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……動かないなら、良い的じゃね?
全力でイメージする。
あの化け物が、全身から血を噴出して崩壊していく様を。
ゲームの中の大ボスが倒れるときのように。
四体の上半身から。蜘蛛のような胴体から。そこから伸びる四対の脚から。
目から、口から、関節から、ありとあらゆる箇所から。
煙のような血を噴けと、ありったけのイメージを固め、化け物にぶつける。
途端、化け物が崩れ落ちる。
思ったよりも控えめではあったが、しっかりと効果が出たようだ。
黒い体躯を走る赤い筋から、臭いのきつい液体が滴っている。
それを俺の攻撃と認識したか、化け物がこちらへの距離を詰めてくる。
しかし遅い。
向こうも想定以上に手傷を負ったのか、その歩みは非常に緩慢だ。
俺は再び影に落とすイメージを展開する。
がくんとその巨躯を地面にめりこませ、ギチギチと耳障りな音を立てながらもがく化け物。
俺は魔獣の両手剣を振りぬき、影を掴み這い上がろうとしていた脚を切り裂く。
あっさりと、両手剣は脚を通り抜けた。
はじめにぷつ、という手応えが有った後は、これといった抵抗もなく、まるで重ねたクレープ生地をナイフで切り裂くように、四本の脚を切り飛ばす。近場の地面にどうっと重い音を立てて落ちる。
そのまま化け物の傍を通り抜け、振り返る。
そこには片側の脚を失いつつも、じゅるじゅると生理的嫌悪感を催す音と共に脚を再生させている化け物の姿があった。
「……ティト、あいつの推定戦力は?」
「侯爵級ですね」
「段階飛ばしすぎだろ!」
騎士、準男爵の魔獣と戦ったと思えば、今度は侯爵だと。幾つ飛ばした?
簡単な会話を終えたときには、既に全身を再生し終えた化け物がこちらを威嚇していた。
四体の顔が、こちらを憎々しげに睨んでいる。
上等。
多少は効いてるってことだ。
先ほどのような虫けらを見る目付きじゃない。
化け物が吼える。
地獄の底から響くような甲高い四重奏。
同時に化け物が突進をかける。
あの巨体の突進を素直に受けるのはまずい。
俺は右手方向に回り込むように回避する。
だがそれは失策。
蜘蛛脚は器用に方向を転換し、突進の勢いをほとんど殺さずにこちらを追尾する。
慌てて着地した足にさらに力を込め、遠く目掛けてステップを踏む。
当然それに追いすがる化け物。
ステップした先で今度は垂直方向に跳躍。
さすがの化け物も急激な三次元機動には着いて来れなかったか、俺の下を通り過ぎて急制動を掛けている。
……貰った!
両手剣を大上段に構えて、重力と重量に任せて振り下ろす。
一番上についている体を真っ二つに切り裂いたところで刃が止まる。
ずっ、と引き抜き、化け物の体を足場にさらに跳躍。
距離を取ったところで再度イメージ。戦隊物の特撮映画で敵を倒したときのような爆発をぶつける。
切り裂いた断面が白く発光し、辺りに爆風を撒き散らす。
それだけでは致命傷にはなるまい。
俺は化け物の影から無数の槍を出し、その体躯を貫いていく。
一本一本は小さく細く、やや頼りない。だが、たった一瞬でも動きが止まったのなら好都合。
俺はその隙にさらに遠ざかり、化け物との距離を最初の一〇メートルに戻す。
これで仕切りなおしだ。
俺は大した消耗をしておらず、相手は多少の手傷を負った。
同じ戦法が通用するとは微塵も思えないが、こちらのアドバンテージを取れた。
軽く息を整え、化け物の様子を窺う。
全身を槍に貫かれたまま、赤い筋から腐臭を漂わせながら、自らの肉体をぼこぼこと隆起させて再生させながら、こちらを三対の目で睨んでいる。
どうやら、一つ潰せたようだ。
その証拠に、というべきか、断ち切った最上部からは黒い靄が流れ出ており、止まる様子はなく、肉が隆起している様子もない。
今度は慎重に、しかし押しつぶすように迫ってくる化け物。小刻みに動き、こちらに回避の方向を定めさせないように退路を封じていく。
この速度であれば、たとえ上空に逃げたところで軽々と飛び、追い縋ってくるだろう。
