うみのうた(中)
ハルトは部屋に戻るとそこは完全に緊急対策本部へと様変わりしていた。
なにか忙しそうに走り回っている者や大声で指示を出す者、いまだ本部は仕事に追われていた。
この部屋の家主であるハルトだったが、部屋の隅に設けられたハルト専用のデスクの前に座りネゴになんで事態が終息していないのかを聞いてみた。
「被害状況の把握や被災者の救済がまだ終わっていませんから」
犠牲者が出たらしく自分がもっとしっかりしていればとハルトは自分を責めた。
「でもドラゴンの被害はなかったんだよな!?」ハルトはせめてもの救いにネゴに尋ねるとその答えはNOだった。
彼らがドラゴンと呼ぶ犬はドングリ達にとってかなりの天敵らしく犬が発する臭いだけで彼らは意識障害を起こしてしまうほどだそうだ。
それは遠い昔から犬に捕食されてきた彼らならではの精神疾患らしく、薬などではあまり対処できないそうだ。
だから彼らは地中深くに王国を築き、その周辺に犬を近寄らせないようさまざまな対策を施している。
それからハルトは彼らについて色々聞いてみることにした。彼らドングリはテレパシーが使える事、それにより全体の意思を優先し個々の感情が希薄である。
そして自分に見合った役割につきそれが個々の呼称になる事、彼らには極端に武力や暴力と言ったものがなく、その考えすらほぼないのだと言う。
しばらくして作戦会議が開かれた。
ドングリたちの熱い激論を傍観するだけのハルト、そして隊長がハルトに向き直りこう言った。
「もう実力行使しかありません。ドラゴンを退けていただけませんでしょうか!?」
隊長は会議が泥沼に嵌り唐突にハルトへ願い出たのだ。
ハルトは非常に困った。そこそこ悩むが隠していてもしかたないので思い切ってハルトは打ち明けることにした。
「俺もドラゴンが苦手なんだ!すまん!」ハルトは深々と土下座した。変に期待させるのは良くないと思い打ち明けたがこの言葉により彼らの動揺や恐怖は計り知れないものがあった。
彼らにとって唯一にして最終防壁である人間が全く役に立たないのである。先に考えた多くの作戦が一瞬にして意味をなさなくなってしまった。
いままで話し合っていた作戦は最終的にどれもハルトが犬を防ぐというものだった。
しかし彼らはハルトを責めることはできなかった。自分達も犬が苦手だからである。
もし強くハルトを糾弾しようものなら自分がやってみろと指摘されるのが落ちだからだろう。
緊急対策本部は重苦しい雰囲気に包まれていた。ドラゴン対策のほとんどが意味をなさず、頼りの綱の人間も無力、あまりにも事態は最悪でありだれも案を提示できないまま時が過ぎた。
そこへネゴが一石を投じる。「同盟国である猫族に応援を願い入れましょう」ハルトには良くわからなかったが彼らの表情は明るくなったがすぐに元の暗い表情へと戻ってしまった。
「なんだ応援を頼めるならいいことじゃないのか?」あまりにも能天気な発言をしてしまったかと思ったが、彼らの表情はしだいに確固たる意志のもと鋭い表情となりすぐに行動へと移された。
夜の集会
ハルトはネゴと数人のドングリを連れ、猫たちが集まる集会場へと歩き出していた。道の途中、猫と同盟を結んでいたのは遠い昔で今はほとんど交流がないことをネゴがから聞いた。
さらに歩を進めるにつれどこかから睨まれているような感覚に襲われていたハルトだったがそれは間違いではなかった。
目の前に二匹の猫が立ちふさがっていた。ネゴが降ろしてほしいと訴えたので地面に降ろすと二匹の猫たちに語りかける。
ハルトには話している内容はわからなかったが猫たちの態度から門前払いを受けているようだ、しかしネゴと一緒に運んできた包みを差し出すと一匹の猫が草むらに潜りこみ再び戻ってくると奥に通されることとなった。
低い藪の中に小さな道がありそこを何とか抜けると岩場のトンネルが続いている。それをさらに進むとやっと開けたところに出ることができた。
天井から月明かりが差し込むその場所の中央には一際大きな猫が鎮座していた。ネゴは早速話しを始めるとそれを遮るように大きな猫が大きな声で話し出す。
