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ロストエンブレムズ  作者: 柏井啓
砂の中の英雄
3/6

砂の中の英雄③

カナベラさんはもう出てきません。多分。

 日は既に沈む一歩手前まで来ていた。玄関から外に出ると、町にさえぎられて夕日の姿は見えなかった。ただ、空に真っ赤に染まる雲が見えた。いつもなら気にしないところだけど、今日の空はなんだか不気味に思えた。セシルの険しい表情やさっきの話がそう感じさせるのかもしれない。


 セシルに身支度をと言われて、私は最初、公衆の場、会合にでも連れて行かれるのかと思ったが、どうやら違うらしい。セシルが用意したのは、ドレスなんかじゃなく、歴史研究のフィールドワーク用として持っているジャケットやブーツだった。伸縮性や機能性といった面で気に入っている衣装なのだが、侍従や家の人間からは選任議会員の娘がする服じゃないと好まれていない。こんな風に用意されることなんて滅多にない。


 不思議に思って、セシルに問うが、彼女は短く「だんな様がお話しになります」とだけいい、私に用意を促した。もうすぐ夜が来る。こんな時間に外に出る格好なんて気が進まなかったが、セシルの雰囲気に圧倒されて、渋々着替えたのだった。


 もともと外出の用意に時間を割く方ではないが、今日はいつもよりさらに早い。正面玄関を抜けた先には、わが父べニー・G・エイデンスが待っていた。足取りが重いがいかない訳にもいかず歩み寄っていく。私の後ろにはセシルとは別の侍従が付き添ってくる。我が家の侍従長カナベラ・ベロウズだ。


 父ベニーは恐らく帰宅の際に乗ってきたであろう車の前でアダムと話し合っていた。言い争いをしているのか少々言葉が荒くなっているようだった。


「しかしだんな様、それではあなたが」


「今、お前が考えることでない。私の身は案ずるな」


「ですが!」


 アダムが食い下がって言い寄ろうとしたところで、こちらに気がついたのか軽く会釈する。それを見た父もゆっくりとこちらに振り向いた。思わず緊張するが、父の表情に変化はなかった。いつもと同じように眉を寄せた無表情だった。


「来たか」


 無愛想にポツリと呟いた後、アダムのほうに向き直った。


「頼むアダム、行ってくれ」


 アダムは無言のまま父を見上げた。重苦しい空気が流れ、私からは話を切り出せない雰囲気だった。おとなしく見守るしかない。アダムと父はしばらくにらみ合っていたが、アダムがあきらめたように息を吐いた。


「分かりました。それでは」


 アダムは私たちを横切り、屋敷のほうへ向かっていく。その背中に父が声を投げかける。


「アダム、お前には感謝をしている。ありがとう」


 それほど大きな声ではなかったから、届いていたのかどうか分からない。アダムはそのまま行ってしまう。そのうしろ姿を私たちは見送った。


「フロリア」


 振り返ると父がこちらに近づいてくるのが見えた。もともとそこまで離れていたわけではないので、距離はすぐ縮まった。あたりが薄暗くなり始め、彼の表情は見えづらくなったが、おそらく無愛想なままだろう。容易に想像が付く。セシル以上に表情の変わらない人だ。


「前置きはしない。時間がないからな。カーク・フィアデルソン氏が遺体で発見された」


「は?」

 

 唐突過ぎて、一瞬目の前の父親がなにを言っているのか分からなかった。しかし、戸惑う私に構わず父は続ける。


「正式な発表はまだだが、殺害されていたそうだ。犯人は分かっていないが暗殺されたのだろう。お前は今すぐこの国を出ろ。メイズにいる友人に話は通してある」


「そんな、おじさんが……」


 遺体、殺害、暗殺、突き刺さるなじみのない言葉に思考が追いつかない。何とか搾り出した声は今にも消え入りそうだった。


 カーク・フィアデルソン氏は、父と同じ選任議会員の一人でもある。父が軍人だった頃からの知り合いらしい。屋敷を訪れた際やパーティーで出会ったときには気さくに話しかけてくれていた。まるで愛想のない父とは違って、軽口や冗談の通じる相手だったため、私とも幼い頃から親交があった。


