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「ユキ様、少しよろしいでしょうか」
食事の後、部屋で寛いでいると、珍しくティトから話しかけてきた。
「何だ?」
「お気づきでしょうか、この気配」
ティトが言っているのは、恐らくレーダーにぼんやりと広がっている光のことだろう。
「ああ。何ていうか、薄らと感じる」
「魔素溜まりが出来ています。遠からず、魔獣が出現するでしょう」
「あ、これが魔素溜まりなのか」
レーダーの光は、人間や動物など、魔力を持っているものはしっかりとした光の点で表示される。本来ならば空気中に散らばっている魔素も表示されてしかるべきなのだが、どうやら密度が違うようで表示されない。というかそんなものまで表示されてしまったら見にくくて仕方ない。
ならば、このぼんやりと光っているものは、密度が増している状態と考えられる。
「一点に収束したら魔獣になるとして、どれくらいで出てくると思う?」
「それは分かりません。何かを核にして一気に魔獣となることもあれば、数日を掛けてゆっくりと魔獣となることもあります」
「それって、強さに違いが出たりするのか?」
ミョウバン結晶も、ゆっくりと作った場合と冷やして急速に固めた場合とでは、出てくる結晶の大きさが違ってくる。魔獣とミョウバンを一緒にしても意味はないが。
「いえ、一概にどちらが上とは言えません。核となるものが脆弱なものであれば弱く、魔力の強い寄り代であれば強い魔獣が生まれますし、魔素の量が少なければ弱く、多ければ強い魔獣が発生します」
「場合によりけりってことか。じゃあ、今回はどれくらいの強さになるはずなんだ?」
このぼんやりした状態では、最終的にどれほどの大きさの光点になるか予測が付かない。
「いえ、こればかりは私にも分かりません。実際に出てこなければ……」
「マジかー」
対策の立てようがないな。
とりあえずイリーヌさんには伝えておこう。
「イリーヌさん、寝てるとこ悪いんだけど、ちょっと起きて聞いてくれ」
ベッドに突っ伏している彼女を揺り動かす。
晩飯を食ってすぐだというのに、なぜいきなり寝られるのか。
そして寝起きの悪い人だ。起き抜けはろくに頭が働かない。
「ん、何だいユキちゃん……」
頭を軽く振って、こちらに向き直る。
まだ寝ぼけ眼だが、このことを伝えれば目も醒めるだろう。
「魔獣が出る。強さも数も分からないし、出現時間も不明だ。だけど、不自然な魔素溜まりが発生しているようだ」
「魔獣かー。そっかー。魔獣……魔獣!?」
うつらうつらと聞いていたイリーヌさんも、事が飲み込めたのか、一気に覚醒する。
「ど、どこかに魔獣が出たのかい!?」
「落ち着けって。まだ魔獣が出たわけじゃない。時間の問題だろうけども」
彼女は安堵の息を漏らし、しかし険しい表情を作る。しばしの熟考の後、重く口を開く。
「……よし、ユキちゃん。逃げよう。魔獣なんかに巻き込まれたくない。どこに出るかは分かっているのかい?」
「多分街の外だと思う。街中に魔素溜まりができているわけじゃない」
「そうか。それじゃあ宿を出よう」
「良いのか?」
「野宿することになっても、魔獣に襲われるよりマシさ」
正論だな。
「だけど、馬はどうするんだ。さすがに寝てるだろ?」
「叩き起こすよ。彼らだって、魔獣に食われたくはないだろう」
「はっ、違いない」
俺としては魔獣に襲われようがどうにでもなるが、それで依頼者を危険に晒すわけにはいかない
簡単に身支度を済ませ、宿から出る。
裏手の厩舎から馬車を取り出し、逃げるように町を出る。
出るときには門兵達も何も言わず、ただ見送るだけだった。
夜だというのにいまだに門が開いている。本当にセキュリティは大丈夫なのだろうか。
全力で走っていく馬車の上で、コートの内側から頭だけを出したティトが話しかけてくる。
「ユキ様。私見ですが、この町の戦力では、魔獣を防ぎきることは出来ません」
「どうしてだ。人数はかなり居たように思うが」
「ええ。時間を掛ければ討伐は可能でしょう」
「……何が言いたい?」
「この気配、恐らく複数の魔獣が出現します。強さはまだ分かりませんが、魔素の量を考えると、そこまで強力な個体は出ないと思いますが」
弱いけど、数が多い、と。
「弱いとは言っても魔獣は魔獣。腕利きの冒険者が数名、チームになって討伐するのが基本です。しかし、この町にはそういったチームがほとんど居ませんでした。駆け出し、あるいは一人前と認められた程度。そのような方々がほとんどです。仮に魔獣が三匹でも出現すれば、飽和状態となるでしょう」
思った以上に深刻だった。
レーダーに映る気配は、いまだに収束の素振りを見せない。いつ収束するのかも分からないが、しかし今の俺に何かをすることなど出来ない。
魔素を散らす、とかが出来れば良いのだけれど。
「それは不可能ですね。どれほど魔素を利用しようと、魔素溜まりは周囲から魔素を吸収します。使った分が、そのまま戻ってくるだけですから、どうしようもありません」
