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森の中は思ったよりは暗くなかった。ある程度道が整備されていることもあり、遊歩道を思い起こさせる雰囲気だ。時折張り出した木の根が足を取るが、それ以外で歩きにくいと思うことはない。考え事をしながらでも転ぶことはなさそうだ。
この森に入ってから俺は実験を繰り返していた。ティトには他人に見られないように諌められたが、この視界の悪い森の中でどうやったら見られるというのか。対処法だけは相談しておいた。
一体何の実験をしたのか。それは戦闘方法に他ならない。イメージで攻撃できるといっても、この森の中だ。火はまずいだろう。森林火災になる。同じ理由で雷も却下。かといって水で一撃必殺の攻撃性能を持たせようとなると水流カッターくらいしか思いつかないが、正確にイメージできない。俺がイメージできるもので、対象だけを正確に攻撃できそうな風はない。嵐とか自然破壊が過ぎるし。地面をどうこうするのはできるだろうが、後の影響が怖い。一撃必殺ってことは地割れくらいだぜ? 現場をイメージすることはできるが、修復しようがない。
よって、まともな攻撃手段が無いことに気付いたのだ。森を利用して、例えば枝や根を操ることはできそうだが、戦い方はここ独自のものだと汎用性に欠ける。場所によっては開けたところで戦う可能性だってあるわけだし。一撃必殺に拘らなければ、消防の放水車みたいなことはできるだろうけど、それだけで倒せるとは思えない。
そこで思いついたのが、影を操ること。自分の影もで良いし、その辺の地形にできた影でも良い。これをどうにかできないかとイメージをこねくり回していた。これなら森だけでなく、どこで戦うことになっても武器になる。だからこそ、実験として影を操れるか試してみたわけだ。
結果としては、自分の影なら問題なく、地形の影なら近場のものならば利用できるようになった。イメージは、以前触ったことのあるゲームのキャラの技。そこから派生して自分なりに色々できるように。
ただ問題は。
「本当に攻撃能力があるのかね」
もとは影だ。質量なんてないし実体でもないのだから、ただ操っているだけなのかもしれない。
剣にしてみたり、針を飛ばしてみたり、獣の牙みたいに噛み付いたりはできるようになったが、果たして。
「それで殺傷できると強くイメージすれば、影の刃でもきちんと切断できますよ」
イメージ、か。ゲームなら当然のように敵にダメージを与えていた。それならば当然攻撃力はあるはずだ。
丁度良い。道を塞ぐ腰ほどの高さの草を、影の剣で払ってみる。
俺の影が地面から浮き上がり、鋭い刃が横に振るわれる。
音もなく草は千切れ、緑色の残骸が空中を舞う。
「おぉう……」
これが魔獣に通用するかは別だが、少なくとも刃物としての威力は存在することに満足し、さらに進む。
解毒草の群生地はもう少し先の広場だという。
藪をかき分け、時に切り払い、少しずつ進んでいく。
時折ローブが枝に引っ掛かるのが鬱陶しい。
ティトは俺の頭の上でのんびりとくつろいでいる。
世話になっている手前、手荒には扱えないが、釈然としない。
会話でもしてくれれば良いのだが、向こうから積極的に話を振ることはないようだ。
無論聞きたいことは山ほどあるが、恐らく覚えないといけないことも多々ある。こんな状況で聞いても右から左に流れるだけだ。
よってできる話も最小限。
解毒草はどういう姿形をしているのか。薬効成分は主にどの部分に存在するのか。どの毒に効くのか。
答えは簡潔で、一問一答式という単語が頭に浮かんだ。
そうして歩いているうちに、目の前がぱっと開けた。
「これはまた、すごいな」
鬱蒼と茂った森を抜けると、そこは楽園だった。いや、さすがに大げさが過ぎるか。
直径一〇メートルくらいの広さではあるが、足首くらいまでの深さの花畑が広がっていた。
黄色、桃色、薄紅色、藤色、白色。色とりどりの植物が自生している。
ぼんやりと思い浮かんだのは、赤ずきんの童話だった。
こんな光景を見てしまったら、おばあさんのこと忘れるよなぁ、と。
だが俺は依頼を忘れてはいけない。幸い陽はまだまだ高い。今から採取を始めれば、きっちり夕方には街に戻れるだろう。
確か解毒草は黄色い植物だったな。一枚きりの合弁がバラのように波打っているとか。物理的にありえねえだろ。
「とか思ってた時期が俺にもありましたってか」
ありましたよ、バラのような合弁の花が。いちいち開いて確認したわけではないが、生命の神秘を見せ付けられた気分だ。
打ちひしがれている場合ではないので、手早く摘んでいく。
依頼に必要な分を採取するのに、それほど時間はかからなかった。
「この辺の植物は、他にはどんなのがあるんだ?」
困ったときのティトさん。
「んー。根っこが解熱の効果を持つものと、花弁が痺れ消しになるもの、あとは傷薬の原料のものですね。ついでに採取していきますか?」
「おう。俺達で使わなくとも、最悪どっかで買い取ってくれるだろうしな」
魔獣がうろつくような森にある薬の材料だ。今は良くても、そのうち品薄になるだろう。採取地がここだけとは限らんが、入手先が一つ減るというのは痛手のはずだ。
時間の許す限り、ぷちぷちと薬草を抜いていく。抜いた草は貰った袋に入る限界まで詰めていくことにする。
そして袋が八割がた埋まったとき、奴は来た。
「……あ?」
声が出なかった。
体高が三メートルはあるだろうかという大猪。
それが、花畑の向こう側からのっそりと顔を出した。
「魔獣です、ユキ様」
あれが魔獣。
幸いこちらに気付いていないのか、気にも留めていないのか、鼻をふごふごと鳴らしながら辺りを巡回している。
「な、なぁティト? あれって、強力な個体って奴じゃないよな?」
「まさか。あんな分かりやすい獣の形をしているのは最下級の証拠ですよ」
獣姿は最下級になるらしい。
気付かれていない今がチャンスだ。影を操って一撃で仕留める。
だというのに、影はピクリとも動かない。
本能的に理解を拒んでいる。
あんな生物は存在しない。
イメージが纏まらない。
喉から水分が抜ける。
脳が警鐘を鳴らす。
呼吸が浅くなる。
足が動かない。
猪に気付かれる。
俺の顔を認識する。
地を足で踏み鳴らす。
一度体勢を屈めて突進。
すぐに距離が詰められる。
「ヒ、ッ――――――!!」
両手で頭を抱える。そんなことをしても無駄だというのに。
あの突進は俺の体をたやすく破壊するだろう。
ぼんやりと、大盾兵二人が運が良くて負傷、という意味が理解できる。
一般兵士、少し侮ってたけどすごいわ。これに立ち向かえるんだもの。
運が悪いと蹂躙されるという意味もあっさりと理解できる。
運不運の問題どころじゃない。生物学的に敵うわけがない。
おかしい、いつまで経っても衝撃がこない。
恐る恐る目を開く。
「全く。最下級の魔獣程度の攻撃だったら防げるって言ったじゃないですか」
ティトが、片手を前に突き出して、猪の突進を止めていた。
やだ素敵。