 そのフィアデルソン氏が亡くなったという事実はまるで現実味がなかった。普段から冗談のひとつも言わない父が口にするからか、逆に信憑性が感じられなかった。おまけにこの国を出るという話が私をさらに混乱させる。


 戸惑う私に父が懐から取り出した長方形のなにかを差し出してきた。見たところどこにでもあるようなメモリースティックのようだった。輪のような先端部分には紐がつながれており、タグやネックレスのように首から下げられるようになっている。私は何も考えずにそれを受け取る。


「これを持ってメイズへ行け。まずは東部地方ウェルダー・フィールドにあるサザメという町を目指せ。そこにメイズからの協力者が来る。合流して……」


「ちょっと待って!」


 私の状態を解せずに矢継ぎ早に説明する父に思わず抗議の声を上げる。思考する前にどんどん話が進んでいくからうまく理解できない。落ち着くために一度深呼吸する。


 まだ混乱しているが、状況を把握するためにも無理やり父に問う。


「……勝手に話を進めないで。どうして私が……私が行かないといけないの?私も命も狙われてるっていうの?」


「……命を狙われるという確証はない。が、この国にいると危険なのは確かだ。」


 父はちらりと私の手にあるメモリースティックを見る。


「そのメモリースティックにはあるデータが入っている。それを持っていることでさらに危険な目にあうかもしれない」


 その言葉を聞いて私の戸惑いは怒りに変わった。私は怒りを込めて父を睨んだ。対する彼はその目線を動じることなく受け止めた。私は憎々しげにはき捨てた。


「随分と大切なデータなんでしょうね。なんせ娘に運ばせるくらいですもの」


 上品な口ぶりだったが、中には嫌味がたっぷり詰まっていた。セシルの時とは違い明確な悪意が込められていた。もともと嫌いだった父親から「この危険なデータを持って行け」などと言われたらこんな言葉飛び出してしまうしまうのも仕方ないだろう。


 父は年端も行かない娘から厳しい非難を浴びせかけられても激昂することなく、粛々とした態度を崩すことはなかった。


「この状況で一番信頼できるのはお前だ」


「そんなに風に思われていたなんて気づかなかったわ。鈍くてごめんなさい」


「フロリア」


「母さんをないがしろにしたときと同じね。何も変わってない」


 今まで全く動じることのなかった父がピクリと反応した。私が口にした言葉は、私と父との仲を険悪にした原因となったもののことを示していた。父は黙りこくり、あたりには重苦しい沈黙が流れた。私は父の姿から視線を外し、俯いたまま言葉を紡いだ。


「突然、暗殺だ、国外に出ろなんて言われても混乱するだけよ。何もできないわ」


 全てを拒むような口調だった。ついさっきまでセシルとの雑談を楽しんでいたのに、父からの言葉で、私は突然真っ暗闇な迷路に突き落とされたかのような恐怖を感じていた。あまりに突然で、非現実でどっちに進めばいいのか分からない。心構えすらできていないのに、父の言うような行動を冷静に取れるはずがない。


 父は依然として黙ったまま、彼の声は聞こえてこなかった。太陽は完全に沈み、街灯がつき始めていた。屋敷から漏れた光が父を照らしていたが、私はその顔を見ることはできなかった。だからしばらくして頭上から父の声が聞こえてきたときは突然降りかかってきたようだった。


「フロリア、お前にとっては突然のことかも知れない。だが相手が同じだとは限らない」

「カークを殺害した連中にとっては予定通りのはずだ。事態はもう動き出している。私たちだけが立ち止まっていては相手に遅れをとるだけだ」


「……」


 父は謝るわけでも、言い訳をするでもなかった。ただ淡々と事実のみを口にした。いつでもそうだった、この人はこの件に関しては詳しい事情を話そうとはしない。


 再び訪れた沈黙を破るように車が近づいてきた。どうやら、屋敷の横に備え付けられた車庫から来たようだった。私は顔を上げてのその車両を確認した。近づいてきた車は父が乗ってきたセダンタイプの車両ではなく、一回り大きいSUVだった。


