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こちらは本日投稿分の2話目となります。ご注意下さい。
カッポカッポガラガラガタゴトガタゴト。
馬車が街道を行く。
長閑なものだ。敵の気配は無く、周囲の安全は確保されている。
まだ街も近いので、こんなところで襲撃を仕掛けてくるような者もいないのだろう。
害獣にしても、農地でもないところに何を求めてやってくるのか。
要は、現状、暇なのだ。
「やー。今日は天気が良いねぇ。そうは思わないかい、ユキちゃん」
御者台からのんびりとした声が響く。ちゃん付けはやめて。
「こんなにも天気が良いと、うっかり眠っちゃいそうだ。そうなったらユキちゃん、操縦はお願いするね」
「無理だから」
俺に操縦を任せるなど自殺行為も良いところだ。いくら何でも未経験のものを操れるわけが無い。
なお、俺の口調については、あまりかしこまらなくて良いと言われている。
自然としゃちほこばった口調になってしまっていたのだが、どうも相手には臭い演技に聞こえるらしい。気楽に話せといわれたなら、素直にそうさせてもらう。若干気は使うが、演技と思われるよりはよほどマシだろう。
「このペースなら、明日には山道に入れるね」
「へぇ、山道か。中々の難所なんだろうな」
山道といえば難所。これはお約束だろう。
幅の狭い山道。崖に転落する危険性。そこに襲い来る空中戦の出来る魔物。
妄想の世界では山道を滞空するワイヴァーンに煮え湯を飲まされたものだ。
こっちの世界に翼竜がいるかどうかは知らないが。
「別にそうでもないよ。ここの山脈はきっちりと人の手で整備されているからね。害獣が近くに巣を作ったって言うなら、即座に近隣の街に討伐依頼が組み込まれるほどさ。勿論、季節柄危ない害獣もいるけれど」
ぬるかった! わりと簡単そうな道だった! 危ない害獣ってのが気になるが、気にするほどでもあるまい。あの魔獣よりも強いわけがないし。
「馬車で動いてる分、移動時間は徒歩よりも大分短縮されるからね」
徒歩で首都まで行く場合、山道を通るなら天候などに左右されるが、平均的に半月ほどかかる。山を大きく迂回しない分、短縮できるらしい。
さらに、馬車を使うならばその半分程度で辿り着ける。
徒歩の倍速ペースにしかならないというところに疑問を感じるが、山道を登る場合は降りて押すこともあるそうだし、何だかんだそれくらいの時間はかかるみたいだ。道だって、完全に舗装されているとは言い難いわけだし。
まぁ野営の準備やら何やらを考えると、そもそも移動の時間はそこまで多くない。そんなものかと考え直す。
「しかしあれだな。随分と振動がきついな」
言うまでも無く、俺はリアルで馬車に乗ったことなどない。体験コーナーで乗馬をした経験ならあるが、数分乗るくらいでしかない。
今で数時間程座っているが、何度も座りなおしたり姿勢を変えたりと、尻の痛みの耐え方を試行錯誤している。
「こればっかりは慣れだね。どんな馬車を使ったとしても、この程度の振動は受けるわけだし」
そういえばゴム系統はあまり利用されていないのだったか。
馬車の車輪は木組みで作られており、ゴム製のタイヤなど望むべくもない。
パンツにゴム入れてるくせに、と憤っていると、どうやらパンツのゴムは伸縮性を持った虫の糸を利用しているらしい。
異世界すげぇ。そりゃあ化学製品発達しねぇわ。そのまま使える品があるんだもん。
「ふむ……」
そこで少し考える。要するに、振動が来なければ良いわけだ。
「荷台が浮けば、振動とか来ないよな」
「それはまた、何ともロマンの溢れる話だね。確かに荷台が浮けば解決するけれども」
地面に触れていないのだから、衝撃が来るはずもない。
そう考えて、荷台全体をほんの数センチ浮かぶようにイメージする。具体的にはホバークラフトだ。
「よ、っと」
掛け声と共に荷台に魔力を流す。そして車輪全体に魔力を集中させ、厚みを作る。
イメージしたものと、何だか変わったような気もするが、実際に車輪が数センチ浮き上がったようだ。
ホバーというよりは、魔力でタイヤを作ったという方が正確だろう。
だが効果は覿面で、今の今まで振動があったというのに、既に荷台を襲う衝撃は無くなっている。
「お、おお? こいつはどうしたことだい」
「呪いだよ。荷台を強化してみた」
「は!? そんな呪いの使い方、聞いたこともないよ。武器や防具の性能を上げる使い方は知っているけれど、一体どういう発想をしているんだい」
おや。武具強化の呪いなんてのもあるのか。初耳だ。折角だし、そういう系統の呪いってことで押し通そう。
「面白いだろ。車輪周りを強化したから、しばらくは振動のない馬車生活が満喫できるぜ」
