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どれほど気を失っていたのだろうか。
ぼやける視界の中、ゆるゆると目を開けていく。
「……テント、か?」
目に付いたのは天幕。
斜めに張られた黄色い布が、カンテラの明かりに照らされていた。
起き上がる。
痛むところは無い。
もともと怪我をしていたわけでもなし、魔力さえ回復すれば疲労も抜けるわけか。
「……ティト?」
俺が目を覚ませば、何かしら言葉を発しそうな妖精が居ない。
寝ているのかもしれないと体を探ろうとして、異変に気づく。
「なんで脱げてんの!?」
さすがに裸ではないが、コートが無かった。
忌々しい髪と顔とを隠すための装備が、剥がれていた。
勿論、コートの内側に隠れているティトも居るはずがない。
慌てて周囲を見渡す。
幸い、コートやその他装備はテントの隅に置かれていた。白魔もだ。こんな重いもん、よく運んでくれたものだ。
コートをばさばさと振るが、やはりティトは居ない。
俺はそれを纏い、入り口から顔を出す。
日はまだ傾いておらず、倒れていた時間はそれほど長くないことが窺える。
目に入る範囲に人は居ない。
テントだけ設置して撤収したということも無いだろう。
レーダーを確認すると、どうやらこの周辺には倒れた魔術師達を寝かせているみたいだ。
動かない光点がいくつもと、さらに外周部をゆっくりと歩く光点がちらほら。
さらに遠くで数個の光点が固まって移動している。薪か何かでも拾いにいっているのだろう。
つまりここはキャンプ地だということだ。
テントから出て、軽く辺りを散策する。
戦闘痕が遠くのほうに見えることから、多少は距離を取ったことが分かる。この程度で安心できるとは思えないが、改めてレーダーを確認すると、確かにうっすらとした明かりは最早存在しない。魔素溜まりは消えたようだ。
もしかすると経験則か何かで、この程度の距離をあけていれば、何か起きても対処できると分かっているのかもしれない。
こういう時はいつもティトに確認を取っていたのだが。
「でもティトは居ないんだよなぁ」
フードの内側に手を入れ、頭をガシガシと掻く。
と、後ろから急に声を掛けられる。
「あら、起きたんだ」
「ん、アンタか。アンタこそ体はもう大丈夫なのか?」
呪い士の女性だった。
傷は癒えたと思うが、失った血まで補充されたわけでは無い。
そのため、顔色は決して良くなかった。
「何とか、ね。死んだと思ったんだけど、誰かが治癒してくれたみたいね」
「あー、そうな」
どうしようか。正直に俺ですって答えるべきか。
「隠さなくても良いのに。聞いたわよ。貴女が助けてくれたんでしょう?」
「分かってんなら、誰かが、なんて言うなよ!」
何のために逡巡したんだよ、道化か俺は!
「だって、ほら。貴女って、力を隠してたじゃない? 妖精憑きのこととか。いきなり、貴女でしょうって決め付けても、逃げられそうだもの」
隠してるのは隠しているが、逃げるほどでもないのだが……。でも妖精憑きは隠すべきだろう。ド変態の称号だぞ。
そこを言っても仕方ないか。
「どうやって助けてくれたのか、聞いても良い? 瀕死の重傷を治癒する呪いだなんて、使えるかどうかはともかく知識だけは知っておきたいもの」
「とは言われてもなぁ……」
呪いなんて使ってない。そもそも回復魔法は発動しなかったのだ。
俺がしたことといえば、薬を使っただけ。
ああそうか。魔道具を使った、で良いな。
「魔道具の傷薬を使ったんだ。何かこう、虹色に光る水薬っぽいの」
そうとした表現できないし。
あの時は鑑定する余裕も無かったから、薬の名称すら分からない。
だが、もともとはライフポーションだ。ほぼ最下級の傷薬だ。
大量の魔力を持っていったとはいえ、伝説級の薬には……。
「虹色って……まさか、エリクシール!?」
うん、分かってた。
だからこそ、冷静に返す。
エリクシールって名前だけで、どれほど凄い薬か分かるってのも凄いよね。
意思疎通の呪いって、そういう分かり易さまでやってくれるのか。仕事しすぎだろ。
「馬鹿いうなよ。そんなもん、知って間もない相手に使うかっての」
「そ、そうよね。さすがにそんな高級品を使うわけないわよね」
それに、魔力注入品は正規の品と比べて副作用がある。
中毒だとか依存性だとか。
むしろ彼女にそういった症状は出ていないのだろうか。
「効果だけは馬鹿高いけど、下手すると変な副作用があるっていう、トンでも薬だ。体の調子がおかしいとか、そういうのは無いか?」
「別に、何も無いわよ? まだ血が足りてないから、ちょっとふらつくってのはあるけど」
その程度なのか?
