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 ご飯は普通の味だった。おっさんの料理と比べること自体がおこがましい。

 硬めの黒パンに、こってりとしたシチュー。具はニンジンのような根菜とブロッコリーのような野菜。

 メインディッシュとして何かの肉を焼いたもの。碌な処理もされておらず、筋張っていて噛み切るのに時間が掛かる。

 下味に時間を掛けているのか、噛めば噛むほど味が染み出してくるが、そもそもの肉の質自体が良くなく、あまり美味いとも思えなかった。

 パンはシチューに浸けて、多少しっとりとさせてから食べるのかと思いきや、イリーヌさんが黒パンを砕いてシチューに突っ込んでいた。クルトンかよ。というかよく素手で砕けるな。

 俺も真似して食べたが、シチューに味がしなかった。いや、何かの乳を煮込んでいるという風味はしたが、それしかしなかったというべきか。野菜自体に甘みがあったのが唯一の救いだな。

 何となくげんなりしながら食べていると、イリーヌさんが問いかけてきた。


「どうしたんだい、口に合わなかったかい?」


 ああそうか。彼女はここの料理を、美味しいと評していたな。

 俺の舌が、おっさんの料理によって肥えていたということか……。


「いや、おっさんの料理に比べると、どうしてもな……」

「バフトンさんの料理か。確かに、あのサンドイッチは非常に美味しかったね」

「俺、あの街にいた時はずっとおっさんの料理を食べていたからさ」

「はは、贅沢していたんだねぇ」


 シチューを食べながらとりとめのない会話を続ける。

 美味しそうに食べているので、こちらがあまり貶すのも良くない。

 というかおっさんの料理は贅沢だったのか。銅貨三枚程度で定食が食えたんだが。


「銅貨三枚か。サンドイッチ基準になるけれど、あれだけの味を出せるならかなりお得だね。ただ、首都でも銅貨二枚あればお釣りがくることを考えると、多少なりと高めと言えるかな」

「そっか。でもまぁ、銅貨一枚多く出してあの味が食えるなら、俺は迷うことなくおっさんの店で食うよ」


 ほぼ倍額? 知ったこっちゃねぇ。生活費のうち、削りやすいのは食費だが、豪勢に行きたいのも食費だ。

 そして俺の手持ち資産を考えると、特別に節約しなくても良いというのが現状だ。ならば豪勢に行く。


「だけどなぁ、あの味は暫く食えないんだよなぁ」


 これから先は首都を拠点にすることになる。

 そこでまた冒険者として登録し、生活費を稼ぎつつ、この世界のことを調べていく。

 そうなると、おっさんの店で食べることは極端に少なくなるだろう。

 瞬間移動とか、テレポート的な魔法でも使わない限りは。

 ……無理だよな。原理分からないもん。原理が分かってなくても、「何となく」でできる可能性もあるけどさ、レーダーみたいに性能が低いかもしれないけど。精度が低すぎるワープは怖いな。止めておこう。

