幼女の名は
さて、いろいろと言いたいことはあるのだが、とりあえずは自宅である。リビングにナウである。
大学通学のために、一人暮らし中であるこの部屋には、当然ながら普段は俺一人しかいない。時折、高崎や下原なんかが訪ねてきたりもするが、それもたまに。大学からの帰り道に寄るくらいだ。今日のような休日は基本的には一人が常だ。
そんな我が家には現在、今まで招いたことのないお客さんが家の中のあちこちを興味深そうに眺めている。
それ、すなわち幼女。
ほへぇ~、としたかわいらしいアホ面を晒しつつ、我が家のテレビを何周もしているその幼女。
銀髪と思われるきれいな髪に真紅の瞳。肌は雪のように白くきめ細やかなのだが、顔以外は黒い大きなマントによって覆われているため、顔の白さが際立って見える。
手近にあったリモコンを手に取ってテレビをつけてやると、その音と映像にビックリしたのか数歩程テレビから距離をとった。
恐る恐るといった様子でテレビに近づいて観察する様はまるで猫のようだ。
「な、なんじゃ!? この箱、人が入っておるではないか!?」
「……まさかこの現代で、そんな漫画のような台詞を聞くことになるとはなぁ」
テレビを知らない異世界人が、初めてテレビを見たような反応に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「で? とりあえず話をするのに部屋に入れたんだが、もういいのか?」
「む? そうであったな。未知の物ばかりに目移りしておったわ」
見た目のわりに、ずいぶんと古臭い話し方をする幼女だ。
それまで見ていたテレビから視線をはずした幼女は、そのまま俺の用意した座布団に座る…と見せかけて、今度は座布団に視線を移して眺めていた。
…まさかとは思うが、座布団も知らないのか?
「敷物だ。そこに座ってくれ」
「おお! そうであったか。これはすまぬな」
初めて見るものが多くてのぉ、と言い訳のように呟いた幼女はいそいそと座布団の上に腰を下ろした。
俺はその様子を確認してから、冷蔵庫で冷えていた麦茶を取り出す。普段はお客には緑茶を出しているのだが、今は切らしているため仕方ないだろう。まぁ、幼女が相手なので、こちらのほうがいいのかもしれないが。
自身と幼女の分のコップに麦茶を注ぎ、盆に載せて運ぶと、うちの家に唯一のテーブルであるちゃぶ台に置いてやった。
「ほれ、これでも飲んでくれ」
「すまんの。……ふむ、見たことのない茶であるな」
それに、見事な器じゃ、と麦茶の入ったガラスのコップを興味深そうに眺めている。
仮にこれが、有名な焼き物だったりしたならば、その言葉にも頷けたのだが、残念なことにそれは近場の百円ショップで買った安物である。五つ入り五百円程のものだ。
「紅茶とは違うようじゃの」
「そりゃそうだ。麦茶だしな」
その名のとおり、麦からできているのだ。茶葉からできるものとは味が違うに決まっている…なんて、こんな幼女に言っても仕方ないだろう。
麦か! と驚いた様子で麦茶に口をつける幼女であるが、このままだと、話が前に進まないし何のために家にあげたのかわからない。見知らぬ幼女と自室で二人っきり。……林の奴が嫉妬に狂いながら飛んでくるな。
俺の友人に何故こんなにロリコンが多いのかは永遠の謎であるが、まぁいまは置いておこう。
「そんな安物を眺めるのはいいが、いいかげん、話をしてくれると嬉しいんだが?」
麦茶を飲み干して尚、コップに熱い視線を送っていた幼女であったが、おおそうじゃった! と俺の言葉で思い出したかのように手を打った。
「妾と契約して、魔王にならんか?」
「マジでそれだけなのなら、すぐに出て行ってもらいたいんだが?」
玄関でのやり取りを思い出させるその言動に、若干ながらイラッときた。
俺は幼女にも怒れる大人である。
「む…しかし、これ以外に的確な言葉が見つからんのじゃ」
「いや、いろいろとあるだろうに。そもそもの話、まったくの赤の他人にそんな話をされてもふざけているようにしか感じないぞ」
まだ幼女だからよかった(決してよくない)が、これがおっさんなら即通報である。
決して俺がロリコンだからではない。
「確かに、そなたの言うことも一理ある。では、名乗らせてもらうとするかの」
そういって、幼女は座布団の上に立ち上がると、バッ!! と黒いマントをはためかせて堂々とした(ただし小さい)出で立ちで名乗りを上げた。
「妾は、ルイシスト魔族国家十三代目魔王、ルシア・ルイシストである! 此度は、妾の依り代となる協力者を求めて、こちらの世界に参った!」
ドーンッ!! と後ろで何かが爆発するような効果音が聞こえてきそうなその言葉に、俺はしばしの間言葉を失っていた。
名前的に外国の子供なんだろうが、日本語うまいな。と関係ないことを考える。
無言の気まずい空気が流れる中、俺は自分を落ち着かせるために目も前の麦茶に口をつける。
「で、何の用があったんだ?」
「こやつ、なかったことにしおった!?」
驚愕の表情を浮かべる幼女、ルシア。
だがしかし、考えてもみてほしい。その日、初めてあった幼女から先ほどのような言葉を聞いたら驚きを一周してもはやかわいそうに思えてくるだろう。
あるいは、かかわりたくないと思う。
俺の友人たちは別である。可愛い幼女に話しかけられただけでも大歓喜だろう。
「本当なのじゃぞ! 妾は、そなたらの言う異世界から来た魔王なのじゃ!!」
「はいはい。で? 君のおうちはどこだ?」
「むむむ……! こやつ、まったく信じておらんぞ…!!」
まぁ、そりゃそうですわ。と心の中で呟きながら、どうやって交番に連れて行こうかと悩む。このルシアとかいう幼女、無理やりでもないと連れ出せそうにない。が、無理やりとなれば、その様子を目撃した第三者からすれば事案発生。なかなか、難しいことである。
「できるならば、魔力の消費は抑えたいのじゃが…仕方ないの。ほれ、そこの……そういえば、そなたの名前を聞いてなかったの」
いっそのこと、友人たちにこの幼女を丸投げしてもいいかな、と考えていたが、ルシアの質問でわれに返った。
「……ん? ああ、春島 生だ。『生』と書くが、『なま』と呼ばないように」
漢字を見たやつら、特に子供時代はよく間違えられた。なんだ、『なま』って。もはや嫌がらせだろう。子供の純粋無垢さは、時として刃となるのだ。
「? …ようわからんが、わかった。では妾はそなたをショウと呼ぶことにしよう。でじゃ、ショウよ。今からそなたに、妾が異世界の魔王である証拠を見せてやることとしよう。感謝するがよい」
そういって俺に向けて手を突き出したルシア。
いったい何をするつもりなのか、と思いながら見ていると、ルシアが何かをすばやく口走った。
ところどころもれて聞こえてくるその言葉は、俺に理解できる日本語ではなかった。中学校時代、調子に乗って調べたどの言語とも違うということがわかる。
…だがしかし、どうしたことか理解出来てしまう。
知らないはずの言語。だが理解できるのだ。
『火よ、灯れ』
そんな意味の言葉を口にしたルシア。
その直後、彼女の突き出したその手には、大人の拳ほどの火炎の玉が揺らめいていた。
「証拠に、なったかの?」
してやったり、といった様子の目の前の幼女の問いかけに、俺は黙って頷くのであった。