「面白ぇ、迎え撃つ!」
手を前に出し、放水車のイメージで水流を飛ばす。唐突な水に多少怯んだように動きを鈍らせる。
そしてその濡れた巨躯にスタンガンの要領で電気を流す。勿論法定電圧なぞ無視だ。最大限の高圧電流を流し込んでやる。
黒焦げになった化け物が動きを止める。
炭化した体に、もう一度両手剣をぶちかます。
地面すれすれの位置にあった、後ろに反り返った体を潰した。首を刎ねたのでさすがに復活はしまい。だが念のために蜘蛛の体との接着面をさらに切り飛ばす。幾度か地面にバウンドした後、黒い塊は霧散する。
これで二つ。
再度距離を取る。
炭化した表皮がひび割れ、中から新たな体が再生する。
「……何回再生するんだよ、いい加減終われっての」
言っておいてなんだが、恐らく最低でも全ての上半身を潰さないと倒せないだろう。
化け物は俺を障害として認識したようで、明らかな敵意を持ってこちらに向き直る。
威嚇のためではなく、殺意を込めた咆哮を放つ。
プレッシャーが物理的な破壊力を持ってこちらに来る。
吹き飛ばされないように地面を踏みしめて耐える。
びりびりと肌を打つ感覚。
明確な死の恐怖が訪れる。
だが、先程道端で経験したほどのものではない。
この程度なら耐えられる。
弱っている。
知らず、口元に笑みが浮かぶ。
両手にもう一度力を入れる。
化け物は今度はいきなり突進するようなことはせず、体勢を低く屈めている。
嫌な予感がした。俺は最大限の速度で真正面に走り出す。
同時に、化け物が跳躍した。
身を前に投げ出し、反転。
化け物が頭上から降下してくる。
その衝撃に捲れ上がる石畳。
冗談じゃねぇ。あんなのに踏まれたらミンチよりも酷い何かになっちまう。
顔から血の気が引くのがわかる。
臆してなどいられない。気合を入れなおし、静かにイメージを広げる。
それは獣の顎。
地中から獲物を食らう乱杭歯。
化け物を噛み砕き、咀嚼し、磨り潰し、飲み込む、影の獣。
実際に出てきたのは、俺のイメージが明確でなかったせいか、随分としょぼい姿にはなったが、しかし確実に化け物の下半身を消滅させていっている。
影の獣が消えた途端、化け物の体が震え始める。
そして瞬く間に、失われた胴体が復活する。
どうやら体を復活させる瞬間に動きが止まるようだ。
そうと分かれば話は早い。
残った内の一つの上半身に対して、空気の刃を飛ばす。
不可視でありながら、圧縮された凶器は易々と化け物の体を両断する。後ろの街並みも両断されたような気もするが、一々気にしていられるか。
さらに捲れ上がった石畳を利用して、石の槍を作り出す。
蜘蛛の胴体ごと上半身を貫いていく。
それだけでは上半身は仕留められなかったが、胴体のほうは再生を始めるために動きを止める。
刹那、俺は一足飛びに残る上半身に肉薄し、両手剣を振るう。
遠心力を最大限に使った攻撃は、いともたやすく化け物を断ち切り、そうして最後の上半身までもが呆気なく消滅する。
残された下半身、蜘蛛の巨躯がその場に崩れ落ちる、と思った矢先。
確かに潰したはずの四体から、流れ出ていた靄が集まっていく。
靄は一つの姿を形作る。肥大化した上半身。
見るも醜悪なその姿に、しかし臆さず口元を歪める。
「ここからが本番ってか?」
体の疲労は無視できる。
精神的な疲労は知ったことではない。
息切れするにはまだ早い。
視野狭窄に陥るな。
脳には冷静な部分を残せ。
焦らず、しかし気勢は熱く保て。
魔獣を観察する。
胴体は相変わらず蜘蛛のまま。
上半身はゆるみきった腹部を持った男の姿。無貌の頭部に、しかし深遠を思わせる穴だけが開いており、紅い瞳がこちらを一瞥する。
「ユキ様、お気をつけください。何か仕掛けてきます」
警戒は当然だ。
初見の敵なのだ、先程までの優勢から、相手を甘く見ていれば簡単に死ねる。
奴の攻撃は、いかにティトと言えど防ぐことはできないだろう。
全て避けるか、あるいは俺自身が防ぐ。
「―――っ!?」
突如、魔獣の上半身が爆ぜた。
