15
イリーヌさんはどうやら、かなり馬を飛ばしたらしい。
普段であれば半日程度かかる距離を、この一晩で踏破したようだ。
位置的には、首都まで今のペースでちょうど丸一日の距離になっている。
車輪も強化しているため、進行はかなりスムーズなようだ。
レーダーにも敵影は無く、平和で穏やかな旅路となっている。
つまりは。
「くぁ~……」
「ユキ様、そんな大あくびははしたないですよ……ぁふ」
ものすごくねむい。
「ふん。私の寝入りばなを起こしたんだ。護衛として、それくらい気合でどうにかしなさい」
護衛の気力を根こそぎ奪っていく依頼人が居たでござる。
俺にも落ち度はあるけどさぁ。
間違った行動では無いはずなんだ。
魔獣が出現する可能性はあった。
出現したら守りきれる自信は無かった。
だから逃げるというのは正解のはずだ。
夜通し走る必要が無かったというだけで。
なお、イリーヌさんは昼近くまでぐっすりと眠っていて、今は鼻歌を歌いながらのんびりと馬車を走らせている。
心配していた馬の体力も以外と回復しているようで、思っていたよりも丈夫な馬だということが発覚した。
行商人の馬だものな、それなりにタフなやつじゃないと務まらないか。
さすがに疲労の影が見えてきたが。
「うーん。ユキちゃん、ちょっと良いかな?」
「なんだ?」
そんな馬の調子を見かねたイリーヌさんが、俺に一つの提案を持ちかけてきた。
「この子に疲労回復の呪いをかけてやることはできるかい?」
「馬に疲労回復?」
そういうことも出来るのだろうか?
ティトに目配せする。さすがに、呪い士として活動している人間が、そういうことを大っぴらに尋ねるわけにはいかない。
だが、ティトは静かに首を振る。どうやら普通はできないようだ。
だからこそイリーヌさんも、かけて欲しい、ではなく、可能かどうか聞いてきたのだろう。
「どうだろうな。やったこともないし、普通はしない」
「試しにやってくれないかい?」
「イリーヌ様。呪いはそのような簡単なものではありません」
気軽に頼んできたイリーヌさんに、ティトが反論する。他人に食ってかかるティトは初めて見た。そんなに長い付き合いでは無いけれど。
「確かに表面上は可能かもしれません。しかし、相手の体を知悉していなければまともな効果など出ませんよ。基本的に疲労回復や傷を癒す呪いは、同じ種族同士だからこそ可能なものなのです」
「ふむ? となると、戦人が森人の体を癒すのは、本来は不可能なのかい?」
「ええ。似ていますけど、根本的に体の構造が異なっていますからね。一時的に癒すことは出来ますし、それで戦列に復帰することも可能です。しかしながら、それは根治したわけではなく、魂に傷を負った状態で肉体のみを癒しているに過ぎません」
「ほほう、なるほど。たまに、大怪我を負った人に癒しの呪いをしても効果が無いというのは、その辺が原因なのかな」
「そうですね。多少の種族差であれば、無理やり癒すことも出来ますが、魂の傷が大きく広がってしまいます。この傷は、単純な時間経過でしか癒せませんので、いずれ限界が来てしまいます」
「限界を超えるとどうなるんだい?」
「呪いを施しても傷が治らないばかりか、自然治癒力すら阻害され、やがて死に至ります。試しに、など気軽に行うと、大事な馬が再起不能になるかもしれません」
何だか難しい話をしている気がする。
一つ分かったことは、癒しの呪いも万能ではないということくらいか。使いすぎた場合には効果を発揮しなくなるとか。自然治癒すらできなくなるとか。
ゲームでも、イベントで死ぬような人物が出てきたときに、回復魔法をかけろよと思っていたが、案外そういった魂の傷とやらが原因で治せなかったのかもしれない。
だけどもなぁ。何となく、呪いではない、魔法の方でなら何とかなりそうな気もするんだよな。
相手の体を熟知していなければならないと言うが、それはあくまで呪いでの話であって、俺の場合はイメージが全てなわけだ。
使用した筋肉の中には乳酸が溜まっている。疲労物質というわけではないらしいが、こいつはクエン酸と反応させると再びエネルギーに変化すると聞いたことがある。
その変化を、魔法で促進させることくらいはできるのではないか。
でもなぁ。「試しに」やってみて、失敗したら大変なことになる。興味本位で他者を使うものではない。実験するなら、まずは自分の体で行うべきだ。
「この子が再起不能になるのは困るね。それじゃ、少し早いけれど、今日はここらで野宿するとしようか」
幸い水場も近い。というか、水場が近い位置をキャンプ地としたのだろう。