まったくいい展開とはいかないようで数分ののち、ネゴはこちらへ戻ってきた。「だめだったか?」ハルトは素直に聞いた。
「まず、同盟継続についての話しから否定されてしまいまして」どうやら同盟自体解消されているようで再び同盟を結ぶにはトップ同士が行うのが道理だろうと向こうサイドは言ってきているらしいがこちらとしては時間があまりにないので武力支援のみ、お願いできないかと提案しているがそれにはそれ相応の対価が必要になる。
「いまから献上品の確保は難しいですね」
「それにアレをやらなくてはいけないのですか?」恐怖でドングリ達は青ざめる。しかしネゴは「この条件を呑む以外に解決の糸口はない」確固たる意志のもと猫族の代表に意思を伝えた。
帰り道、話しにも置いてきぼりのハルトは何とか力になりたいと献上品の確保に力を貸すと伝え決戦の日を迎えるのであった。
今日も晴れ渡る青空、ハルトとドングリ一行は朝早くに家のすぐ近くを流れる小川に来ていた。
今日もおそらく昼過ぎからミドリは来るだろう。写真の件については大丈夫だろうと思うが問題はドラゴンだけ、なんとかして傭兵を用意しドラゴンを撃退してもらおう。
「で、なにするんだ?」
「これから献上品の魚を釣ります!」魚釣りと聞いてハルトは疑問が浮かんだ、ただの釣りをするのになぜ彼らは仲間の一人を縄で縛っているのか?
そして縛られたドングリは精悍な顔立ちになり見送るドングリたちは敬礼しながら泣いているんだろうと、自分の知っている釣りとはだいぶ違うようでその光景はテレビで見た戦場へ赴く兵士とそれを見送る人々のような感じだった。
「ちょ!ちょっとまって!」なにをしてるのか大きく問いただした。
「人間たちには釣りと言うものがあると聞き及んでいますが?」ネゴは不思議そうにそして感動のシーンを邪魔してほしくないと言った。
しかしこの恐ろしい行為をさせるわけにはいかないので、必ず待つようにネゴたちに言い聞かせ家から釣り竿を手に取りハルトは大急ぎで現場に戻ると大惨事になっていた。
体半分を魚に食いつかれびしょ濡れ姿で瀕死になっているドングリと跳ね回る魚に悪戦苦闘しているドングリ達、ハルトはすぐさま魚を押さえつけドングリを引き抜いた。
大事には至らなかったがドングリ達には軽いお説教をして時間もないので釣りを始めた。ハルトは釣りに自信があり技術もあるのですぐさま大小の魚を釣り上げた。
「こんな方法があったとは、、、」ドングリたちは驚愕していたが、たいしたことではない。
「我々は魚を食べませんので」と魚に対しての知識の乏しさを現した。
程よい量が釣れたところで数匹の猫がやってきたので魚を渡すとすぐにどこかへ行ってしまう。最後尾の一匹が何かを言っていったがわからなかったのでネゴに聞くと「確かに受け取った」と言ったそうだ。
ハルトとネゴ、それに数名の隊員たちと第一観測所(草むら)からミドリと犬が近づいて来るのを見張る。
そこで待っている間、ネゴと色々な話しをした。
「ハルト殿は海に言ったことはおありですか?」
「確か小さいころに一度だけ言ったなぁ」遠い昔の記憶を呼び起こす。
「ドングリ星人で海に行ったものはいないんですよ」ネゴが言う。人間のハルトにとって簡単な事なので一瞬疑問に思ったが、彼らには難しいことだとハルトにも想像できた。
この内陸に住む彼らは海まで歩いて行くのは至難の業である。しかも彼らには車などの移動手段を持たないのは台車に乗せた感じだと当然だ。
「わたしが昔見た冒険ドラマの最後に川で船を漕ぎ海に向かうところで終わるんですよ」とネゴは懐かしむ様に言った。
彼らの国にもテレビドラマがあることにハルトは驚いた。そしていつかネゴと一緒に海に行く妄想をした。
そして雨が降り始めたので、今日はもうミドリも来ないだろうということで解散する。
近年まれにみる巨大な台風が接近し打ちつけるような雨が屋根をたたく、依然ハルトの部屋は緊急対策本部になっており台風の影響もあり対策本部は大忙しだった。