「やー、こいつは良いね。普通は座席にクッションでも用意するところだけれど。そうか、車輪をねぇ」
俺の言葉が何か琴線に触れたのか、イリーヌさんは真剣な顔をして考え込む。
商人として何か商売のタネでも思いついたのだろう。俺としては、それで儲かったのなら、ほんの一部で良いからおこぼれに預かれたらいいなーとしか思わない。
というかだ。普通はクッションを用意するというのなら、普通に用意しとけよ。俺の分がないのは当たり前だが、自分の分くらい持っとけよ。
「ユキ様。このような荷台を駆る行商人の場合、風雨に弱い製品を扱うことはいたしません」
「あー、そうか。なるほどな。濡れたら一撃で終わりだもんなぁ」
幌もない荷馬車だ。雨が降った場合に被せる耐水性の布はあるが、御者台の自分まですっぽりと覆えるほどのものではない。人間は精々ローブやコートを被って凌ぐくらいのものだ。
風邪をひいてはたまらないと思うが、商人にとって積荷は自分の命よりも大事なのだろう。
「そういや、イリーヌさんの積荷は何なんだ?」
「んー? 基本的には薬だね。傷薬やら毒消しやら解熱薬やら。小物も扱ってるけど、そっちはついでだね。薬とか小物とか、作れるわけじゃないから、交易ってところだけども」
「薬瓶って、割れるんじゃないのか?」
「箱の中に藁が入ってるよ。積載量は多少は減るけど、得られる利益を考えればどうってことはないさ」
首都では慢性的に薬が不足しているらしく、あの街で銅貨数枚の薬は、首都に行くとどれほど効果が低かろうと、数倍の値段で売れるらしい。それこそ、得られる利益は莫大だ。護衛依頼に銀貨一〇枚を払っても余りあるほどに。
「そんなに儲かるなら、真似する奴が出てきてもおかしくは無いと思うんだが」
「はは、そうかもしれないね。だけど、仕入れの度に命を掛ける商人はそうそう居ないさ。言っておくけれど、これは首都への直通ルートであって、まともな商人ならば、いくら害獣の心配はないからって山越えは考えないよ」
山には、獣以外の危険が多い。天候は荒れやすく、大雨に降られれば当然進行速度は鈍る。そして雨風は体力を削り、馬の寿命も縮める。そんな中を強行軍で行けるわけもなく、大抵はどこかに足止めされる。足止めされている間に土砂崩れでも起きれば、山越えは諦めるしかなくなる。あるいは、食料の問題も出てくる。荷馬車は当然のように積載量に限りがある。街から街まで一週間以上。その間を過ごせるだけの食料を積まなければならないのだが、当然のように商品も載せなければならない。そうなると、予定の期間に多少の余裕を持たせた程度しか食料は積めないのだ。無論、道中でもぎとった果実や食べられる野草を探したとしても、足止めされている間にその程度は消費しつくしてしまうだろう。
「だったらどうして山を越えるんだよ」
「定期的に、薬を売る商人がいる。これは非常に有益なことなんだよ。たとえそれが応急処置程度の薬に過ぎなかったとしてもね。それに、そんな商人がいるとなれば、名前も売れる。これから先の商売を考えると、そういった基盤作りも大事なんだ」
売名行為か。確かに、定期的に常備薬が手に入るとなれば、冒険者はともかく一般人は買い求めることだろう。
それに、効力の低い薬ならば、冒険者向けの大規模店舗と競合せずに済む。行商人が大商人に睨まれるということは、ある種の死刑宣告に等しいらしい。
一般人に覚えの良い商人、という地位を確立しておくことは、そうならないためにも必須の条件だそうだ。運が良ければ大商人から目を掛けてもらえるし、うまくいけばその伝手を使った商売を任されることもあるのだとか。そういえば商人は徒弟制度のようなものを採用していたな。暖簾分けでもしてもらえれば、上納金は発生するが、人脈拡大や多大な利益を考えると、むしろ得をしている。
この商人がそういった理屈を考えているのかどうかは分からないが。
「山越えをしない遠回りのルートは、害獣がうようよいるから、安全かつ大量に荷を運ぶなんて出来ないんだ。それに、ここは害獣がすぐ退治されるという分、盗賊なんかが寄り付きやすいからね。結界が無ければおちおち夜も寝ていられないよ。だから今のところ、この交易ルートは私の専売特許というわけさ」
結局はどのルートを通ろうが、何かしらの被害にはあうようだ。それならば、まだ一番比較的安全なルートということで、彼女はこの道を使っているらしい。
「回り道をすると、単純に倍ほど時間がかかるからさ。食料やら水やら必要経費のことを考えると、突っ切りたい気持ちも分かってくれるだろう? 盗賊だって、旨みがない簒奪はしないさ。襲ったところで、手に入るのが一般市民用の薬だからね」
