1章
昨日の続きが今日ならば
明日は昨日の憧憬か
明日になれない今日の想いは
いったい誰が受け止めるのだろう
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春風がやけに寒い。
それはそうだろう、春とは時期を指す言葉であるし、寒さは主観でしかないのだから。
季節外れの北風が、冬の残り香を忘れるなとばかりに、マフラーを外した首元に圧し掛かってくる。
もし死ねたら、楽なんだろうか・・・
ふと、そんな所在無い考えが、どこからともない心の淵魔から湧き出てくる。
そんな勇気もないくせに・・・
だから言葉は続く。
いや、そもそも勇気でもないか・・・
ただの言い訳。ただの格好つけ。
でも・・・
死ねない。
死ぬ理由がない。
ただ、同じくらい、生きる理由がないだけで・・・
だから、ぼくは生きている。
それを間違っているというのなら、「正しい」生きる意味を、誰か教えてくれ
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そのサイトにたどり着いたのは、本当に偶然の事だった。
「あなたの悩み事、すべて応えます」
だから、その「入口」と書かれたドアを思わずクリックしてしまったのは、決して偶然ではなかったんだと思う。
シンプルな画面。
そこにあったのは、たった一つだけの掲示板。いや、それにしてはレスをつける箇所が見当たらない。
質問と、返答。その繰り返し。
決して長くは無い。というより、むしろ短すぎると言ってもいいくらいのやり取り。1行、長くても3行も無い。その繰り返しが、数えきれないほど続いている。
そんな時、画面が瞬いた。新しい投稿がされたみたいだ。
「質問:正義のヒーローになるためには、どうしたらいいですか?」
その内容に、ぼくは思わず苦笑した。
投稿者の名前は、表示されない。もちろん、性別も、年齢も。ただあるのは、整理券のように並ばれた、投稿の採番された数字だけ。でも、それでも想像はつく。
こんな幼稚な投稿、あえてやるやつは子供じゃない。
でも、ガキだ。精神的なガキだ。自分がそうだから、よく分かる。
無垢で純真なフリをして、絶対に大人が答えられないのを知っていて、その必死に悩む姿をほくそ笑んでいる・・・ そんな暗い愉悦に浸っている、中二を卒業して世の中を斜に構えている高校生の姿が目に浮かぶ。いや、疲れ果てた、いい年をした大人のでもいいかもしれない・・・
いずれにせよ、自己嫌悪で吐き気がする。
そんなことを思っていると、再び画面が瞬き、記事が更新されていた。
「回答:まず、悪者を作ることですね」
「えっ?」
たった一言。そっけないほどのセンテンス。
しかしその時受けた衝撃を、何と言い表せば良いのだろう!
頭がグラングランした。下半身が、不安定な小舟の上にでも立っているかのように、ガクガク震える。得体のしれない気持ち悪さに、胃から酸っぱいものが逆流してくるような感覚。
ぼくの、たかだか19年ちょっとだけど、生きてきた人生の根幹を揺すぶられるような、何か大きく、強く、絶対的な威圧感にも似た恐怖が、心臓を真っ暗に染め上げるかのような不安感。
気が付いた時、ぼくは思わずキーボードを打っていた。
「質問:正義って何ですか?」
何も考えずに打ったあと、異常な程の大きさで心臓が鳴り響いているのが分かった。誰もいない、静寂な部屋に、心臓の音が痛い。痛すぎた。心臓に手をあて、ゆっくり3回深呼吸を繰り返した時、画面が再び更新された。
「回答:人間が行動するための、大義名分です」
反射的にぼくの手は動いていた。
「質問:正義と悪の違いって何ですか?」
すると、一瞬の間も無く、回答が返ってきた。
「回答:変わらない。最後に多数派になったのが正義です」
じゃ、じゃあ・・・
「質問:そんなことの為に生きるのですか?」
それはもはや魂の叫びだった。ソンナコトナンカノ為に・・・
「回答:それが、大人になるということです」
え、だって、それじゃあ
「質問:大人になるって、どういうことですか?」
誰もいない部屋の中、ぼくは無意識の内に声に出して叫んでいた。
その木霊が、虚しく部屋を響かせ、消えた。
しかし、その答えは、なかなか返ってこなかった。ぼくの目は、モニターから離れることが出来ない。沈むような静寂の中、アナログ時計の秒針の刻む音が鼓膜を震わせたのが、きっちり60回過ぎた時だった。
「回答:その一歩を踏み出すことです」
その瞬間、モニター画面が真っ黒に反転した。そして中央には、鈍く点滅する、緑色のアイコンが二つと、たった1行の文字。
「踏み出しますか?」
光っている文字は、「Yes」と「No」
「なんだよ、このバグ・・・」
馬鹿げている。新手のウイルスか、フィッシング詐欺か・・・
いずれにしても、こんな怪しいアイコンをクリックするほど子供じゃない。
主語も無い。修飾語も無い。あるのは、述語だけ。どれだけ日本語に疎いんだ。でも・・・
意味は分かる。いや、意味は分からない。でも"思い"が分かる。
踏み出すか? ああ、踏み出したいよ! 何に? 何かにさ!
いい加減なこと言うなって?
ばかにするな!! それが分かったらこんな苦労なんてそもそもしてない!
そうさ、主語も修飾語もいらない。
そうだろ、必要なのは、「するのか!」「しないのか!」
そう、述語だけだ。
くだらない人生だ。いや、くだらなくは無いか。こんなことを言ったら、きっと親は悲しむのだろう。
ただ、価値は無い。ぼくには無い。
将来?
そうだね。でも、それが何?
明日は今日の延長で、今日はくだらないほどの過去の積み重ねで・・・
無限の過去の延長に明日が続くんなら、明日もクソだろ!
だったら、今日を、今を、変えるしかないんだ。だったら・・・
アイコンが再び瞬いた。
「"今"に満足しているのなら、踏み出さないことをお勧めします」
浮かび上がった文字は、まるでぼくの心を見透かしているようだった。
思わず冷笑を浮かべずにはいられない。
そんな目の前で、再度アイコンが瞬いた。
「踏み出すのを止めますか?」
いったいどれだけの人間が、"今"に満足しているのだろう?
ぼくは? あの人は?
でも、
「いいだろ」
どうせ詐欺にあうような金も無い。失って怖いバックボーンも無い。無い無いづくしのぼくが、いったい何を怖がる必要がある。
どうせ価値の無い人生だ。だったら
ぼくは「No」のアイコンをクリックした。
画面が再度瞬く。
「良いんですか? 後悔しませんか?」
あほらしい・・・
後悔って字は「後で悔やむ」から後悔なんだろ。そんなのヤル前に分かるわけが無い。
でも、きっとジョークなんだろう。だって、画面に浮かぶアイコンはたった一つだけなのだから。
たった一つ、
「Sure」(もちろん)
と。
いいだろう。ぼくの人生、くれてやる!!
ぼくはそのアイコンをクリックした。
「う、うわぁぁ!!!」
その瞬間、画面から溢れる程の光の洪水が湧きあがった。
同時に、非常ベルのような鐘の音が、莫大な音の塊となって鳴り響く。
思わずぼくは、目を閉じ、耳をふさいでしまっていた。音と光の洪水は、どんどんと激しさを増していく。
・・・だから、ぼくは気付かなかった。
モニターに浮かんだセンテンスが、鈍い光を放ちながら点滅していたことに。
「ようこそ ベルベッドデイル・バル に」
と。