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ピートが持ってきてくれた調合器材は実に多岐にわたっていた。
まずは基本の乳棒と乳鉢。これは既に持っていたが、今使っているものが壊れたときの予備にでもしておこう。
そして薬研。いや、この世界での呼び名は薬研ではないんだろうけれど、どう見ても薬研だ。
次に濾過器。大きな箱状の物体で、上部に漏斗のような口があり、そこに液体を入れると不純物を濾しとって、下のホースから濾過された液が出てくるそうだ。構造が知りたいが、開けたら変なものが入り込みそうなので開けにくい。
メンテナンスの方法も気になったが、そこは専門の魔道具屋に持っていけ、ということらしい。濾過器は、この世界では魔道具の範疇にあるようだ。まぁ、マッチが魔道具屋に売っている世界だ。それなりに高度な技術関係は魔道具と言われるかもしれない。
さらに出てきたのは遠心分離機。正直、今の俺には使いどころが分からない。抽出しろってレシピはあった気がするが、あれはあくまで煮出せばやれるようなものだし、特定の成分だけを抽出するような調合方法は、あのレシピには載っていなかったはずだ。仮にあったとしても、今度は分離させなきゃいけない原料が手に入るかどうか。貰えるのだから貰っておくけれども。
なお、遠心分離機も魔道具の模様。そりゃそうか。スイッチらしきものを押せば自動的に回るのだから。これ、どうやってメンテナンスするんだろうな。
天秤も出てきた。調合には正確な分量を扱う必要もある。今まで作ってきたように、大雑把に丸ごと一房をすり潰せば終わり、なんていう薬の方が少ない。これで難しい薬も作れるようになりそうだ。
あとはガラス器具をいくつか。薬と一口に言っても、癒すものから毒物まで様々な効能がある。金属や陶器では扱えない素材なんかもあるそうで、それを考えれば確かに何種類かは確保しておきたい物ではある。
これだけの量だ。使い古しとはいえ、まだまだ使える物なのだから、金貨三枚以上の値段がつくというのも頷ける話だ。
「これで器材は全部だ。持てるか?」
「ああ。気にするな」
普通に持ち運びできるだけの力はあるし、影の中に入れることも出来る。運搬に関しては何の問題もない。
問題は、宿屋に運び込んだとして、使っても良いのかどうか。場合によっては宿を出て行かなければならない。特に遠心分離機。これ、確か音が凄かった気がする。高いものだったら低騒音仕様のものもあった気がするが。
……まぁ、よくよく考えれば使わないからどうでもいいか。レシピが無いのだから、分離機を使った薬を作ることは不可能だし。というかピートはなぜこんなものを持っているのか。しかも買い換えたってどういうことだ。そんなに頻繁に使うのか。
あれか、水薬系のものに使って、薬用成分を抽出しているのか? そういえば研究とか何とか言っていた気がする。あのアンチドートも、溶かして遠心分離機に掛けられたりするのだろうか。謎は尽きない。興味は無いが。
「それとだな、一粒だけじゃサンプルとしては物足りない。在庫が何個あると言っていたか……?」
「買ってくれるのか? 一応放出できる分は三〇粒ほどあるが」
「ふむ。全て買い取ることは出来んが、とりあえずは一〇粒だ」
願ってもない話だ。売れるのなら、何だって良い。最初の一粒の金貨三枚相当は投資と言っていたから、あくまで特別な措置のはずだ。今度は一〇粒と言えど、そこまで高くは買い取れまい。ただ、キュアポイズンの市場価格が今のところ銀貨一〇枚くらいらしいから、それよりは上の値段がつくと思われる。確かイリーヌさんは、売れば大金貨で取引されるとは言っていたが、それはあくまで商人が値段を付けた場合だ。というよりも、アンチドートのネームバリューを考えれば、値段が付けられないというのが正しいところだろう。命に直結する薬なわけだから、金をいくら積んでも欲しいという奴はいるだろうし。
ピートはカウンターに戻り、引き出しからごそごそと何かを取り出している。
出てきたのは算盤だ。兎の前脚としか表現できない手で、器用にパチパチと弾いている。
……あの手で調合とか、研究とかするんだよな?
