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魔法で男に戻れるか試してみた。
結論。ダメでした。
ですよねー。
「とりあえず先に知りたいのはこの世界の常識とか知識だな。文字の読み書きや、会話等はどうなんだ」
「知識に関しましては追々。会話にしても文字にしても、私が意思疎通の呪いをかけていますので問題ないでしょう」
この子すごくない?
「まじないってのは何だ?」
「ああ、えーと、そうですね。先ほど貴方は魔法がどうのと仰っていましたが、それの弱いものと考えていただければ」
聞くところによると、この世界には魔術、呪い、魔法と効力に合わせて区分けされているらしい。
自然現象を操るものが魔術、精神と肉体に関わるものが呪い、もっとおぞましい別の何かが魔法らしい。
「てことは、俺のこれは魔術なのか?」
手のひらから光の玉を浮かべる。イメージは白熱電球。
「それは魔法です。イメージで何でも出来るなんて、世の中の魔術師さんや呪い士さんに土下座しなきゃいけません」
おぞましい何かだった。
「とは言ってもなぁ。俺のがイメージできるものなんて、そうそうないぞ? 夢の中で使ってた炎や雷とか」
あとは現実的に思い浮かぶ家電製品とか。家電製品の説明を求められたら面倒だから口には出さずに置く。
「何を仰いますか。例えば包丁で手を切った様子を思い浮かべてください」
「うん、それはイメージできる。痛そうだな」
「それが私の手だとしたら?」
「……あぁ、理解した。おぞましい能力だわ」
トラックに轢かれた動物ならいくらでも見てきた。相手の体を、その事故現場に見立てれば轢死体の完成だ。そこまで明確にイメージできるかどうかはともかく。
「だが、だとすると男に戻れないのは何でだ? さすがに十何年生きてきた体なんだし、イメージは十分だと思うんだが」
「この世界に適応するための体ですので、制限がかかっているのかと」
「そういやそういうことも言ってたな」
しかし女になったということは、様々に問題があるのではなかろうか。ほら、主に月々の諸々とか。
「体の変成に関してはご心配なさらないでください。適応のための変化ですので、行動の障りとなるものは発生しません」
あ、そうなんだ。てことは精々自分の体を見て恥ずかしくなるくらいか。助かるけども、ご都合主義感が否めない。助かるけどね?
ならばそろそろ現実を見て行動していくか。
部屋の隅に鏡があったので確認に行く。実際には鏡ではなくただの金属という印象だが。
ずいぶんと汚く、歪んではいるが、ざっと見る分には問題ない。
容姿の細かいチェックはこの鏡じゃ無理だ。薄曇りの金属板じゃ見えない。
幸い身長は変わっておらず、動作に問題はない。約一六〇センチ。低い身長にコンプレックスがあったが、考えようによっては現状の女の体というのは良いのかもしれない。低いわけではないだろうし。
そして髪が長くなっている。腰の辺りまで伸びているんじゃないか。見た感じ、おかしなボリュームという程ではないが。
次は着ている物だ。
少なくとも夢で着ていた服ではないし、俺の寝巻きでもない。
素材は麻だろうか。肌に少々チクチクとくる長袖のワンピース。丈が膝くらいまでしかないので、感覚的に少々恥ずかしい。
下着は簡素なもので腰と両太ももをそれぞれ紐で縛っているだけのもの。いわゆるかぼちゃパンツというやつか。
靴や靴下は今は履いていない。
板張りの床ではあるが、そういやこの世界は室内土足厳禁だったりするのか?