「そうかよ。で、放っておいたら不味いってことは分かったが、俺にどうしろっていうんだ?」
こちらが本題だ。
今の俺は、護衛任務を請けている。だからこそ、依頼人を危険に晒すわけにはいかない。
いくら俺が弱い魔獣ならあっさりと仕留められるといっても、仮に五匹で攻めてくればどうなるか。
俺一人で同時に五匹の動きは阻害できない。
俺の手を逃れた魔獣が、周辺地域を襲うだろう。
速攻で一、二匹倒したところで、追撃できる位置に留まり続けてくれるなどありえるはずがない。
残った寄せ集めの冒険者では、魔獣を討伐しきることなど出来ず、町は蹂躙される。
戦闘行為を行っている場所にイリーヌさんを連れて行くわけにもいかず、そうなれば町に置いておかなければならない。
町と、依頼人。この二つを同時に守るには、俺一人では不可能なのだ。
時間を掛ければ。つまり、町を捨てる心算で、町が蹂躙されるのを歯噛みしながら、一匹一匹仕留めていくのならば、討伐そのものは不可能ではない。
俺が居ようと居まいと、それは同じことだ。
大災害となるか、それともほんの少しだけ被害が抑えられるか。
その程度の差しかない。ならば、俺に一体何をさせようというのか。
「いいえ、ユキ様。ユキ様の魔法ならば、一切の被害を出さずに、魔獣を殲滅することが可能です」
「どうやって。そこまでの想像力は俺には無い」
大量に沸いて出た魔獣を、一撃の元、広範囲で殲滅する。
そんなイメージなど持てない。
妄想の世界でだって、俺の魔法にそこまでのものはなかった。
そうだ。精々俺は一対一、多対多の戦闘しかしていなかったのだ。
使えるものも、効果範囲が狭く、一体を全力で無力化することに特化していた。
広範囲魔法はエルフの魔法使いの専売特許だったのだ。
いくら俺が使わせていたとはいえ、それは常に俺の予想以上の効果を齎していたのだから。
「……ユキ様が、無理だと仰るのなら、そうなのでしょうね」
「俺も今は訓練中なんだ。そのうち、広範囲でも何でも殲滅できるようにはする。だけど、今は無理だ。イリーヌさんを守りつつ、町全域をカバーして、魔獣を一匹残らず排除する。そこまでのことをイメージできるほど、俺は逞しくないよ」
制限が多すぎるのだ。
恐らく、だが。
きっと、ある程度なら広範囲に影響を及ぼせるだろう。
例えば台風をイメージする。あるいはテレビで見たハリケーンを生み出せば、それなりに効果は出るだろう。
ただし、地域の被害も物凄いことになる。
例えばマグマをイメージする。火山から流れ出る溶岩流を発生させれば、そこそこダメージは通るだろう。
しかしこれも、地域の被害が物凄い。
洪水だって何だって、俺が容易に想像できる広範囲に影響を及ぼすイメージは、大抵災害なのだ。
それは爆弾のようなものでも同じだ。
結局は地形が変わるほどの効果が出てしまう。
それが魔獣にどれほど通用するかは分からないが、広範囲に影響を及ぼすことは確実だ。
本末転倒になるだけだ。
駄目じゃねぇか。
「町を守る。人を守る。それらを成し遂げるには、俺一人の力では限界がありすぎるんだ」
ただ、黙って見捨てる心算もない。
「ティト。護衛の依頼が終わって、まだ魔獣が発生していないようなら、俺はここに戻ってくる。魔素溜まりのことを報告すれば、魔獣発生に際して戦力を整えることも出来るだろう。だから、今は首都へ向かうんだ」
「……なるほど。ユキ様は、そのようにお考えなのですね」
ティトは納得していないようだが、俺の言葉を飲み込んでくれた。
「期待は裏切らないようにする。俺だって、この世界を守ろうと思って来てるんだ。守れなさそうだからって、見捨てて知らん振りできるほど、達観してねぇよ」
優先順位として、今は彼女を守ることを上位に置いているだけだ。
だけどなし崩しに出てきてしまったが、イリーヌさんは一つだけ勘違いをしていると思う。
「なぁ、イリーヌさん」
「なんだい!」
力強く馬を駆っている彼女は、語気荒く俺を見やる。
「焦ってるところ申し訳ないんだけどさ」
「一体どうしたんだい、早く言っておくれよ!」
「魔獣、まだ出現しないぜ?」
「…………え?」
イリーヌさんの体がピタリと止まる。
説明する暇も無く、逃げようと言ってそのまま馬車に乗り込んだのだ。
まぁ、俺も彼女を止めてまで説明しようとする気も無かったし、仮に何かしらの核を持てばすぐにでも現れたであろうことを考えると、決して間違った行動ではないのだが。
「え、いや。魔獣が出るって。魔素溜まりが出来てるって」
「や、だから、魔素溜まりは出来ても、すぐさま出現するわけじゃないんだよ」
「時間の問題だって」
「そりゃ、まぁ、明日に出現する可能性もあったからな。一週間くらい後の可能性もあっただけで」
手綱が少しずつ緩み、馬も少しずつスピードを落とす。
ぶるる、と鼻息が暗い夜空に響く。
月は西の空にあり、薄らと白んだ夜気はまだまだ肌寒い。
「急ぐ必要は無かったってことかい?」
「……すみませんでした」
結局俺は、結界付きとはいえ寝ずの番を仰せ渡された。
 




