1 きっかけと噂
大地が彼女を知るきっかけとなったのは、高校二年の秋。
体育祭に向けて準備を始める最初の段階として、学年対抗種目のチームメンバーを決めていた時だった。
流れでいうと、まず立候補者から優先的に名前を呼ばれ先生の周りへ集まる。体育会系の部活に所属している者や、運動神経のいい人達が主だ。
次に、推薦。その名の通り誰かに指名されると、場の流れで無理やりメンバーに押し込まれてしまう不憫枠。帰宅部で身体能力も平均な大地は、関係ないことだと悠々自適に壁際であぐらをかいてその場を眺めていた。
(ーー暇だ。)
特段、勉強が好きなわけでも体を動かすのが好きなわけでもないが、普段の授業中あれほど渇望している自由な時間が今は退屈で仕方なかった。辺りを見渡すと、皆グループになって遊んでいるか、雑談をしている。壇上の付近で、少数の生徒だけが先生の元で何やら話している。
大地は、学校で孤立しているわけでも、いじめられている訳でもない。自分から他人に絡みへ行くことはなくいつも受け身の姿勢なだけだ。そして、話し上手の聞き上手で大抵の人とは知り合いだが、向こうから友達宣言をしない限り彼もそのように接する。
クラスに1人はいる、
《休日の付き合いはないが、学校では気兼ねなく話せる何かいい感じの同級生》
端的に言えば、都合のいい奴ポジションなのだ。
授業が後十数分で終わるとなった頃、最後の暇つぶしにトイレのでも行って、スマホをいじろうかと考えた矢先のこと。
体育祭の出口の左横を目指して歩いていくと、反対側の女子便所の前で女子が数名集まっていた。知り合いの華乃の姿もある。遠目で誰かを取り囲むように、角へと詰め寄って行くように見えた。
なんとなく気になった大地は、その集団の横を通って、様子を伺おうと近寄っていく。
「ねぇ、あと一人なんだよ〜」
「お願ーい!」
「すみません。運動は苦手で、」
どうやら揉めているらしい。
無粋な興味本位で、もう少し近づこうと足を進めたところに運悪くボールが転がってきた。
「すまん、大地!」
駆け寄ってくるのは、他クラスの高橋。今回の競技の立候補者で1抜けて遊んでいたらしい。
ボールを拾って渡すと、大地の向けていた視線を追うようにして最後、眉をひそめた。
「あー、目ぇつけられれてやんの。猫田のやつ。」
「中心にいる子?」
「そう。言い寄られてるやつだよ。あいつ、出来るんだからやりゃいいのに。」
中心にいる彼女は猫田さんという子なのか、と思ったところで違和感を覚えた。
華乃の知り合いにそんな子は居ただろうか?同じクラスで大地によく話しかけてくる人物だったので、それとなく友人関係は知っていた。だがこの1年間、彼女の名前はおろか、顔すら見たことがない。
それと、
「出来るって、何が?」
「今回の競技、バレーがあるだろ?