馬を停めて、結界石を取り出す。俺は魔力を送り、半径五メートル程度の半球状の結界を展開する。もしかしたら地面の下にもきっちり結界が通っていて、球状に展開されているかもしれない。地中から奇襲されるのも嫌だし。
結界を張った後、簡単な食事を済ませる。
例の宿では道中の保存食を買う暇も無かったため、元から買い込んでいた食糧の出番だ。
硬く乾かしたパンと干し肉。瓶詰めの野菜。朝食にもなっていたものの残りだ。残り、とは言っても、まだ数日分はある。ここで少し多めに食べたとしても、余裕を持って首都に到着できるだろう。やはり宿の存在はありがたい。味が、おっさんの店くらいだったら文句なしだったのだが。
塩気の強い食事を終えると、再びレーダーで光点を確認する。
薄ぼんやりした光は端っこのほうにかろうじて見える程度で、かなりの距離を空けたことが見て取れる。
ここまで離れたならば魔獣に襲われることもあるまい。
相変わらずテントは張らないようだ。というか荷台にテントが無かった。
一応雨避けの布はあるので、雨が降った場合は荷台の周囲に支柱を立てて、その支柱にかぶせる形で屋根を作るらしい。
火は焚かないのかと聞いたところ、結界石の作用で内部がほんのりと暖かくなるそうだ。
結界が便利すぎる。と思っていると、この結界石はかなりの高級品だそうで、一般的に普及している品は温度管理などできないそうだ。
「そんな高級品、どこで手に入れたんだよ」
「どこだったかなぁ。確かどこかの遺跡の入り口に放置されていたのを持ってきたんだけど」
「入り口に放置?」
結界石が放置されているとは、どういう状況なのだろうか。
「さぁてね。争った形跡もあったから、大方どこかの冒険者が結界石の争奪戦でもして、共倒れしたんじゃないかな?」
「物騒な話だ。というか、それだけの品なら、悪どい冒険者がアンタからこれを奪うかもしれない、とか考えたことはないか?」
「ふふ、その辺は対策済みさ。折角の品なんだから、個人所有の証を商人組合で発行してもらっているよ」
新しい単語が出てきたぞ。
ティトを見ると、久々に眼鏡を取り出していた。ティトペディア、ティトペディアじゃないか!
「個人所有の証は文字通りの意味で、ある物品に対する所有者を固定させる呪いの一種です。定められた所有者以外が所持した場合、様々な効果が現れます」
「様々って、例えば?」
「有名どころですと、発火、爆発、塵化、警報などですね」
物騒だった。かなり物騒だった。爆発ってどういうこと。取られたら戻ってこないのかよ。
「はは、これはそこまで物騒なものは施していないよ。ま、冒険者にとっては致命的な効果が出るけれどね」
「何が出るのさ」
「結界石から、盗品という文字が浮かび上がって、空中に表示されるんだ」
「そいつは致命的だな」
盗品など誰も買い取らない。結界石を持っている限り、その冒険者は盗品を所持していると見られるわけだ。そして、盗品を持っているような人間の持つあらゆる物品も、真っ当な人間は買いたがらない。さらに言えば、他人を物を盗むような賊は討伐対象ともなる。賞金首だ。ジョークアイテムのような効果でありながら、嫌がらせとしてはかなりの効果があると思う。実害も出るわけだし。
「あとは、この石と共鳴して、大体どの位置にあるか知らせてくれる機能が付くくらいかな」
そう言って、イリーヌさんが胸元のペンダントを取り出し、掌に載せる。
深い青色の石の光沢は、脈動するかのように静かに明滅を繰り返している。
「奪われた瞬間から効果が発動して、近くにあればあるほど光が強くなるんだ。今は誰にも取られていないから、この程度だけどね」
だがそれでも、その光は幻想的で。
「綺麗……」
呟くティトに同意する。
「そういうわけだから、この結界石に関しては心配しなくて済むんだよ。勿論、野盗の類だけは気をつけないといけないけれど、そこは護衛の仕事だからね」
「任せておけ。危険から遠ざける方向で、イリーヌさんを守るよ」
「心強いね。こんなに心強い護衛は初めてだよ」
そこまで言うと、イリーヌさんは荷台に寝そべった。
大きく伸びをして、両手を伸ばしたまま、鼻提灯を作り始めた。
「ちょ、寝るの早すぎねぇか!?」
だが寝てしまったものは仕方ない。
俺とて、胃袋にそれなりの食料を詰め込んだために、眠気が襲ってきている。
第一俺は寝ていないのだ。
結界があるのだし、そもそもの条件として寝て良いことになっている。
だったらもう寝るしかないよね。
盗賊避けに周囲に落とし穴だけを作っておき、俺は意識を手放した。
脳裏に映るレーダーには、いまだ薄ぼんやりとした光が見えていた。




