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3 明日への鍵

 何かと気が重い週初めの月曜日。

 いつもならバイトへ向かっている放課後に、大地は柔道場の掃き掃除をしていた。

 畳の一つ一つの網目を箒の先でなぞり、汚れを掻き出していく。当の部員達は土日にあった試合の反省会を視聴覚室で行っていて不在だ。何故ボランティア部でもなければ、美化委員でもない部外者の大地だけが清掃をしているか。その理由は、金曜日の夜にある。


 校門から20分程の距離を、猛ダッシュで約15分までタイムを縮ませる事に成功した大地は、息も絶え絶えになりながらも猫田を助け出した現場に辿り着いた。自分のいたであろう付近をサッと見渡したが、それらしきものは無い。駅に届けられていればと思ったが、駅員から逃亡中の現在それは避けたい。膝に手を付き、荒らげた息を整える。悪あがきでもう一度探してみようと思った矢先に、最近馴染みのある匂いがした大地は、鼻をひくつかせてながら出どころを追う。

 その先には、線路と歩道を仕切る金網フェンスにもたれかかる担任の姿が見えた。


「青春は楽しんだかね。忘れん坊なおふたりさん。」


 ふかし尽くしたタバコを携帯灰皿へ詰める。パンパンにふくれあがった袋に人差し指で押し込みながら蓋を閉めると、足元に置かれた学生鞄を指さし片手で持っていけとジェスチャーした。一応中身を確認すると、財布から学生証。教科書に至るまで無傷な収まっている。猫田の方も同様で安心したように胸をなでおろしていた。


「騒ぎを起こした上、その場から逃げ出しご迷惑をおかけしました事、本当に申し訳ありませんでした。緒方先生。」


 深々と頭を下げる彼女に習い後に続く。頭をガシガシと掻き乱す緒方は、何か言いたげに口を開いたがスマホのアラーム音がなると、ポケットからそれを取り出し止めた。


「騒ぎ?僕は何も知らないなー。散歩してたらカバンが落ちてて、偶然開いてたカバンの中から、たまたま出てた学生証が担当してる生徒だったから、事が大きくならないように自分で見張ってただけさ。」


 受け取った荷物は、漁られた形跡もなければチャックもしっかり閉まっていた。彼が嘘をついているのは明白だが、お咎めなしにしてもらっている以上、手荷物チェックなんてどうって事ない。


「それより、お前ら門限大丈夫なのか?もう19時過ぎだぞ。」


 ズボンのポケットからスマホを取り出して確認すると時刻は19時25分前。

 nyaineには、母から夕飯は済ませたのかと通知が来ていた。飯というワードに腹の虫が元気よく応える。猫田はというと、緒方にお辞儀をしてすたすたと歩き始め自分もそのあとを追おうとした時、肩を掴まれ呼び止められてしまった。


「詳しい話は月曜聞くから。今回の罰として、しばらくバイト禁止な。」


 放課後職員室に来るようにと告げた緒方は、背を向けながら頭の横で手を振り、去っていく。

 恐れていた事態になった大地は、その場にしゃがみ込み、頭を抱えた。とりあえず、報告だけしようと母に、すぐ帰ると返信しバイト先には、今日起きた出来事を3重にオブラートで包んだ説明文を作成して送っる。

 すべてを打ち終え改札行きの階段へ向き直る頃には案の定、猫田の姿は無くひとり駅へ向かう。一緒に帰れるかもしれないと淡い期待を胸に改札をぬけ、ホームへの階段に差し掛かかる。その瞬間、電車が発車してしまい下りきった先には彼女は居なかった。


 ーーーーーーーーーーーーー


(提案…ね。)


 箒のえを握っていた左の手のひらに目をやる。指を開閉させ教室での感触を探り、記憶と反芻させ確かにあった出来事だと確信させた。

 一体何を要求されるのか。今日もつつがなくボッチ生活を送っていた猫田から得られる情報はない。それ故に、こうして回想でもしないと昨日のやり取りが、自分の妄想だったのではないかと不安になってくるのだ。


「サボってないで手を動かしなさーい。いたいけな女子校生を攫った誘拐犯くん。」


「誰が誘拐犯だ!」


「おや、先生にタメ口とは反抗的だね。不良誘拐犯くん。」


「うぐっ…。」


 緒方は、いつものように頭の横で手をけだるげに振りながら、にへらと片方の口角を上げて入口のドアにもたれていた。理不尽極まりない呼び名をつけられた大地は考え事で止まっていた手をせっせと動かす。

 猫田を連れ去ったのも、不可抗力とはいえ先生にタメ口でツッコんだのも事実だが、どちらも悪意があった訳ではない。


「一通り終わったら、電算室に来なさい。戸締りもしっかりしてくるよーに。チェックなんてめんどくさ…もとい、お前を信じてるから鍵は先生の所まで持ってくること。以上。」


「隠すつもりないでしょ。言い直しても手遅れです先生。」


 生徒が鍵を職員室に戻すと、学校の決まりで最終確認を先生に頼み、判子を持ち出し表に押さなければならない。使用許可欄に緒方の名前が書かれてるため、確認して押印する先生も自動的にその人になる訳だが。自称効率厨は、その二度手間を事を無駄と判断したようだ。