何と言うか、生命の神秘を垣間見た気がする。気のせいだと思うけど。
ふと、生暖かい視線を感じたので横を見る。
イリーヌさんが何とも言えない表情をしていた。
「何だよ」
「ふふ、ユキちゃんの薬は本当に凄いと思ってね」
「そうか? 基準が無いからよく分からん」
そりゃまぁ、革命的な薬ってことくらいは理解できるが。随分と簡単に作れてしまったものだから、あまり実感がわかない。
もしこれがとても貴重な素材を使って、何日も何日もかけて作るような薬であれば素直に賞賛を受け止めたかもしれないけれど。
アンチドート。神代の霊薬の名前だそうだが、原材料は解毒丸。解毒草とハードノッカーの肝を乾燥させて磨り潰したもの。あとは俺の魔力か。魔力容量が、気のせいで済まされる程度に減るくらいの魔力を込めた。たったそれだけなのだ。
他人の調合を見たわけでもないし、レシピ書には魔力を込める、だとかは載っていない。だから、俺の発想や実際に出来上がったものがどれほどのものなのか、いまいち判断がつかないのだ。
まともに薬を使った経験もないし、効果を比べたわけでもないから当たり前の話だ。
「そうだねぇ。ユキちゃんの作ってくれた傷薬なんだけどね?」
「おう、いきなりどうした」
イリーヌさんが唐突に話し出す。その瞳は真っ直ぐにこちらを見つめている。初めて作った傷薬がどうしたというのだ。
「ここ最近首都で売られている薬よりも効果が高いんだ。傷薬系統が今は品薄みたいだから、店仕舞い直前に在庫全部くれっていう冒険者が居てね。あれで全部だから、もうありません、としか言えなかったけど、これは明日が楽しみだよ。今日のヒールポーションなら、どれほどの効き目が出るんだろうね」
そうか。俺の薬は、それなりに評価されているのか。
知らず、口元が緩む。
自分の成果が認められるというのは、思った以上に嬉しいものらしい。
「試算はこんなものか。おいユキ、こっちにこい」
計算を終えたピートが俺を呼ぶ。
カウンターに寄っていくと、ピートが小さな布の袋を無造作に置く。
ジャラリ、と重い音が鳴る。中身はそれなりに詰まっているようだ。
「いくらで買い取ってくれるんだ?」
「中身を見れば分かるさ」
言われるままに袋の口を開けて、数枚手の平に載せる。
「って、これ金貨じゃねぇか!?」
驚いて中身を確認すると、それは全て金貨で構成されていた。
総額、金貨二〇枚。一粒あたり金貨二枚。金貨一枚あれば一年遊んで暮らせるというのに、その二〇倍。あまりの金額に挙動不審になるのを止められない。
「そんなに驚くことか?」
「驚くだろ! だってこれ、売り物にならないんだろ!?」
「売り物になるようにすれば充分すぎるほど元が取れる」
確かに、もし本当にアンチドートが完成すれば大金貨が入ってくる。素材の値段にもよるだろうが、充分な儲けが期待できるのだろう。
「それにな、副作用を気にしない人間ならば、こんなものでも大枚をはたくさ。そうだな、一件、毒を受けた貴族が居てな。あらゆる解毒剤を試したそうだが、快復の見込みがないそうだ。そんな奴でも、こいつを使えば命が助かるとなれば、報酬は想像に難くない」
「な、なるほど。そっちに売れば、俺に払った分くらいはすぐに回収できるってわけか」
それならこの金額も納得だ。もし貴族がもっと高い報酬を提示していたとしても、ピートの中間手数料として考えれば悪くはない。俺に伝手は無いわけだし、紹介料代わりだ。
「おいおい、俺を見くびるな。そいつに売る気なんて無いぞ? これは俺の研究材料だ。誰にもやるものかよ」
「ひでぇなおい」
「全く、これだからピートは……」