 そこまで考えて、思考を中断する。

 無いものねだりをしても仕方ない。あるもので我慢するか、工夫するかだ。

 そして俺は工夫を選ぶ性質だ。今のところは宿の食事となるが、拠点が決まれば自炊するのも良いだろう。

 現代日本育ちの食の執念を甘く見るな。


「手が止まっているようだけれど、もう食べないのかい?」

「ん、あ、いや。食べる食べる。俺はもう暫くゆっくりしていくから、イリーヌさんは部屋に戻りなよ」


 沸々と決意を込めていると、イリーヌさんが問いかけてきた。

 俺の皿を虎視眈々と狙っていた。狐の癖に。

 食うのは俺じゃないけれど、俺じゃないからこそ渡せない。

 だからこそ、彼女には部屋に戻るよう促す。

 ティトは大っぴらには見せられない。幸い食事の席は部屋の隅だ。壁に向かって座っているので、ティトを誰かに見られる心配は少ないだろう。

 イリーヌさんは手をひらひらと振って部屋に戻っていった。


「これで落ち着いて食事が出来ますね」


 ティトがコートの内側から顔を出す。


「おい、まだ顔を出すなって」

「何を仰います。早く食べなければシチューが冷めてしまうじゃないですか」

「そりゃそうだけどさ」


 急にイリーヌさんが戻ってきたらどうするつもりだ。


「ユキ様。妖精族にはこんな言葉が伝わっています」

「碌な言葉じゃない気がするが、一応言ってみろよ」

「その時はその時!」

「誰だ考えた奴は!」


 碌でもねぇ奴だな。

 ティトはそう言ったきり食べることに集中しだす。

 おっさんの料理に遠く及ばない味だが、ティトはやはり頓着していないようだ。


「なぁ、味、それでいいのか?」

「妖精は味で判断するのではなく、作り手の料理に対する愛情を食べているんですよ」

「何そのロマン。じゃあ不味かろうと、愛情が入ってれば良いのか?」

「人族の味覚とは違いますからね。ただ、愛情の入っていない料理はあまり口にしたくありません」

「ふぅん。じゃあ、ここの料理はどうなんだ?」

「バフトン様の料理に対する熱意と客人に対する真心は及びませんが、それでも山中の宿にいらした方に対するもてなしの心が込められています」


 大層な話になっていた。

 部屋はあんな惨事だったのに、食事には愛情が込められていた。その愛情をほんの少しでも部屋に込めてやれよ。

 はぐはぐと音を立てるように食べるティトを眺めながら、首都での予定を考える。

 まずは、何はともあれ生活費を稼がなければならない。

 つまりは冒険者の店を回る必要がある。どんな依頼があるのか確認もしたいし、いきなり登録するわけにもいかない。

 そのまま宿も取らなければなるまい。できれば冒険者の店と抱き合わせで営業しているところが望ましいが、そういう例はそうそう見つからない可能性もある。

 拠点が定まれば買出しだ。道具屋や古着屋辺りの場所を探しておきたい。もし飯屋が不味くて自炊しなくちゃならない、ということならば、食材を買える店の位置も把握しなければ。

 ああそうだ、防具屋には行っておかないと。軽鎧とコートだけじゃ色々と不安が残る。篭手と頭防具が無い状態だからな。当たらなければ必要ないわけだが、どれだけ被弾してきてるかを考えると、回避は重要だが装甲もほしい。いや、でもなぁ。ティトの防御障壁で防げない攻撃なら、防具を装備していようと無意味に思えるし、防げる攻撃なら身を重くする必要も無いのか。攻撃的な防具、なんてものがあれば、そういうものを買うくらいになりそうな気もしてくるな。

 攻撃といえば、武器だ。ミスラの作ってくれたものがあるから買う必要はないが、手入れの問題がある。さすがに腕の良い鍛冶師の作品を素人に任せるわけには行かない。信用できる、評判の良い鍛冶師に任せたいところだ。そんな人物に頼むとなると、どれだけ待たされるか分かったものではないが。一番良いのはミスラに見てもらうことだろうけれど、さすがにあの街に戻るわけには行かない。

 そこで気づく。


「俺、あの街の名前すら知らなかったんだ」


 口にして、愕然とする。

 滞在していたのは短期間だ。十日程度だろう。

 その間、街の名前を一度も聞いていなかった。

 縁が無かったということだったのだろうか。

 何だか、胸に空いた穴が、さらに広がったような気がした。

 ティトに聞けば答えてもらえるのかもしれないが、今更知ったところで手遅れだ。

 俺はもう戻れない。

 それだけの話だ。

 風の噂で、おっさんの店の料理が美味い、とだけ聞くことにしよう。

 だが、その事と、これから先のことは別だ。

 俺は首都の名前を知らないのだ。


「ティト、首都って、なんていう街なんだ?」

「名前ですか? えーと、確か今は、フェンデル、だったような」


 なぜか曖昧だった。なぜだ。


「仕方ありませんよ。人の街はころころと名前が変わるんです。暫くぶりに訪れたら、街並みも街の名前も様変わりしていたということなど、珍しくないものですから」

「そういうものなのか」


 何か、昔の元号みたいだ。事あるごとに変わるからな、あの時代。街並みまで様変わりしているというのも中々興味深いが、それだけ進歩が早いということだろうか。そのうち、進歩も落ち着くとは思うが、新技術ラッシュにでも沸いているのかもしれない。

 いや待て。そんな状態ならば、薬が不足しているという理由がイマイチ読み取れない。

 技術の進歩は医術の進歩とも取れるのだ。医術だけが未発達とは考えられない。効果の低い薬でも求められるなどあろうはずもないではないか。

 ここはティトの言う、暫くぶりについて聞いてみるべきだな。


「ティト。暫くぶりって、大体年月で言えばどれくらいになるんだ?」

「百年ほどですかね」

「うん分かった、ありがとう。そして人族の寿命で話せ」


 キョトンとした表情のティト。

 こいつ、実は物凄く長いこと生きてるんじゃないのか。数百年では足りないかもしれない。つーか、百年って悪魔が一回は出てる計算じゃねぇか。そりゃ人族の街の名前くらい変わるよ。滅びてから復興してるよそれ。


