22
翌日。早朝に目を覚まし、宿の近くにある井戸へ向かう。
周囲はまだまだ暗い。日すら昇っていない時刻だ。
やー。明け方まで起きて昼くらいに起きてた頃が懐かしい。睡眠時間自体はそれほど長くないので、夜早くに寝れば笑えるほど早い時間に目が覚める。ちなみに、ティトはまだ眠っている。
井戸の周りはむき出しの地面で、水を零したところで全て大地に吸収される。
井戸水を汲み上げても良いのだが、井戸水が無限であるはずは無い。今から俺は水を勿体無い使い方をするのだ。
単に水浸しになっても構わない場所、ということで選んだに過ぎない。
俺はローブを脱ぎ、上半身を外気に晒す。
そして魔法で目の前に水の塊を作り、宙に浮かび上がらせる。
その温度を少しずつ少しずつ上げていき、およそ気持ちの良い湯の温度にしたところで、頭を突っ込む。
魔法で出した水は、保持していられる時間が長くないので、手早く済ませる。
長い長い髪の毛を手櫛で解きながら、丁寧とは言えない手つきで髪の汚れを落としていく。
シャンプーやらリンスやらがあれば良かったのだが、生憎この世界には石鹸しかない。石鹸で洗おうかとも思ったが、髪の毛がギシギシになるのは避けたい。長い分鬱陶しいんだ、あの感触。
いかに魔法といえど、この湯をシャンプーに変えることはできない。俺にできるのは、精々汗や埃を流すことだけだ。
……その程度で、髪の艶とか張りとかが損なわれず、自分でも良い匂いに感じられるこの状態は異常だと思うけど。
というか、他の女の冒険者って、どうやって手入れしているんだろう。
イリーヌさんは商売柄、清潔に保つ必要がある、とか言って色々と使っていたが。試供品とか言いながら、数日分を渡されたのは覚えている。気に入ったら買い付けておくとも。俺は使わないので、ティトが使っている。数日分どころか数か月分くらいになりそうだった。
そこで制限時間が来たようだ。水がバシャリと弾け、地面に流れていく。
頭をぶるぶると振り、水気を飛ばす。前髪が顔から胸元まで垂れてくるので、それを払いのけて視界を確保する。
ああ、さっぱりした。やはり一日に一度は頭を洗わないとすっきりしない、と考えるのは、俺が現代人だからだろうか?
さっぱりとしたところで、次は洗濯だ。
以前ティトに裸ローブを咎められたが、気づいたんだ。
見られなければ良いじゃない、と。
別に春先のトレンチコートを着た男、というわけでもないのだ。見せびらかすわけでもない。
ならば、洗濯の時くらい、多少濡れても大丈夫な格好をすることに、一体何の問題があろうか。いや無い。
脱いだローブを再び着込み、昨日の下着やら衣服やらを、新しく作った水の塊にぶち込む。ついでに、石鹸を削ったものも入れておく。
さてここで魔法の便利なところ。
普通、こういった時代の洗濯といえば、洗濯板を使った上での手もみ洗いだ。
日中に何度か、そういう姿の女性を見かけてもいる。というか井戸付近はそういった女性方の会議場だ。
冬場は辛そうだと思った記憶もある。
それに対し、俺は一体どうか。
彼女らと混じって洗濯板を使うのも、一つの手段だろう。
だが、俺にはアドバンテージがある。
イメージである程度のことをこなせる魔法があるのだ。
全力で洗濯機をイメージする。
水の塊は衣服を中に入れた後、高速で回転する。
右回転、次に左回転。右、左、右、左。
一通りもみくちゃにしたところで、水の中から服を取り出し、維持が出来なくなった水を地面に落とす。
新しい水を用意し、その中に再び衣服を放り込み、ゆすぐ。
そして脱水と乾燥の工程だ。
手入れに特定の手順が必要な素材もあるようだが、幸いなことにこの服は、こういう洗い方をしても型崩れをしない素晴らしい素材だった。
肌触りは良いというのに、不思議なものだ。きっとファンタジー的な素材でできているのだろう。普通に植物由来の生地かもしれないが。
ここまで終えて、少しずつ空が白んでくる。
鳥の鳴き声も聞こえてきた。鶏的な声を出す奴ではなく、雀的な大人しい声だ。
一度姿を見たのだが、まぁ、やたら大きかった。体長五〇センチはあろうかという大きな鳥が、雀のような声で鳴いていた。というか、雀をそのまま拡大したらこうなるよな、という鳥だった。ずんぐりもふもふとして可愛いんだけども、正直怖い。
ここでの作業も終わったので、部屋に戻ろうとすると、宿屋の娘さんがやってきた。
その手には大きな洗い桶と、大量の衣類が抱えられている。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「あ、あぁ。おはよう。それなりに寝たよ」
会釈して別れ、井戸へと向かっていく。
そのまま見送っていたが、あれだけの衣類を一人で洗濯するのは大変だろう。
かといって、手伝うというわけにもいくまい。通常通りの洗い方は、ここに来た当初からほぼ諦めている。
魔法で洗うにしても、あんな洗い方を全ての衣類に行うのも論外だ。彼女が持っている衣類はあまりに多い。制限時間に引っかかれば、洗い途中の衣類が全て土塗れになってしまう。
もしかしたら洗濯代行サービス、みたいなものをやっているのかもしれない。であれば、あれは彼女の仕事だ。俺が勝手にやっていいものじゃない。
とは言うものの、見てしまったからには、放ってはおけない。
洗濯を手伝うわけには行かないが、例えばそう、井戸から水を汲み上げることくらいは手伝っても良いじゃないか。
俺は宿に戻りかけていた足を井戸へと向けなおし、洗い桶を地面に置き、よろよろと井戸から水を汲み上げている彼女に近づく。
そして釣瓶にかけている手の上から、手を貸してやる。
「え?」
「汲むの、大変そうだな。それくらいなら手伝うよ」
そのまま、するすると釣瓶を持ち上げていく。
何だ、水、あんまり入ってないじゃないか。
「洗濯、それ客の分も入ってるのか?」
「あ、はい。長期ご宿泊のお客様のものです。数日に一度、こうやってまとめて洗ってるんです」
ふむ。だったら俺も今度から頼もうかな。いや待て、数日に一度だぞ? それまで汚れた下着を放置するのか?