あれだけ魔力を注ぎ込んだのだ。ヤバイ副作用が出ていてもおかしくはない。
今は気にならないだけで、後々大変なことになりそうな予感がする。
命あっての物種、と言っても限度はある。
場合によっては死んだほうがマシだと思えるほどの副作用が発生するかもしれない。
俺に、そこまでの責任は取れない。
彼女は何も気にせず、あっけらかんとしているが。
「でも、一体どういうレシピなのかしら。私のローブ、防刃性の高い品なのに、紙みたいに引き裂かれてたのよ? そんな傷を受けたのに、傷痕も残らない治癒力ってどういうことよ」
「俺が知るかよ。作った奴に聞けよ」
魔力を込めたら効力が上がる、なんて性質を作り出した奴に。
そのおかげで助かった面もあるから、表立って文句は言えない。
「そういや、どうしてアンタはここに居るんだ?」
「倒れた貴女の介抱は、私が任されてたのよ。助けてもらったんだから、世話くらい見てやれって鋼盾さんに言われてね。寝息も落ち着いたみたいだから、ちょっと気付けのハーブだけ調達に行ってたのよ」
今の調子なら必要なかったみたいだけど、と小さく舌を出す。
なるほど。人から聞いたってのは、鋼盾さんと言ったな。つまりはルーカスあたりに聞いたのか。
あいつ色々見てたんだな。前衛に居たはずなのに、後衛の俺らの様子まで見えているとか。
まぁでも、自軍戦力の逐次把握はしておくに越したことはない。
自分が戦闘中であっても、そういった行為が出来るほどに有能なわけだ。そりゃあ首都でも有名になるわ。
「でさ、貴女のコートの内側に、こんな子が居たんだけど……」
「げぇっ!?」
彼女が掌に載せて差し出したのは、眠っているティトだった。
泣き腫らしたかのように目元が赤く、目を閉じた今でもスンスンと鼻を鳴らしている。「ユキ様ぁ……」と寝言まで言う始末。
「ちょっと、げぇっは無いでしょう? この子、貴女のことを庇ってくれたのよ?」
「庇った? そこのところ、詳しく聞かせてくれないか」
コートの内側に隠れていたはずのティトが、何がどういう経緯を辿って、今の状況になっているのか。
知っておかないと不味い気がする。
「そうね。最初から話すわ。立ち話もなんだし、テントに戻りましょうか」
彼女と共に、先ほど俺が出てきたテントに入りなおす。
彼女は慣れた手つきで、テントの隅に置いてあったカップ類と、これまた同じ場所に置いてあったポットを持って中央に座る。
ポットを開け、中に草を入れる。気付けのハーブとやらだろう。
俺も彼女に倣い、対面に座る。
こぽこぽと音をたて、湯気が立ち上る。色づいているのは元々の茶の色だろうか。さすがに気付けのハーブだけでここまで見事な紅色にはならんよな。
って、湯気?