あいつ中学の頃、ここらじゃ有名の監督のとこでやってたんだよ。体育の時間も上手くプレーしてたし。」
大人しそうな見た目からは想像が出来ないが、現バレー部員で普段世辞を言うタイプでもない彼が言うのだから腕前は確かなのだろう。
むしろそれで立候補しないのは、それ程やりたくない何かがあるのか。
「あっ!でも最近、その監督辞めさせられたとか言ってたっけな、体罰だとかで。」
「体罰?」
大地は以前、ニュースで自殺者が出たと騒ぎになってたからその単語自体は知っていたが、まさか身近にその話題が出てくると思わず、若干尻込みした。
「中学ん時の顧問が話してるの聞いただけで、俺は他校だったから詳しくは知らないけど
練習試合とかでその体育館を使うと血の跡があったり、生傷や痣がある部員が多いって噂で。
おまけに、その監督も怖いのなんの。周りの大人も下手に口出し出来ずに、皆ご機嫌取りしてたらしいぜ。」
俺自身もいくつかスポーツは習ってきたが、余程の悪さをしたとしても拳骨が降ってくる程度。聞いただけでも、それは指導の域を超えた暴力だと理解出来た。
「なら、止めた方が良くないか...あれ。」
「嫌なら本人がきっぱり断ればいいんだ。別にあいつと仲いいわけじゃないし、わざわざ割ってはいるほどでもなくね?」
お節介だよ。と踵を返して彼は素っ気なく行ってしまった。と同時に、輪をすり抜けるように猫田さんが外へ走っていく。一瞬見えた横顔が、泣いている様に見えて胸が痛くなる。拒む理由かもしれない情報を持っていたが故、その場を止められなかったことに対しての罪悪感が大地の脳内を満たしていた。
それから、月日は流れ高校三年生の春。
校舎前に立てられた掲示板で新しい教室を確認していると、クラス名簿の中に
〈猫田 花子〉
という名前を見つけた。おそらく例の彼女のであろうと瞬時に繋がったのは、あの一件の後その名に過敏になったせいで、いくつかの話が耳に入ってきたからである。
学校ではいつも1人でいる事。
授業態度は真面目だが、自ら手を挙げて発表することは無く、静かに学校生活を送っている事。
自ら誰かに関わろうとせず、他人と距離を置いている事。
高橋から聞いた噂は、幸いにも学校内には広まっていない事。
加えて体育祭の後、華乃を含めた周りの女子が猫田さんを嫌っているらしく、クラスでも必要なまでに孤立していたとか。大地はフォローを入れようにも、その話題に触れないのが暗黙のルールのようになっていた場の空気と、自身の意気地の無さのせいで何もすることが出来なかった。
時々すれ違ったり見かけたりする彼女はいつも俯いていて、スマホを触るか机に突っ伏しているか。その様子は、酷く窮屈そうに見えた。もし、噂が本当ならきっとトラウマになるだろう。
そして、その結果が今の彼女を作っているとしたら?
ズキンッ
胸が痛い。大地は、独りぼっちの彼女と自分を重ねてしまった。
彼には、幼い頃の誤ちによるトラウマがある。人付き合いに困るものでは無いが、それにより心にポッカリと穴が空いた。というより、その出来後を思い出したくないが為に自分で忌わしい過去をえぐりとったのだ。それ以来、大地は何かに没頭することが出来なくなり、無くなった箇所に熱意まで持っていかれたように虚無感に充ちた日々を送っていた。
今まではそれで困らなかった。学校と家を往復していれば、学生としての仕事は完了していたから。
しかし、進路を決めなければならない時期がやってきたのだ。
やりたい事もなりたい者もない大地には死活問題。何とかしなければ、高卒のニートを余裕で養えるほどの家庭でもそれを認める親でもない。
苦慮の末、解決策をあみ出した。
(いける…かも......しれない?)
自分の考えに、歯切れの悪い反応をしてしまうには理由があった。
その作戦には、《猫田花子との''協力関係''が必要不可欠》
それ無しでは始めることすらできない。
始業式中、絶えずその事について考えていた大地は、クラスの列に流されあっという間に3年A組についた。各々が出席番号の貼られた席に着いていく。
終盤になり落ち着いてきたところで、そっと猫田が入室してきた。
黒板にある席表を素早く確認すると、席に向かう。
大地より後ろの席についた為、様子を伺うことは出来なかったが、歩いている最中ずっと俯いたまま、誰とも顔を合わせなかった。午前授業で、式のあとのHRを終えたクラスメイト達は昼食の予定や遊ぶ約束をしている。案の定、誰とも会話することなく猫田は出ていく。
同じ教室とはいえ、席が近くない大地は猫田に接触する機会を今か今かと探っていたがその努力も虚しく1日目は空振りに終わった。
(せめて、席替えで近くなれればなぁ…。)
帰りに電車に揺られながら過ぎ行く学校を横目に、初日から他人だよりをしてしまう自分の情けなさにため息をついた。