「まぁ、一応はな」
だからといって、積極的に賛同したくはない。そもそも彼女は女性だ。積荷よりも、別の意味で襲われる。
しかし、利益が得られるからといって危険の中に突っ込むのは冒険者とて変わらない。たかだか銀貨数枚のために害獣の群れに突っ込んだり、魔獣に挑むような命知らず共だ。そんな冒険者の端くれである俺が、賛同しないと言ったところで鼻で笑われる。
「お、山道が見えてきたね。これから登るとなると中途半端なところで夜を迎えるし、麓で野営の準備をしようか」
「随分と早いな」
「車輪を強化してくれたからね。振動がないということは、馬の負担や車体の負担も少ないということさ。それだけペースは上がるよ。いやあ、快適な馬車生活だった。明日もまた頼むよ」
「おう、任せろ」
思ったよりもタイヤがすげぇ。これならば商売のタネになりそうなのも理解できる。
こっちの世界にゴムを持ち込むところからスタートしなければならないだろうが、恐らく代用品となる何かは存在するだろう。それにタイヤも良いことばかりではない。チューブは破れるかもしれないし、タイヤは熱で痛むし、磨り減れば危険だし。今回は俺の魔法で作ったものだから損傷無しで来れたが、作ったものとなると維持にどれだけの労力が掛かるか未知数だ。そもそも自動車のタイヤクラスに丈夫なものが作れるのかどうか自体も問題となる。その辺は商人と職人の領分か。
いや待てよ。呪い士に強化させるという手もあるな。武具の強化が出来るのなら、こういった素材の強化も出来るだろう。その知識を売るだけでも一財産になりそうだ。俺にしか出来ない芸当というわけでもないだろうし。
馬車は進む。振動はほとんどこない。たまに大き目の石に乗り上げるが、どうも魔力タイヤは衝撃吸収性が非常に高いらしく、着地したときも尻に響く痛みはない。
こんなに凄いなら、もっと早く思いつけばよかった。ファンタジーだし、こういった振動も面白い体験だとか思った自分を殴りたい。
ちなみにティトはレザーコートの内側で寝ている。衝撃が来なくなると途端に眠くなったらしい。先程まではうとうととしながらも目を開けていたが、最終的に睡魔に負けたらしい。今のうちに寝ておくと良いさ。結界があるとはいえ、夜は警戒体勢を取るんだから。
「ここで良いか」
イリーヌさんは馬車を止めた。山の麓は開けており、近くには川が流れて、キャンプ地とするには申し分のない立地条件だ。恐らく山越えのための拠点としてや、下った際の休憩地点として整備されているのだろう。
荷台から降りて周囲を警戒する。
ところでレーダーだが、あまりに小さい存在は光点が表示されないらしい。もしかすると表示されているのかもしれないが小さすぎて見えない。
例えば虫だ。常識的に考えれば、虫なんてものはどこにでも大量にいるはずだ。だが表示されない。
同じ人間にしても、強さで光点の大きさが違うのだから、何かの基準でもあるのだろう。
そんなレーダーにかなり小さい光点がぽつぽつと映る。俺たちの周囲にいるようだ。
「何か、変な感じがするな」
「んー? どういうことだい?」
「すげぇ小さい何かがうようよいる」
「ちょっと止めてくれよ。石の下の虫みたいな想像をしてしまったじゃないか」
どんな比喩だよ。
「もしかすると、夜光虫かもしれないね」
「夜光虫?」
「夜になると光るんだ。名前の通りだろう。非常に小さいんだが、その割には強力な魔力を持っていてね。光るのはその魔力のおかげだという話もある。捕まえようにも、小さすぎて網なんかじゃ取れないし、肉眼ではほとんど見えないから何を食べているのかも不明。もし捕まえて籠にでも入れられたら、好き物の貴族が高値で買ってくれるそうだ」
小さな蛍みたいなものか。貴族が収集するくらいなら危険ではないのだろう。
また、魔力が強いというのなら、レーダーでの大きさは魔力依存なのかもしれない。魔獣とか凄いことになるし。
体が小さければそれだけ魔力も少ないだろうし、鍛えた冒険者は魔力もそれなりの大きさになるだろう。
しかしそうなると、これから先魔力を持たない敵、みたいなものが出てきたときに思わぬ奇襲を受けるかもしれない。先に仮説だけでも立てられて良かった。
「結界の設置は終わったよ。あとはユキちゃん、君が魔力を込めてくれれば良い」
「はいはい、了解」
イリーヌさんが指し示したところに、宝石のように輝く物体がある。これが結界の要なのだろう。
近づいて、手押しポンプ式空気入れのような感覚で魔力を送り込む。
「ユキちゃんはユニークな魔力の込め方をするね。何で手をわきわきと動かすんだい?」
「いや、まぁ、何となく。こうした方が早く入れられる気がするからさ」
指摘されると恥ずかしいなこれ!