 ゆっくりと停車した車の後部座席から降りてきたのはセシルだった。運転席に座っているのはアダムだろう。セシルはいつものような制服姿ではなく、ジーンズにジャケットという格好だった。彼女は後部座席を開いたままこちらに向かって一礼する。そんなセシルに対して父は言った。


「少し待ってくれ」


 セシルはうやうやしくもう一度会釈する。父は振り向き私を真っ直ぐ捉えた。


「この研究データは古い時代の遺物だ。しかし、持ったものによっては危険な価値が見出される」

「このデータは必ず守らなければならない。その役目をお前に託す」


 私は父の目を真正面から覗き込んだ。私はその目から視線をそらすことができなかった。父とこんな風に向かい合ったのはいつ以来だろう。たぶん母がこの家を去って以来、私は父と真摯に接することはなくなっていったんだと思う。ここでそらしていたら、父の目に宿る固い決意を読み取ることはできなかっただろう。


 私はうなだれた。


「……分かった。行くわ」


 父の言葉に納得したわけではなかった。父への怒りも不信感も拭い去れていない。そしてこのメモリースティック。これが私にとってどのような意味を持つことになるのか今はまだ分からない。それでも、この国を一刻も早く出なければ危険な状況だということは伝わってきた。


 私の言葉に父は短く「そうか」とだけつぶやいた。


 私は無言で父の横を通り過ぎ、車へと向かった。セシルが立ったまま待っており、私が近づくと乗りやすいように案内してくれた。私が座席に座ると、セシルは扉を閉めようとするが、彼女の服の袖を引っ張って隣に座るように促す。セシルは優しく微笑み私の隣に座ってから扉を閉めた。


 父は運転席の窓を開けたアダムと小声で話し合っていた。言葉少なめに会話を切ると後部座席のほうに近づいてくる。アダムが開けたのか、勝手に後部座席の窓が降りていく。


 私の顔をじっと見た後、父はセシルのほうを向いた。


「セシル、娘を頼む」


「お任せください。必ずお守りします」


 セシルは落ち着いて返答した。彼女は今のこの状況に対してどういう想いを抱いているのだろう。


 父はうなづいた後、私に対して表情を変えずにこう言った。


「フロリア、お前ならやり遂げられると信じている」


「また勝手なことを……。これからどうするの?」


 あたりを気にするように父は外を見渡した。


「望みは薄いが、私は事態が収まるよう動くつもりだ。詳しいことはアダムに話してあるが、お前たちはメイズにいるグロス・ブロッケンを訪ねろ。事態をうまく収拾できたら彼に連絡する」


 父にとってもこの首都にとどまることは危険なはずだ。彼がどうやって事態を収めるのかは知らないが、そう簡単ではないだろう。


「母さんとメリーアンはどうするの?」


「エレンとメリーアンには後で連絡する。彼女たちがいるのはこの首都から南に随分離れたところだ。お前よりは安全だ」


「そう」


 私たちの会話はそこで途切れた。父は最期にもう一度私の顔を見た後、アダムに合図を出した。


「アダム、行ってくれ」


「はい、だんな様。どうかご無事で」


「ああ、ありがとう」


 短い二人の会話を最後に車は走り出す。車は門をくぐり街道へと出た。いつもの町並みと変わっていない。けれどこのどこかに、私たちを狙う何かが潜んでいるかと思うと体が強張る。手が急に暖かいものに触れたかと思うと、自分でも気づかないうちに震えていた手をセシルが握ってくれていた。


 私は振り返り、今しがた自分が通ってきた門を見つめる。そこには街頭に照らされた父が立っていた。父がこんな風に私を見送ったという記憶は私の中にはない。


 どんどんと遠ざかっていく父の姿を見ながら、私はいいようのない不安に駆られた。

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