砂の中の英雄④
あんまり死人を出すつもりはないです。
ぼんやりと目が覚めた。日の光が少ないのか薄暗い。音は聞こえてくるが、何の音を捉えているのか全く分からない。ただ、一体ここがどこなのかを理解する前に体が何かに揺られているということを感じた。
寝そべっているのか、寄り添っているのか分からないがとにかく頬や胴体が何かにもたれかかっているようだった。暖かい、熱を感じる。人の体だろうか。手足がぶらぶらと揺れているようだから、恐らく背負われている。
徐々に視界と意識がはっきりしてきた。私を背負っている者の名前をつぶやく。
「セシル」
「良かったお目覚めになりましたか」
そう答えるセシルの息は途切れ途切れだった。どうやら長い間、私を背負って移動していたようだ。
「大丈夫、歩けるわ」
そうセシルに向かって言うと、彼女は立ち止まりゆっくり私を地面に下ろした。地面に足をつけたとたん体に鈍い痛みが走る。特に左腕を強く打ったようだ、左腕から痛みがどんどんと伝わってくる。痛みに耐え切れず、その場にうずくまるように膝をついてしまう。
心配したセシルが肩を抱いてくるが、それを右手を上げて制す。痛みをこらえて立ち上がり、周囲を確認する。見たところ洞窟のようだった。整備された形跡が全く見当たらないことから自然にできたものなのだろうと判断した。薄暗いのは入り口からだいぶ遠ざかっているせいだった。まだかろうじて日差しが差し込んでいるが、これ以上進むと暗闇に踏み込むことになるだろう。
セシルは酷く疲れているようだった。崖から落ちた上に私をここまで運んできたのだから当然かもしれない。私は人より小柄なほうだが、それでも人ひとり担ぐのは女性のセシルにとっては辛いことだ。
そこまで考えて私はあることに気がついた。もう一度周りを見渡してみるが、アダムが見当たらない。嫌な予感がよぎって思わずセシルに尋ねてしまう。
「セシル、アダムはどこ?」
セシルの顔が曇る。言いよどむその姿に、ランデ氏の死を告げたときの父が重なる。
「アダムは……亡くなりました」
その言葉に私は脱力した。支えを失ったようにその場にへたり込んでしまった。体から血が流れ落ちていくように全身がつめたくなっていくみたいっだった。それなのにお腹の内側から熱いものがせり上げてくる。堪らず嗚咽を漏らした。
首都グレートヘイズを脱出して一週間、ついに犠牲が出てしまった。アダムは私が物心つく頃には既に屋敷で働いていた。祖父母のいない私にとっては彼が祖父のようなものだった。時に厳しく、時に優しく、幼い頃から私を見守ってくれていた。そのアダムが死んだ。こんなに早く、こんなにあっけなくいなくなってしまった。そんな現実を私は否定してしまいたかった。全てが嘘だと思いたかった。
しゃがみ込む私にセシルが告げる。
「アダムは崖から落ちた時にはまだ生きていました。お嬢様を車から助け出したのは彼です」
「アダムが私を……」
「彼は同様に私も助けてくれました。でもその最中、車から離れようした際、車が爆発しました」
「私とアダムは巻き込まれました。アダムは吹き飛ばされた際に激しく岩壁に叩きつけられたらしく、近づいた時には既に、亡くなっていました」
顔を上げるとセシルの苦悶の表情が目に入ってきた。彼女は今にも泣き出してしまいそうだった。その筈だ、彼女にとってもアダムは親代わりのような存在なのだ。彼女に侍従の仕事を教えたのもアダムだ。
セシルの顔を見た私は、感情を押しとどめた。
「そう。ありがとうセシル、話してくれて」
「いえ……」
それっきりセシルは口をつぐんだ。先ほどと同じように肩で息をしている。額には汗も浮かんでいる。彼女はアダムと一緒に爆発に巻き込まれたと言っていた。心配になった私は怪我をしていないかセシルに聞いた。だが彼女は大丈夫だと言った。
「私は運よく砂の上に投げ出されました。少し背中を痛めましたが大げさに言うほどじゃありません」
「本当に?」
確かに見たところ裂傷を負ったり、血がにじんでいたりはしていないが、彼女のつらそうな様子を見ていると心配せずにはいられなかった。セシルはそんな私の視線を察したようだ。
「疲れているのはお嬢様が見てくれより重かったからですよ」
セシルは冗談めかしてそう答えた。彼女は苦しげながらも口元に笑顔を作って見せた。私はため息をついた。セシルが笑顔を浮かべても、それが無理をして作られているのは丸分かりだったが言っても聞かないだろう。けれど私はその笑顔に救われたような気がした。セシルに近づき服の袖で彼女の額の汗をぬぐう。
「分かったわ」
私は光の漏れる洞窟の入り口の方を向いた。アダムの遺体はそのままだろう。荒野の大地の上で吹きさらされているだろう。けれど、埋葬するために戻るわけにもいかない。バスタードに乗っていたアルギニアの軍人が私たちを追っている。出て行けば捕まるだけだ。車両の残骸は見つけやすい。
そのとき私は首からかけていたメモリーに気がついた。手に取ると、砂で少し汚れているが壊れている様子は見受けられなかった。運よく首から提げていたことで無事だったようだ。車に積んでいた荷物は殆ど吹き飛んでしまったことだろう。