服だってそんなに大量に持っているわけじゃない。また古着でも買ってくるなら話は変わるが……。
まぁ良いか。今のところ、俺は俺の洗濯方法で手間がかかっているわけじゃない。
どうしようもなく時間が取れなくなったら頼むとしよう。
「水、どこに入れれば良い?」
「ええっ、お客様にそんなことをしていただくわけにはっ!」
「良いから。水を汲むくらいなら大した手間じゃない。見た感じ、洗うよりも汲む方に手間がかかるんじゃないのか」
「それは、まぁ」
「気にすんな。これくらい軽いからさ」
「えと、じゃあ、そちらの桶の中に……」
彼女の指示に従い、水を汲み上げていく。簡単に汲み上げる俺の姿に、彼女の目が見開かれる。
「凄いですね……」
そうだろうそうだろう。自然と顔が緩む
「私より小さな女の子なのに……」
手を滑らせる。派手な音をたてながら桶が落ちていく。
うん、そうだよね。俺、身長一六〇程度。彼女、俺よりちょっと大きい。ただ、年齢は俺より上だろう。大人のお姉さん、という雰囲気もある。俺も今は男じゃないもんね。体拭く時とか、トイレの時くらいしか意識しないようにしてるけど、外見だけは少女だもんね。
「だ、大丈夫ですか!?」
「いや、大丈夫だ。ちょっと、油断しただけだ」
油断って何にだよ。自分で言ってても訳が分からない。
気を取り直して、水を汲みなおす。
水をほぼ満タンまで入れた桶は、数度の往復であっさりと必要量を満たしたらしく、娘さんに礼を言われた。
「大したことじゃないから気にすんな。今日は偶然、たまたま気が向いただけだ」
「いえ。それでも助かりました」
年若い娘さんには、井戸の水を何度も汲み上げるというのも一苦労なのだろう。
あまりに頭を下げられるので、俺は苦笑いを浮かべながらその場を後にした。
あそこまで恐縮されると、逆にやり辛い。
しばらくはこの『山猫酒場』を拠点にする。従業員とは仲良くやっていきたいではないか。
そういった打算込み、という思惑もないわけではない。
俺の行為は、純粋な好意から来ているものではないのだから。
「おっと。そういや朝飯の時間だったな」
だが、俺の気持ちは少々乗らない。
あれだけおっさんの上質な料理を食った後では、少々の料理では喜べないのだ。
ティトは愛情が足りない、と言っていたが、そういうものでなく根本的に一味足りていない。
一体何なのだろうか、それを見極めなければ。
もし手に入るもので味が足りないのなら、無作法ではあるが、出された料理に使うのもありだろう。
調味料の類は何も持っていないから、買いに行かなければなるまい。
まぁ酒場に行く前に、ティトを起こしてこなければ。何を言われるか分からない。
部屋に戻り、枕で伏せているティトを摘み上げる。
「起きろよー」
そのまま軽く振る。
ゆらゆらと揺れたティトはのんびりと目をこすり、俺に吊られたまま大きく伸びをする。
「おはようございます、ユキ様」
「おはよう。そろそろ飯だぞ。食えるか?」
「ええ。行きましょうか」
ティトを首筋に隠し、酒場に下りる。
朝だというのに随分と混雑している。いや、朝だからこそ、だろうか。
ここは現代日本ではないし、リゾートホテルでもない。
こういった宿は冒険者の集まりにもなるだろうし、夜明けと共に行動するのが冒険者の常だ。
朝早くに依頼を請けて出発し、日が暮れる前に戻ってきて食事を取る。
野宿することも多いだろうが、全ての冒険者が野宿する生活ばかりではない。
俺だって一日で終わる仕事を請けていく心算だし、そうなると依頼は早い者勝ちで取られていくかもしれない。
その辺どうなんでしょうかティトさん。
「そうですね。常時募集されている人足仕事もありますが、討伐依頼の類は重複を避けるために、早い者勝ちの様相を呈してはいます」
「例外があるのか?」
「依頼を出された段階で既に被害が出るか、あるいは存在が確認されているわけですから、通りすがりの誰かに先に討伐される可能性もあるわけですよ」
「……そういや、そういう話も聞いたよな」
降りかかる火の粉を払うのに、一々所属だの依頼だのを考えてはいられない。合法的に依頼を破棄したことになり、違約金を支払うことはないが、討伐証明を行った人物に報酬が支払われることになる、と。
非合法的な何やらな手段を考えてしまって、色々とうやむやになった気もするんだが。
「まぁ、そうそう獲物を取られることもないだろうけど、やるなら早めに依頼を確認したほうがいいってことか」
「そうですね。専属契約を行っていませんので、どれほどの依頼を請けさせていただけるかは未知数ですが」
そういやそうだった。
だが、俺としても前回の轍は踏みたくない。いきなり専属契約させろ、なんて言い出さないぞ。
こつこつ依頼をこなして信頼を積み上げてからだ。
それに『山猫酒場』以外の店からも依頼を請けるかもしれないのだ。条件や仕事内容次第では、宿を変える事もありえるだろう。
「となると、何よりもまずは依頼を請けることから始めないとな」
「その前に食事です」
それもそうだ。