そこ以外は恙無く終わり、辺りに強い魔力の幕のようなものが生まれた。
範囲は半径五メートルくらいだろうか。
「おお、本当に早いね。普通なら注入に三十分は掛かるだろうに」
「ここに時間をかけてなんていられないからな。飯の準備もしないと」
「そうだね。今日は初日だし、ある程度新鮮なものを食べられるよ」
そう言ってイリーヌさんはバスケットを取り出す。
中身はサンドイッチ。だが、その見た目は、あまりよろしくない。
俺も袋から、実際には中に映る影から、おっさんの用意してくれた食料を取り出す。
こちらも同じくサンドイッチの詰め合わせだ。
やはりおっさんのサンドイッチは見た目も綺麗だ。
「む、それはバフトンさんの手料理かい?」
「ああ。おっさんの料理、すっげぇ美味いよな」
「そうなのか。生憎私は食べたことがなくてね。見た目も素晴らしいし……」
イリーヌさんの目が俺の手元に集中している。
そんなに見られていると落ち着かない。
「……あの、一つ、交換ということで」
「良いのかい! いやあ、ユキちゃんは優しいなぁ!」
満面の笑みを浮かべるイリーヌさん。狐耳もピンと立って、見るからに嬉しそうだ。
ひょいと摘んで、そのまま一口。
そして驚愕に見開かれる眼。齧った瞬間に動きが止まり、数秒後、何かに取り付かれたように、はくはくと音を鳴らすように最後の一欠けらまで一息で食べきる。
食べ終わった後の悲しそうな表情。狐耳もぺたんと垂れている。
物ほしそうな顔をされても、残りのサンドイッチは渡せない。
俺もイリーヌさんのサンドイッチを一つ貰う。
軽く一口。
……うん、不味くは無い。
だが、全体的にパサパサしているというか、モソモソしているというか。
パン自体は恐らく同一の物だろう。品質に違いはなさそうだ。だが中身。具材の肉に天と地ほどの差があった。
なんというか、下味だけが強い。
全体的に塩っぽいのだ。食べれば食べるほど口の中の水分が無くなっていく感覚。
そういった肉が、いつまで経っても噛み切れず、口の中に残る。
申し訳程度の野菜はしなびており、一言で言えば紙を噛んでいるような食感。
噛めば噛むほど、やるせなさが湧き出てくる。
決して不味くはない。
しかし、美味しいとは口が裂けてもいえない。
これが一般的な食事だというのだろうか。それともイリーヌさんのサンドイッチが特別こんな味なのだろうか。
「……おっさんのサンドイッチ、どうだった?」
「美味しかったね! 首都でもこれだけの料理はなかなかお目にかかれないよ。高級料理店なんかに行けば別だろうけど、さすがに私の稼ぎじゃそういうところに気軽に行けるほどじゃないしね」
捲くし立てられた。そうか、おっさんの料理はそんなに上等なのか。
俺も自分の分を食べる。
今回のサンドイッチはカツサンドのようだ。パン粉をまぶしてこんがりと揚げた肉に、白いソースをかけて挟んでいる。
からりと焦げ目の付いた具は、油分を周りのパン粉がしっかりと吸い、それでもなお染み出る余剰分は硬めのパンがしっとりと包み込む。
それでいて、口の中がしつこくなるということは無い。白いソースの酸味が、油っぽくなる口の中に清涼をもたらす。この白いソースの中には、しゃきしゃきと歯ごたえの嬉しい刻み野菜が混ざっていて、それもまた揚げた肉によく調和している。
一口食べるときゅるりと胃が収縮し、さらなる一口を求めるようになる。
正直に言うと、イリーヌさんは、こっちを先に食べるべきではなかった。
こちらを食べると、もうあのボソボソとした食感のサンドイッチなど食べたくなくなってしまう。
事実、彼女は自分のサンドイッチを一口食べた時点で、苦々しげな表情でバスケットを睨んでいる。
改めて、おっさんの料理の上質さを認識した。
「ユキ様、私の分のサンドイッチ……」
やっべ。ティトさんのサンドイッチまで食ってた。