イリーヌさんも呆れている。イリーヌさんの場合、薬は困っている人のために、という信念があるから、ピートの行動は納得できないところがあるのだろう。だがそれでも、ピート自身は副作用のない、万人に勧められる薬を作るという根幹を持つために、非難するほどのことでもない、と。
「それに、だ。それくらいの金額は、一流の冒険者なら一晩で稼ぎ出す。……もっとも、一晩で使い切るような額でもあるがな」
そう言ってピートは口の端を皮肉めいた形に歪める。もとが兎の口だから、にやりと笑おうがただただ可愛いだけだ。
そうかー、一流の冒険者なら一晩で金貨二〇枚も稼ぐのかー。
「って、俺まだ駆け出しだから!」
こっちの世界に来て、まだ一ヶ月ほどしか経っていない。そんな俺が一流冒険者と同等の金額を稼ぎ出すなど、常識的に考えてあり得ない。
それにしても、一晩で金貨二〇枚を使い切るって何をすれば良いんだ。金貨一枚で一般家庭が二年くらい暮らせるんだぞ。
あ、依頼で消耗した武器とか防具の修繕、あるいは新調、薬の補充なんかを考えるとそれくらい掛かるのか。
駆け出し用の装備が銀貨数枚なんだから、ある程度稼いでくる冒険者の装備ならば数十枚は必要だろうし、上級者ともなれば金貨で支払うようなこともあるのかもしれない。
今はまだ実感が湧かないが、よくよく考えれば俺はそこそこの強さの魔獣を倒すことが出来る。普通ならばパーティを組んで倒すべき魔獣をソロで倒せるのならば、一流冒険者並の稼ぎをたたき出すことも不可能では無い、か。
事実、前の街では何級だかは知らないが、金貨五枚にもなる魔獣を倒している。駆け出し云々は最早関係が無い。この世界では、実力さえあれば幾らでも上に行けるようだし。実力が無ければあっさりと死ぬようだが。
となると、あぶく銭のような手に入り方ではあるが、この金はさっくりと使ってしまってしまおうか。それとも何かあったときのために貯金しておくか?
などと大金の使い道を考えていると、イリーヌさんがこちらを見つめているのに気がついた。
「ん、どうしたイリーヌさん」
「楽しそうだね、ユキちゃん」
は? 俺が、楽しそう?
訳が分からない、という顔で見つめていると、イリーヌさんが笑い出す。
「大金を手に入れて、慌てたり戸惑ったりしたと思ったら、今度はにまにまと口元を緩めているんだもの。楽しそう、以外にどう表現すればいいんだい?」
「うあ……」
まじか。そんな顔をしていたのか。やべぇ恥ずかしいぞ。
手で顔を覆って頭を振っていると、ピートが淡々と告げてくる。
「いちゃつくなら外でやってくれないか。俺はこれから薬の研究をする。忙しくなるから相手してやれん」
あ、はい。いちゃついてるわけじゃないですけども、分かりました。
二人してバツの悪い顔をして外に出る。
さてどうしようか、と思案し始めたところで、イリーヌさんが話しかけてくる。
「調合器材、おめでとうユキちゃん」
「よせよ。話をつけてくれたのはイリーヌさんだろ。手に入って当たり前の状況なんだから、おめでとうも何も」
彼女がピートと俺とを橋渡ししてくれたのだ。彼女が居なければ、俺はいまだに調合器材を手に入れられていなかった。
そんな彼女から祝福されるのは、なんだかおかしな感覚になる。
もやもやした気持ちを抱える俺を見て、イリーヌさんはくすくすと笑う。さっきから笑いすぎだろ。
軽く睨んでやると、イリーヌさんはまた笑い出す。
「くふふ、いや、ごめんごめん。ユキちゃんがあまりに嬉しそうだったから、つい、ね」
「む、そうだったか?」
俺はそんなにも嬉しそうだったのだろうか。確かに色々と調合できるようになれば嬉しいけど、それよりも他にやることがあるのだから喜んでばかりはいられない。
「ユキちゃん。ちょっとお茶でも飲んでいかないかい?」
「あー、どうすっかな……」