「非常にまずい状況になってきました」ネゴは暗い表情で状況を説明し始めた。
どうやらドングリ王国の発電機が次々に停止し浸水している箇所の排水ポンプが止まり始めたらしい。
「台風の影響で山の上の風力発電が故障しているかもしれません」台風が過ぎればすぐにでも修理に出掛けるがそれまで王国が持つかどうかわからないそうだ。
「修理できないかもしれないけど、現地まで確認に行ってみたらどうだろう」ハルトはいままで大して力になれないので自分も力になるとネゴに言うと「それはありがたい、さっそくエンジニアを手配します」
ハルトはネゴとともに王国へ行きエンジニアを連れ山道へ向かう。
「大丈夫かネゴ!?」ひどい雨と風の中、時折カバンの中にいるネゴたちに声をかけなんとか頂上に到着する。
そこには低い木がありその枝に小型の扇風機のような物がついていた。木の根元にネゴたちを下すと木の根元の小さな穴からエンジニアたちが入って行く。
エンジニアたちを待つ間、ネゴと二人でしばらく待っていると中から一人のエンジニアが出てきた。
「ありがとうございます。なんとか修理できそうですが時間が掛かるのでネゴとハルト殿は戻られよ」どうやらエンジニアたちはここに泊りがけで修理する様だ。
風車の方はなんとかなるようで胸をなでおろし。ハルトとネゴは家に帰ることにした。
そして次の日、朝から空も晴れ暑さも増してくる中、ハルトたちは第一観測所にいた。
昼休憩にと母親からもらったお弁当をドングリ達に分け与えのんびりしていると遠くからミドリと犬が近づいて来るのが見えた。
すぐさまに犬は反応した。どうやら戦闘部隊が到着したようだ。
そうとうな手練れらしく睨みを利かせるだけで犬は立ち止まり前に進もうとしない。
「どうしたのタマジロー?」ミドリは犬の恐怖に気が付かずグイグイ引っ張り続ける。
そしてミドリは猫を確認する。「あ~猫ちゃんだ~」
ペットの犬を盛大に引っ張り、けっこうな勢いで猫に近づき警戒する猫を気にすることなく撫でようと手を伸ばす。しかし猫たちも簡単には触らすことをしない、彼らも自分たちの仕事を理解している。
「あ、いいのがあった」しかし猫たちはいっせいに彼女が手にしたものに釘づけになってしまう。そう猫じゃらしだ、隙あれば猫パンチを炸裂させようとしていた彼らの敵意は一瞬にして途絶え、ミドリが振るう猫じゃらしの虜になってしまった。
「クソッ、傭兵集団すら手玉に取るとは!」ドングリたちは動揺していた。
「これ以上近づかれると大変なことになりますぞ」ひっぱくした状況にどうすることもできず焦る気持ちだけが募っていく、自分にはどうすることもできないのか!?
そしてハルトは立上った。「いけません!ハルト殿!」ネゴが大声で止めるがハルトは走り出した。
走りながらハルトは思い出した。幼少のころ犬に吠えられ泣いたこと、小学生のころ小さい子犬なら大丈夫だと思い触ろうとした手を噛まれたこと、高校生になっても犬が怖くて近づけないことを友達に軽くバカにされたこと、ハルトは今にも恐怖で足が止まりそうだがもう勢いだけで前に進んでいた。
ミドリの前に立ち止まり、小刻みに揺れる足に拳を当てビシッと立ちハルトは大声で宣言した。
「僕は犬が嫌いだ!怖くてしょうがない!今にも逃げ出したいくらい怖い!だから犬を連れて帰ってください」途中からハルトは泣いていた。
犬が怖くて泣いているわけではない。なぜこんな恥ずかしいことを大声で宣伝しないといけないのか、それもクラスメイトの女子に今すぐ死んでしまいたいと思った。
「そっ、そうなんだ、、、ごめんね、ほんとごめんなさい」彼女は必要以上に謝りながら帰って行った。謝られるたびにひどくつらい気持ちになった。
「ハルト殿!」ネゴたちが猫に乗ってやってきた。猫から飛び降りハルトに駆け寄る。
「ご無事ですか?ハルト殿!?」ほんとに心配してくれているのが伝わってくる。同じ天敵を持つ者同士だからこその反応だろう。ネゴたちとの仲間意識が感じられ、ハルトは再び泣いた。泣きながら思った。
「次に学校に行ったら女子たちから可哀想な目線を送られるんだろうなぁ」