鏡の前で考え込んでいると、小さな咳払いが聞こえてきた。
「いきなりファッションショーよろしく、ポーズを取ったかと思えば考え事ですか。何かおかしな想像でもしているんですか?」
「いやいや。そういうわけじゃない。というか辛辣だなお前」
やたら冷めた目で見られた。というか蔑まれてる気がする。そっちの趣味はないのでノーサンキュー。
ともあれ、現状確認は続けないとな。
「この家を見て回ってもいいか?」
「ええ。ご案内いたします」
そういって妖精はこの部屋の説明から始めた。
部屋の大きさは六畳程度。ベッドに本棚、クローゼットにサイドテーブル。二方向に本棚及びクローゼット、壁際にベッド、サイドテーブルという配置。
いや、書斎兼寝室とか見たら分かるけどね? というか地震とか無い地域なのか。寝室にこんだけ大量の本があると、崩れて下敷きになったら死ぬ自信があるぞ。ちょっとやそっとの危険じゃ死なないっつーけど、どうやって守るつもりだこれ。
有用な情報としては、背表紙だけじゃ意味不明だったこれらの本は、実際に手にとって読んでいくと不思議なことに意味だけは分かった。
書物の内容毎に分類もされているらしく、地理、歴史、神話、薬学、生態学、魔術書、物語などが詰められている。
「ほぁー。かなりの蔵書なんじゃないかこれ」
「そうですよ。以前住んでいた方が遺されたものです」
若干イントネーションが気になるが、気にしないでおこう。曰くつき物件だろうが何だろうが、住めるなら問題ないし。
本は後で読めばいいので、次の部屋の案内を頼む。
部屋の扉を開けると、そこには
「おぉう……」
簡素な竈と小さなテーブルと椅子、そして小物棚が置かれていた。
竈の傍には調理場なのだろうか、石造りで排水溝のある間仕切りが拵えてある。
「生活するのに最低限の設備は揃っています。調理器具は壁にかかっていますし、水瓶も今は空ですが汲む場所もありますし」
「書斎とか用意する前に、もうちょっと住環境整えようぜ……」
随分と長い間使われていなかったのか、窓から差す光には細かな粒子が舞い、壁の隅には蜘蛛の巣が張り、テーブルや椅子は今にも崩れ落ちそうな朽ち果てぶりだった。
調理器具もそのまま使いたくない程度には埃がこびりつき、水瓶の底は直視したくない程度には苔蒸していた。
ぶっちゃけて言おう。汚すぎ。
俺の持てる限りのイメージ力でもって、テーブルや椅子をあるべき姿に整え、こびりついた埃や饐えた空気を浄化する。
もちろん限界はあった。
あくまで綺麗にするだけであって、内装を弄るには至らない。テーブル等の材質を変化させることもできず、日曜大工程度の補修を行うのみ。
妖精が言うには、さすがに魔法といえど何も無いところから物質そのものを作り出すほどの万能性は無いとのこと。
なお、トイレは水洗式の模様。下水道が整備されてるのは助かるな。衛生的な意味で。
風呂が無いから差し引きゼロか。衛生的な意味では。
応急処置程度に住環境を整えた後、心地よい疲労感と共に空腹感も襲ってきた。
幸いなことに保存食らしきものが残っていたので、それを食べることにする。
「見た目は干し肉のような何かなんだが、これって何の肉なんだ?」
困ったときの妖精さん。
「兎の肉ですよ。この街の外へ行けば群れがありますので、この近辺では一般的な食材ですね」
「へぇ。ここらじゃ兎がタンパク源なのか。牛とか豚とか鳥とか、色々あるとは思うけども」
「そういった動物肉もあるにはありますが、食用のものは高級品ですね。大抵は労働力や、他の用途に使われますので」
豚が高級品かよ。まぁ一般人は売って金に換えるのが主で、大概は貴族とかが食うのかね。
兎の干し肉を唾液で柔らかく戻しながら、くっちゃくっちゃと飲み込んでいく。
しばらくは硬い肉を無言で胃に収める時間を過ごす。
あー、炭水化物かスープが欲しい。つか妙に塩っ辛い。保存食だから仕方ないんだろうけども。というか、あんだけ時間が経ってそうな家だったのに、保存食がきちんと保存されていたのにびっくりだ。実はこれヤバイ何かとかないよね?
妖精さん、自発的に喋ってくれないものだろうか。聞いたら答えてくれるけど。話し合いってのは、そっちからも話してくれなきゃ成立しないんだぜ?
「うし、そこそこ腹も膨れたし次にやることはあれだな」
「何をなさるおつもりですか?」
決まっている。
不思議そうに首をかしげる妖精に、びしっと指を突きつけて答えてやる。
「この世界で金を稼ぐ手段を教えてください」
食わなければ生きていけない。餓死とか御免被る。
む、指を突きつけるよりも土下座したほうがよさそうか。
突きつけた指を下ろし、いそいそと地べたに正座しもう一度。
「この世界で金を稼ぐ手段を教えてください」
そのまま頭を下げて妖精に頼み込む。
ちらっと上目遣いで妖精の顔を見る。
うん、そりゃあ思考停止するよね。固まるよね。俺だっていきなり言われたら困るわ。
でも悪魔だとか魔獣だとか言う前に、生活しなきゃ始まらないじゃない。というか終わるじゃない。
妄想の中でなら簡単に金策できたよ? 敵倒したらお金もらえるもの。でもこれは妄想じゃなくて現実。似たようなことが出来るかもしれないが、知っている人に教えてもらえれば、それが確実だ。
思考放棄だとは思うが、緊急事態だもの。仕方ないよね。