時間はまだまだ昼過ぎといったところ。この近場で済むような依頼なら請けることはできるか。
となると、薬の素材も探しておきたいし、今回は断ろうか。第一、ここに来る前にも飲んだわけだしな。
「ちょいとばかし、次の用事があるんだ。お茶はまたの機会ってことで」
「残念、振られちゃったね」
とても残念そうに。
耳がしょぼんと垂れている。顔は気丈に、飄々と振舞っているが、頭の上の耳が、ものすごい勢いで垂れた。
何だろうこの罪悪感。
「出発前の最後の時間くらいは付き合うよ。それで良いか?」
居た堪れなくなって、ついそんなことを言ってしまう。別に問題は無いけれど。もともと最後の挨拶くらいはするつもりだったし。
ただ、それを文言どおりに受け取る方は。
「ほんとかい!?」
目を子供のように輝かせて、耳をピンと天高く向けていた。
先ほどまでの意気消沈振りが嘘のようだ。というか、嘘だったんじゃないかと思えてしまう。
全く。黙っていれば美人なのに。どうしてこうも内面との乖離が激しいのか。決して悪いものではないの性質の悪いところだ。何せ俺は、彼女のこういう残念な面を可愛いと思ってしまっているのだから。
「ああ、本当だよ。出発は三日後の何時なんだ?」
「その日は店を開く最後の日ってだけで、出発そのものはその次の日さ。でも早朝に発つ心算だよ」
随分と急ぐのな。もうちょっとゆっくりしていけば良いのに。
「護衛は見つかってるのか?」
何せ彼女の依頼は特殊だ。ソロ限定だものな。もし誰も引き受けていないのなら、身は空いているし俺が請けてもいいかもしれない。
「ああ、請けてくれる人が居るよ。そもそも護衛が見つからなければ仕入れにも行けないしね。心配はいらないさ。まぁ、ユキちゃんが請けてくれるなら大歓迎だけど」
そうか。見つかったんだな。それなら安心だ。どんな奴が請けたのか一目見てみたい気もするが、そこまで行くと俺はイリーヌさんの親父か何かになってしまう。安心して任せられるとか何とか、俺は一体何様だ。
「また別の機会に、だな」
それが何時になるかは分からないけれど。
「うん、楽しみにしておくよ」
イリーヌさんもそれが分かった上で、軽く返答している。そもそも冒険者と依頼主なんて、袖すりあう事もないほどに遠い存在だ。
それが何の因果か、ここまで関係を持ってしまっただけなんだ。例外中の例外。恐らく彼女とも、そのうち疎遠になっていくだろう。俺だってずっと首都に居座るわけじゃない。依頼の関係でもっと遠い地に行くかもしれないし、悪魔討伐のために人里に寄り付くことがなくなるかもしれない。
俺自身、この先何がどうなるか不透明なのだから、イリーヌさんと触れ合うのも、明日が最後かもしれない。
そう思うと、少しだけ感傷的な気分になる。
だからだろうか。
「……あの、さ。仕入れって、どこに行くんだ?」
こんなことを口走っていた。
仕入先なんて、商人にとっては秘中の秘だろうに。
教えてもらえるわけなんてない。
そう思い、なんでもないと言おうとした矢先。
「知りたいかい? どうしても知りたいかい? いやー困ったなぁ、本当は秘密なんだけどなぁ」
やたら嬉しそうな笑顔で、ちらちらっとこちらを見てくるイリーヌさん。
「あ、やっぱいいです。知りたくなくなりました」
脊椎反射のように口をついて出た。
何だろう。普通に教えられないとか、簡単に教えてくれるとか、色んな反応があるだろうに、この反応。
やっぱりイリーヌさんは残念な美人さんだ。
:お詫びと訂正:
ストーリーを作り直した際、話の順番を入れ替えたため、まだ出てきていない登場人物の名前が入っていました。
2/13 19:30 以前に読まれた方には、ご不明な点を作ってしまい申し訳ありませんでした。