肉片が辺りに散らばる。
俺の方にも降り注いでくる。
慌てて風防をイメージして、飛び来る肉片を避ける。
結果的に、そのイメージは功を奏した。
地面に付着した肉片が、石畳を溶かしていた。
強酸。
そのフレーズが思い浮かんだ。
当の弾けた化け物は、再び肥大化した上半身を生み出し、こちらを虎視眈々と狙っている。
この場に留まっても進展しない。
じりじりと円を描くように魔獣に近づいていく。
あの上半身には触れられない。きっとあっさりと溶かされる。
かといって下半身を潰したところで痛手にはならなさそうだ。
思い悩んでいても仕方ない。
俺は火炎放射器をイメージした。街への被害を考えた際には愚策だろうが、既に付近の石畳は全滅だ。いまさら多少燃えたところで、命には代えられまい。
だが火炎放射器を実際に見たわけでは無いので、そのものをイメージすることは困難だった。仕方無しに、ガスバーナーを巨大化させたものをイメージし、魔獣の上半身を焼いた。
魔獣が震える。
これはまずい。また肉片が飛び散る
火を止めて、防御のためにイメージを練る。
先程の風防をイメージしようとして、嫌な予感がして止める。
今度は何重もの防壁をイメージした。隔壁を何枚も何枚も下ろし、奴が突破できないようにロックを掛ける。
魔獣が爆発した。
しかし今度は、その全ての肉片がこちらに向かっている。
隔壁が溶かされる。風防程度ではあっさりと俺も溶かされていただろう。
一枚突破されるたびに肉の勢いがガクンと落ちているが、その量は留まるところを知らない。
一枚、また一枚。進行が鈍り、鈍った肉を後続が飲み込みさらに進行する。
一枚、一枚、一枚。見るからに遅くなる肉は、しかし圧倒的物量で攻め寄せてくる。
最後の一枚が突破されたところで、ようやく肉片の進行が止まった。
咄嗟に後ろに飛ぶ。
肉片が、さらに爆ぜた。
イメージが間に合わず、服に多少かかる。
じゅうじゅうと音を立てて溶けていく服を慌てて脱ぐ。ティトもすぐに抜け出し、頭に乗る。
くそう、あのパーカー気に入ってたのに!
これでは埒が明かない。
何かあの魔獣を倒しきる発想は無いものか。
……冷凍してしまえば良いのか?
冷凍庫を思い浮かべる。それも家庭用ではない、業務用だ。いや、それでも尚足りない。
あれだ、いつかどこかの施設で行った、極寒体験の氷室を思い浮かべる。
極限の寒さをお見舞いしてやる。
離れている俺自身ですら寒さを感じるほどの冷気で奴を包む。
見るからに魔獣の体が固まっていき、ついには一つの氷像が完成した。
あとはこれを潰せば良いのだが、生半可な破壊では再生しかねない。
ならば、と。
俺は自身の剣に魔力を込める。
両手剣を巨大化させるイメージで、だ。
黒い刀身はその姿を変え、上段に構えた刃渡りは優に一〇メートルを超える。
溢れ出る魔力が放電として顕現し、黒い稲妻を纏う。
その剣を、魔獣に振りかざす。
氷像があっけなく砕け散り、しかし蜘蛛の胴体が残る。
潰れた上半身から靄が流れ出る。
「おいおい、まだ死んでないとか、言わないよな?」
額を流れる汗を腕で拭い、微動だにしない魔獣を睨む。
どれほどの時間が経っただろう。
ついに、蜘蛛の脚が重量を支えきれず、ドスンと崩れ落ちる。
靄はもはや流れ出ない。
「これは、どうなった?」
頭上のティトに聞く。
レーダーの光点は消えているので、聞くまでもないだろうけど。
「討伐完了です。ユキ様、お疲れ様でした」
ティトの宣言を聞いて、ようやく安心できた。
脚から力が抜ける。膝を突いて、大きく息を吐く。
時間にすると短時間であっただろう。
だが、街に刻まれた傷痕は大きい。
広場は無残に荒れ果て、そこかしこに穴が開いている。
あれほどあった死体は……恐らく酸の肉片に跡形もなく溶かされたのだろう。
溶け残った体の一部や装備品が点在しているのみで、その他は何も見えない。肉の溶けた悪臭だけが漂っている。
「やるせないよなぁ……」
確かに魔獣は討伐した。
だが、これは果たして、街を救ったといえるのだろうか?