けれど私はメモリーを見て無性に悔しくなった。こんなものがなければアダムが死ぬことはなかったかもしれない。そう思うと悔しくて悔しくてどうしようもなかった。私は血が出るほど強く唇をかんだ。そうして耐えていないとわめき散らしてしまいそうだった。
「お嬢様」
傍らからセシルが私を不安そうに見上げていた。いつまでもここでとどまってはいられない。ここにも追っ手が迫ってくるからもしれないからだ。それに車と荷物を失った今、望みがあるとすれば廃棄された街から少しでも役に立つものを手に入れるしかない。
私は暗闇に続く道を見た。このままあそこに入っていくのは危険だ。どこまで続くか分からない道を、視界なしに歩き続けることは避けたい。一刻も早く町のほうへ向かいたいが、この洞窟がそこまでつながっているかも怪しい。戻ることもできない、進むこともできない、こうなれば暗闇に身を潜ませてしばらく隠れておくしかないだろうか。
いや、ダメだ。ここに追っ手がやってこないとは言い切れない。見たところ隠れられそうな所は見つからない。暗闇に潜んでもライトで照らされてしまえばそれまでだ。明かりを持っていないことを期待したいが相手は正規の軍人だ、望みは薄いだろう。
それに時間がたてば応援が来て、逃げ切ることはますます難しくなっていく。この町の坑道は入り組んでいるが、地図があれば探索することは簡単だ。しらみつぶしに調べられれば必ず見つかってしまう。
考えれば考えるほど自分たちがどれほど絶望的な状況にいるかを痛感する。ここから近い別の町でも車で小一時間ほどの距離がある。単純に歩いていくだけでも相当な距離だ。それなのにウォーカーに追われながらとなると逃げ切ることはことさら厳しい。
いっそ軍人のウォーカーでも奪おうか、などと無謀なことを考え始めたとき、洞窟の壁面から吹いてくる風を感じた。入ってきた洞窟の入り口から吹いてきたのではない。その風は確かに壁面、横から吹いていた。
風が吹いてきたほうに向かう。暗闇が濃くなって見えづらいが、奥に空洞があるようだった。
何もないほうへ進んでいく主をいぶかしんだセシルが声をかける。
「どうかしましたか」
「まって、道がある」
折り重なるようにして阻む壁の横を、道がすり抜けて続いていた。慎重に進んでいくと突然遠くの方に光が現れた。どうやら外に続いているようだ。私はわずかながら希望がわいてくるのが分かった。この道を進めば別の出口にたどり着くことができるかもしれない。
私は来た道を戻ってセシルにこのことを話した。セシルも少しは疲労が抜けたようだった。さっきよりも少し楽そうに見えた。
「分かりました」といって立ち上がったセシルがバランスを崩してふらつく。すぐ近くにいたため何とかセシルを支えることができた。そのままセシルに肩を貸して歩き始める。セシルは申し訳なそうに言った。
「すみません、お嬢様」
「あら、平気よ。なんていたってセシルは軽いですからね」
セシルは女性としては背が大きいほうだ。私と比べるとその差がより際立って分かるだろう。それにふさわしく彼女のほうが体重も上だ。
私の言葉にセシルは力なく微笑んだ。そのまま狭い道を何とか通り抜けながら光のさす道に出た。その光を見たセシルはいくらか力がわいたようだった。それは私も同じだ。二人して足取りに力強さが出てきた。
しかし思った以上に長い道のりだった。おまけに道は上り坂になっている。それでも私たちは支えあいながら何とか出口を目指した。何も考えず、体中に痛みを感じながらも止まることなくただ歩き続けるさまは、まるで光に吸い寄せられているかのようだった。
「あと、もう少し」
とはいっても光の出口へ近づく頃には疲れでへとへとになっていた。そして重くなる足を動かし、最後の一歩を踏み込んだ。ようやく出口だ。
希望を胸に出口に飛び込んだ私たちを待っていたのは外の景色ではなかった。
「ここは……」
唖然として言葉を失う。
そこはまだ洞窟の中だった。それも今までのような狭い洞窟ではなく、まるでホールのように広がっていた。
空洞はいびつながら半円球の形をしていた。どうやら壁面から中央に向かうにつれて高くなっているようだ。壁際では6メートル、中央付近は10メートルほどありそうだ。壁面には水晶のような鉱石が突き出していた。大小さまざまでいたるところにある。大きいものは50センチメートルほどありそうだった。
そして中央部分は上に向かって大きく窪み、そこらは少量の砂が細かな筋となって流れ落ちているようだった。そこから流れ落ちた砂は中央に大きな砂山を作り上げていた。地面一帯は砂で埋め尽くされていた。非常に細かい、踏み出した足が2センチメートルほど沈み込んでいる。まるで砂漠の砂だ。光に照らされて黄金色に輝いている。
光。そう光だ。どうして洞窟の中なのにこんなにも光であふれているのだろう。
不思議に思いながらあたりを見渡していると、砂山の中から砂とは違うものが奇妙にはみ出しているのを確認した。最初は岩の固まりかとも思ったが違う。あれは何かの金属片だ。
そこまで捉えたところで、私にはそれが何なのか分かってしまった。
あそこに埋まっているのは、紛れもない”ウォーカー”だ。