「どうしたの?」
「いや、放置されてたのに熱いんだなって」
「保温の魔道具よ。魔力を入れておけば、魔力が切れるまで温度が保たれるわ」
「へぇ。こっちにもそういうのがあるんだな」
要は魔法瓶みたいなもんだろ。
「こっちにも、って。これくらいならどこの街にも売ってるわよ?」
「何だと」
思った以上に、科学的な何かが発展していた。
食に対する執念はどこも変わらないということか。
「ま、まぁそれは良いや。話を聞かせてくれ」
「ふふ。そうね。まぁ、私も倒れてた口だから、又聞きでしかないんだけど」
それから聞いた話はこうだ。
戦闘終了を宣言したルーカスが、魔力切れで倒れている後衛達を運ぼうと前衛に提言した。
次々に後衛が運ばれていき、俺の番になった。
抱き起こし方が不味かったのか、あるいはもう既に捲れかけていたのか。
身を起こされた途端に、コートがはらりと落ちた。
当然衆目に晒される俺の姿。
青い髪、白磁の肌。瞳は閉じているために見られていないが、その二つだけでも十分だったようだ。
誰かが「魔王」と一言呟くだけで、波紋は広がったそうだ。
中には、この魔獣の襲撃が俺の手引きだと言い出すものも居たそうだ。
これは仕方ない。それに、その魔王っぽい奴が魔素溜まりの状況を報告した途端、魔獣がど真ん中に湧いて出た、というのも災いしている。
殺してしまおうか、という意見まで出たそうだ。
さすがにそこは、ルーカスが俺の動きを説明し、被害無く終わったことまで証明したことから立ち消えたようだが。
そこでどうするか、と悩んでいるときに、ティトが自らの危険を顧みず、コートから這い出てきたらしい。
「ユキ様は魔王などではありません!」
なんて、涙ながらに訴えたそうだ。
妖精を初めて見るものも大勢居たようで、ティトの登場に度肝を抜かれた冒険者も多かった。
妖精は人族とは馴れ合わない、そういった常識だけは持っているが。
この辺は先のルーカスの説明からも説得力を持ち、俺が妖精憑きだということから、少なくとも悪意のある人間ではない、ということだけは周知されたようで、魔王などという不名誉な称号は取り払われた。
代わりに、妖精憑きゆえにド変態だという目で見られることになっているようだ。死にたい。
その点、彼女は普通に接してくれている。ありがたくて涙が出る。
「ま、ね。高価な薬を使ってまで助けてくれた子を、邪険になんて扱えないわよ」
「高価っつーか、希少なだけっつーか……」
あの時は必死だったから偶然出来ただけで、二度と作れそうな気はしない。
どれだけの魔力を込めたかも定かではないし、もう一度作れといわれても御免だ。
「で、それでどうしてティトが、アンタの掌に居たことと繋がるんだ?」
「あー、それね。ちょっと気分の良い話ではないんだけれど」
「……大体分かった気はするが、言ってくれ」
「ん。それじゃあ話すわね」
咳払いを一つ。そしてカップに淹れられた熱い茶を一口。
俺も唇を湿らせるために軽く含む。
「一部の冒険者が、彼女を捕まえようとしたのよ。契約者の貴女は昏倒中だし、たかが妖精一匹って、ね」
「……まぁ、そうなるだろうな」
「けれど、彼女も呪いを使えるんでしょう? 逃げて、逃げて。最終的には、その不届き者は鋼盾さんが処罰したけれども」
ルーカスさんマジかっけぇ。
思っていた通りの事態が起こっていたようだが、既に解決しているのなら何も問題は無い。
現状恐れていること、俺が魔王だと吹聴されたり、ティトを連れ去ろうと狙われたりする危険性がなくなるのなら、それは願ってもないことだ。
「それで、部隊長さんが私に、色々と疲れて寝ちゃったこの子を預けたってわけ」
「そいつは済まなかったな。世話を掛けた」
頭を下げる。
胡坐を掻いているので、座礼にもならんが。
「もう、やめてってば。貴女は私の命の恩人なのよ? 報いるのは当然じゃないかしら」
「それとこれとは話が別だよ。アンタはティトを助けてくれたんだ。お返しとしては十分以上だ。俺にとって、ティトは大切な存在だからな」
「はいはい、ご馳走様」
そこで、狙ったかのようなタイミングで、ティトが目を覚ます。
口元が少々にやけているから、実際に狙っていたのかもしれない。
「おう、起きたか」
自分でも恥ずかしいことを言ったと自覚している。
気恥ずかしさから目線を逸らす。
「ユキ様、もうお加減は大丈夫ですか?」
「ああ。魔力もある程度は回復したみたいだしな」
そもそも俺が倒れたのは魔力の損耗が原因だ。回復すれば問題は無い。
ティトは目線を逸らしたままの俺の首元に飛んできて、定位置に陣取った。
「お前なぁ……なんでそこなんだよ。もう見られても大丈夫じゃないのか?」
俺はコートの内側に入り込んだティトを睨む。
肩とかで良いじゃないか。なぜわざわざ。
「な、何となく、落ち着くんですよ。ずーっと此処に居ましたし」
「それなら仕方ないか」
大体、そこに居るように指示したのは俺なのだ。だから、懐やら首筋に入りたいというのなら、受け入れざるを得ない。
それに実際、そこに居てくれるほうが、防御障壁なんかを張ってもらいやすいし。くすぐったいのを我慢すれば良いだけのことだ。
「……やっぱり、妖精憑きって、そういう関係なのねぇ」
そんな俺達を見て、彼女はぽつりと呟いた。
待って! それ誤解だから!
次回、第2部最終回です。
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