど甘いアドバイスをくれた。その思いを書き出すのに苦労する事約3時間。普段なら布団に潜り込みダラダラと惰眠を謳歌しているのだが、ハイになっているためか眠気も時間経過も感じず苦痛ではなかった。日をまたぐ前には封を閉じることができ、明日に向けて就寝準備を整える。
1番目立たず安全に届けるには、人気の少ない時間帯に猫田の靴箱にいれる必要があった。幸い、早朝登校をするような奴でもないし、朝練の生徒が入った後に行けば誰にも見つからずに任務を遂行できる。
しかし、大地は低血圧の朝が弱い人間だ。どうしたものかと頭を抱えると、記憶の端っこに残っていたある物の存在を思い出した。押し入れの奥から、子どこの頃に使っていた目覚まし時計を探し出し、アラームをセットする。いつもなら、スマホで5分おきのスヌーズに頼っているが、それでも起きない時があるのだ。
出来上がった手紙を鞄にしまい、明かりを消す。
気が高ぶってそう簡単に眠れそうになかったが、慣れない作業に目を酷使した為、直に瞼が熱くなってきてあっという間に眠りについた。
大きいベルの中で爆発が起きたのかと錯覚させるほどの騒音に脳を揺さぶられ、叩き起される。
小さい頃から朝に弱かった大地に、誕生日プレゼントとして買い与えられた通称爆弾時計は効果的面だ。副作用として、軽い頭痛とめまいを伴うので当時は一晩で電池を引っこ抜き、父親に文句と一緒に投げつけ言い合いになったのも今となっては笑い話。
不調を訴える頭を支えつつ、手短に用意を済ませると、駆け足で学校へと向かった。
部活動の朝練が始まって間もない頃、汗ばんだ手をにぎりしめ、猫田の靴箱前に立つ。大地は小学校の授業の一環で書いた''10年後の自分へ''以来、自主的なものとしては人生初となる手紙を鞄から取り出して、中へ入れる。
(大丈夫。何回も書き直して何十回も見直した。大丈夫、上手くいくさ。)
神頼みの如く大きな拍手を2回、締めにお辞儀をする。ふぅっと一息付き、教室に向かうと初めて誰もいない朝の校舎を歩いた。大地は席に着き、ミッションを無事成功させた自分を褒め称える。HRまでたっぷりと残った時間をどう潰そうかと机に突っ伏す。瞬きをした途端急激な眠気に襲われ、あっという間に熟睡モードに入った 。
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何事もなく一日を終え、大地は早足で目的地に向かう。猫田のプライベートを知らないため、手紙には暇な時に来て欲しいと日にち指定はしなかった。
電算室があるのは正面玄関から一番遠い奥まった場所。近くには物置や資料室といった人の出入りが少ない部屋な為、密談には完璧な立地といえるだろう。
緒方から貰った合鍵を使い、中へ入る。電気をつけ、第三者の邪魔が入らないように遮光カーテンを念入りに閉めて回った。幼稚園時代、空き地に忍び込んで秘密基地を作って遊んでいた時の高揚感を思い出し、心が浮き足立って自然と口笛を奏でる。
自作の即興曲が終わりかけた頃、ドアがノックされた。
「猫田です。入ってもいいでしょうか。」
「あっはい。どうぞ!」
入室した彼女は、いつも通りの無表情。急な呼び出しにも動じず、大地の前までやってくると一礼してみせる。
「先日は、ありがとうございました。」
「そんなにかしこまらなくても良いよ。クラスメイトなんだし、タメ口で。」
「…すみません。こっちの方が使い慣れているので。」
「そっか。…でもさ!駅でのことは、猫田さんも被害者だったし気にしなくていいよ。俺も勝手に動いて困らせちゃったからさ。」
「いえ、助けていただいたのは事実です。何かお礼をさせて下さい。」
「お礼だなんて、そんな。」
「いえ、ここはきっちりさせておきたいんです。」
彼女の言うお礼は言葉だけでなく、大地に何かを要求させるように聞こえた。困惑した大地は目に止まったスマホを突き出して
「じゃあさ、nyaine交換しよ!」
あまり使ってないと渋る猫田に、今後必要になってくるからと強く出てIDを登録させる。パッと見えた猫他のメンバー画面には、大地を入れて3人しか居なかった。いけないものを見てしまった様に不自然に目をそらしたが、その対応に猫田は少し頬をふくらませた。
「お気遣い結構。」
トゲトゲしい口調になった猫田は、近くにあったコマ付きの椅子を引き寄せ大地と距離をとって座る。感情の起伏が見えたことは嬉しいが、何もその最初が怒りじゃなくてもと無念でしょぼくれた大地。
「あと、コレはお礼にはなりません。もっと他にあるでしょう。」
「えぇ…。女子高生の連絡先は十分お礼に入ると思うんだけど。」
本心からでた大地の言葉に猫田は警戒心をあらわにした。つま先で地面を一蹴りし、ただでさえ離れていた二人の距離がさらに広がる。彼女にこの手のジョークは通じないらしい。そう学習した大地は場の空気を変えるべく誠意祓いをひとつして本題に入った。
「今日猫田さんを呼んだのは、他でもない。俺のトラウマを話そうと思ったからなんだ。」
「貴方の…トラウマ。聞いてしまってもいいんですか?」
「偶然にせよ、俺は君の過去を聞いてしまっている。それに、お互いの事知ってないと''平等''じゃないだろ?」
意図して以前猫田のがった単語を出し、それが伝わるよう目を見つめる。彼女はそれに気づいてか居心地の悪そうに身動ぎすると、対面していた身体を45°向き直した。
「分かりました。言いたくない部分は飛ばして構いませんので。」
その言葉に、ありがとうと答え大きく深呼吸をする。目を瞑って、記憶の片隅に閉じ込めてきた封印を解くと、放たれた黒い淀みが全身を多い悪寒が走った。後悔の念に支配されそうになったが、それを振り切って語り出す。前に進みたい。協力者を得た大地の意思は強固なものだった。
「俺の家は、定食屋なんだ。物心ついた時から親父に憧れて、よく店の手伝いもしてた。…将来はこの店を継ぐんだって張り切ってたよ。」
たくましくってカッコイイ、その背中を追いかけていた幼い日々。客に出す料理は作らせてもらえなかったけど、余った材料で親父を真似て調理しては両親に食べてもらっていた。
「仲がいい…家族なんですね。」
「あぁ。店の経営は順調。小学1年の頃、妹も生まれて家族4人幸せに暮らしてた。入学祝いに包丁を買って貰って、嬉しかった俺は一層料理にのめり込んだ。新しい事に挑戦していく毎日が楽しかったなぁ。
…あの日、俺が妹を殺しかけるまでは。」