(そんな適当でいいのか…一応卒業クラス持ちだろ、この教師。)


 学生としては、回りくどいお固い担任より端的で砕けた先生の方がありがたいが、進路を前にした今その要素に大地は一抹の不安を覚える。任命した学園長を信じるしかない。年に数回しか見ない馴染みの薄い大人の顔をおぼろげに思い出しつつ、ちりとりに最後のゴミを掃き入れた。

 錆び付いたレールに乗った重厚な鋼板の引き戸を隙間なく閉じ、鍵を閉めると取手を左右に動かして念入りにチェックする。大地は任務を終え、足早に電算室へと向かった。


「失礼します、楤井です。」


 ノックをして中へ入ると、部屋の奥にあるホワイトボードの前で、自前のノートパソコンとにらめっこしている。大地の訪問と同時にそれを閉じ、頭の横で4本の指を2回開閉させた。その指示通りに足を進める。


「先ずは、バイトの件だが。どうなった?」


「連絡を取り、2つはクビに。残り1つのコンビニのアルバイト先からは、詳細がわかり次第連絡するようにと言われました。」


「3つも掛け持ちで学生とか、ドMだね。」


「…お金が欲しかったんです。」


「ふーん。まぁ、お前が志望先に全部落ちてフリーターになろうと、卒業させちまえば僕には関係ないことだけどな。」


「情の欠片もないんですかあんた!それに落ちるって単語出すのやめて下さい!」


 落ちる滑るは受験生には禁句ワードだ。進路どころか将来の夢すら見つかっていない大地には2倍以上の威力があった。みぞおちに鉛が沈むような感覚は気分まで落ち込ませる。


「言葉や他人のせいでどうにかなっちまうんなら、その程度の努力しかしていない証拠だ。諦めろ。」


「身も蓋もない…。不安だからこそ神頼みでもして精神安定させたいんじゃないですか。か弱い教え子をいじめないでくださいよ。」


「18歳男子高校生がか弱いだなんて2次元の世界だけだぞ、気色悪い。それにこれ」


 パソコンの画面には進路調査表と書かれたファイルに、3年A組の一覧が並んでいる。

 16番目をクリックすると大地の情報がでてきた。そこには、第1志望だけ''探し中''と記入がされており、そういえばこんなの書いたっけなと他人事のように顎に手を当て眺める。


「何かは書けとは言ったがこんなふざけた内容、初めて見たよ。草生えるわ。」


 空々しい緒方の笑いを真似て大地もワッハッハと声を出して見せたが、笑うなと一喝されて口を紡ぐ。感情の表現も禁止され不条理過ぎるのではないかと抗議の視線をあびせたが、緒方は頬を人差し指で掻いただけで全く通じてなかった。


「どうでもいい話はこれぐらいにして、金曜の放課後。僕の2GBを犠牲に猫田と何してた。簡潔に答えろ。」


 担任にどうでもいいと見放された可愛そうな大地は、その一部始終を重要な部分だけ抜粋して要望通り簡潔に伝えた。教室での内容はうまく濁して。


「ふーん、なるほど。速度制限手前の月末に僕の貴重なGBを2も減らしておいて、誤魔化すんだね。分かった。これだけは、面倒だし使いたくなかったけど」


 そう言って部屋の隅にある受話器を取ると、どこかへかけ始めた。


「緒方です。…はい。剛力先生につないで頂きたいのですが、」


「わーーーーーー!あっ先生肩とかこってませんか?こってましたよね?日頃の感謝を込めて揉みほぐしますのでどうぞ座ってくださいさぁさぁ!」


 したり顔で振り向いた緒方に45分間しっかりと奉仕しながら、一言一句記憶に残っている自分の発したセリフまで吐かされた。まるで作文の朗読をさせられたような恥ずかしさで、熱せられる頭とは裏腹に首からしたは嫌に冷や汗をかいた。1日中、仕事趣味問わずパソコン作業をしている緒方の肩は、コンクリートの壁に親指を突き立て腕立てをしているぐらいの肉体疲労で終わったあとも、しばらく関節が機能しなかった。


「ふ〜…あの猫田と協力関係ねぇ。まっ、本人が了承してるならいいんだけどさ。」


 意味ありげに呟いた緒方は、パソコンを小脇に抱え部屋を出る準備をする。出口へ向かい、大地が部屋の電気を消そうとした。その時、胸ポケットになにか冷たく固いものが入った。布の上から触れると1つの鍵が入っている。


「先生?これって…。」


「猫田は、他人の視線を気にする。上手く使いなさい。」


 緒方と別れ、校門をまたいだ後渡されたそれを観察してみた。白のプラスチック製で出来た名札には、《電算室 合鍵》と印刷されたシールが貼られている。


 春風が優しく大地の前髪と、すっかり葉桜になった木から最後の花びらを散らす。いつもなら暖かくなった気候を喜んでいるところだが、高校最後の1年間。その最初の1ヶ月が早くも過ぎ去ろうとしている。大地は、どうしようもない焦りを抱きながら羞恥心と親指2本を犠牲に手に入れた密会場所の鍵を握り締め、明日へ向かって一歩を踏み出した。

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