「まぁ、いいや。もう食い終わったみたいだし、寝室に戻ろうか」

「そうですね。あ、あとユキ様、一つだけ忠告を」

「何だ?」


 こんなタイミングで何を忠告するというのだ。


「先ほどから何度か、イリーヌ様が左手を差し出していますよね」

「ああ、手を繋ごうとか何とか」

「あの手を繋いではいけません」

「何でだ」


 元々繋ぐ気は無いけどさ。急に手を繋ぐなと言われれば、理由くらいは聞いておきたい。


「あれは狐族の獣人における、魅了の術式の一種です」

「何しようとしてくれちゃってんのあの人ー!?」


 魅了て。

 え、なに。そういう趣味でもあったのあの人。


「おおよそ、ユキ様を独占しようと考えたのでしょう。馬車の強化にしろ、グラスイーグルの討伐にしろ、一個人の能力にしては出来過ぎていますので」

「それにしたって、ちょっとひくわ……」


 何だか急に疲労が押し寄せてきた気分だ。部屋に戻るのが嫌になってきた。

 言っても仕方ないので戻るけれど。

 ティトにコートの内側に隠れてもらい、足取り重く部屋に向かう。

 たった数分の距離なのに、ひどく遠く感じてしまう。

 だが、所詮は数分。気づけば目の前には部屋の扉だ。

 ノックする。中から声が聞こえる。

 ドアノブを捻る。


「やー、おかえりユキちゃん」


 目の前に狐。


「寄らないでください」


 一歩下がり距離を取る。


「え、ちょ、急にどうしたのさ?」

「何も知らない相手に魅了の術式をかけてくるような人と話したくありません」

「あ、ばれちゃったか」

「ばれちゃったか、じゃねぇよ!? 何考えてんのアンタ!?」


 いや、男としては、美人さんに魅了されるってのは冥利に尽きるんだが。

 素直に受け取れない状況なもんでな。

 こういう場合じゃなければ、何事も無く付き合っていけるんだが。


「いやさ、ユキちゃん。別に取って食おうってわけじゃないんだよ?」

「取って食う心算だったら、全力で逃げてたよ。一体どういう了見だ」

「魅了って言っても、意思まで奪うような凶悪な奴じゃないよ。というか、私ら尾無しはそこまでの魅了は使えないしねぇ」


 尾無し? そういえば、イリーヌさんに耳はあるけれども尻尾は見ていない。隠しているのかと思ったが、どうやら元から無いようだ。

 だがまぁ、意思を奪うようなものでなくても、いきなり変なことをされたら憤りもする。


「精々が、さりげなく味方に回ってくれる程度に好意を持ってもらえる程度の術式さ」

「あのなぁ。別にそんなことしなくても、味方にくらい回るぞ?」


 味方が欲しいから、俺に魅了を? そもそも彼女は護衛対象だ。敵に回ることなどありえない。

 ここまでの人となりを鑑みると、悪いことをするような人にも見えない。この件で若干揺らいだけれど。


「確証が欲しくてね」


 そう呟いたイリーヌさんの表情は、非常に暗かった。

 もしかすると、以前にあったという、複数の冒険者とのトラブルに起因するものかもしれない。

 味方であったはずの護衛から、裏切られる。

 その衝撃はいかほどのものだろうか。


「……全く」


 俺は少し背伸びして、彼女の頭を抱きしめるように腕を回す。

 こういう場面で何もしないほど、俺は薄情な人間ではない。

 こうすることが正解とも思えないが、胸を貸すくらいしかできない。

 力なく垂れている狐耳に触れたい衝動を押さえ込み、ぽすぽすと頭を撫でる。身長差があるので全く持って恰好がつかない。くそう。

 暫しじっとしていたイリーヌさんだったが、そっと胸を押された。


「もう十分だよ、ありがとうユキちゃん」


 情けないねぇ、などと言いながら、ベッドに倒れこんだ。俺、というかティトが飯を食っている間に、体を拭く等の行為は済ませたらしい。

 そのうち、静かな寝息が聞こえてきたので、どうやらそのまま眠ったようだ。気楽だなこの人。

 俺もそろそろ眠るとしよう。

 湯を張った桶に気が付いたので、手拭で体を拭き、影から寝巻きを取り出して着替える。

 ベッドに横たわると、随分時間が経っているというのにお日様の匂いがした。

 どこの世界でも変わらない安心感に包まれ、俺の意識は暗転した。

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