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 さて。

 俺は皮袋から包丁を引き抜いて、軽く突き出した構えを取る。

 目の前には一匹の狼。

 足に力を込めて、狼が突進してきたところを、全力で横に避ける。

 俺の体にはかすり傷一つ付くことなく、そして狼からは離れた位置で着地する。

 ……さすがに、体は動いてくれるみたいだな。

 恐れていたのは、魔獣の時のように体が硬直することだった。

 だから、力を込めた分だけ移動できたことには感動すら覚える。

 だが戦闘中において体勢を崩すほどに回避するのは得策とはいえない。今回は十分に距離が離れていたため、余裕を持って体勢を整えることが出来た。

 狼は着地と同時に綺麗に転進し、再び爪と牙を振り上げ飛び掛ってくる。

 今度は必要最小限の力で狼の横手に回る。

 そして狼の勢いに任せて撫で切るように、体の横で包丁を固定する。

 プツと皮を裂く手応えと、ずぶずぶと肉にめり込んでいく感触。そのまま体を回転させ、横方向に飛びのく。溢れる鉄錆の香りと、生命の鼓動を感じさせる生暖かい湿りが手に残る。

 一瞬の交差を終えた時、狼は横腹から血をぼとぼとと零しながらも戦意は失っておらず、こちらを威嚇する唸り声をあげている。

 すぅ、と息を吸い、次の動作に備える。

 狼はさすがに飛び掛ることはせず、地を這うような突進で迫る。

 だがその速度は初撃とは大きく異なり、決死の反撃と言うには余りにも精彩を欠いた、粗末過ぎる代物だった。

 弧を描くようにステップを繰り返し、失血による体力の低下から狼の体勢が崩れたところで、首元めがけて包丁を突き刺す。

 何の感慨もない。

 生物に手をかけることに一瞬の躊躇も無かった。

 無論、迷っていれば自分が傷つくわけだし、命のやり取りをするのだから下手をすれば死ぬ。

 だからこそ、この感覚は貴重なものだった。命を奪いながらも、無感動。愉悦を覚えたわけでも罪悪感に沈むわけでもない。

 ただ作業のように。いつもの、あの世界での妄想通りに。

 声もなく倒れ伏した狼を一瞥し、遠巻きに見ていた冒険者達に声をかける。


「どうよ?」

「呪い士としては異常なのよ」

「でも前衛としては、正直不足かしら」

「しかし狼を相手に、あのリーチで無傷というのは特筆すべき才能でしょう」


 事の起こりは、街を出た所。

 アマリが俺の実力を見てみたいと言ったのだ。

 曰く、呪い士であるならば肉体強化の程を見てみたい、と。

 一人で今まで冒険者を続けてきたのならば、相応に戦えるはずだろうと。

 俺としても魔法抜きでどこまで戦えるか試してみたいという心もあったので、最初に出会った害獣の一匹を一人で倒すことになったのだ。

 ただ害獣といえど、そうそう街の近くをうろつくような事も無く、運良く出会えたのは依頼を請けた平原の手前、小さな森の中だった。

 群れからはぐれたのか、あるいは何かの役割を持っていたのか、若い雄の狼が一匹、森の街道に現れた。

 嗅覚で既にこちらを捉えていたのだろう、こちらが視認した時には、グルルと低い声で唸り、今にもこちらに飛び掛りそうな雰囲気を出していた。

 目配せで合図を送り、三人はじりじりと後退していく。

 そして俺は一人矢面に立ち、冒頭に戻るわけだ。


「即席で連携を取るよりも、遊撃役に徹してもらったほうが良いかもしれません」

「今回は数が数だし、レックスが抑えきれない相手を引きつけてもらいたいわ」

「レックスを強化してもらえれば、それで十分な気がするのよ」

「僕の体は一つです。後逸させない範囲にも限りがありますよ。あぶれ出た敵に切り込んでもらうのも一つの手ではありませんか?」

「それで後衛に来られても困るし、レックスが前衛でユキが中衛で良いんじゃないかしら」

「包丁で中衛は無理なのよ。レックスが一人で支えきれそうに無いなら、前衛になってもらうしかないのよ」

「正直あの背中に命を預ける気にはなれないわ。後ろにいなして攻撃しているもの。猪突猛進な敵だったら、そのまま私達のほうへ来るわよ?」

「う、それは怖いのよ……」

「それに比べて中衛なら、レックスの守りで十分に速度が殺されているから、突破した奴を一突きするだけの仕事よ?」

「いえ、ユキさんの攻撃は相手の速度も加えたカウンターが主体なのでしょう。ならば中衛では持ち味の半分も生かせないかもしれません」


 俺の戦いぶりを見て、三人が作戦会議を取っている。

 どうにも俺という異分子がどのように動くのが全体での生存率向上につながるかの話し合いをしているようだ。

 数分話し合った後、俺の立ち位置はやはりレックスの最初の言葉通り、三人から独立した遊撃役ということになった。

 俺としても、今の装備と縛りで後衛を守るのは不可能だと判断し、戦闘時にはレックスに肉体強化をかけた後は、レックスを大きく迂回する敵を排除していく役割になった。これならば多少後逸させたところで、即座に後衛に攻撃が行くことはない。

 それに、連携を取らずに戦えるならば、いざという時には目立たない範囲で魔法を使うことが出来る。影の中に敵を落として拘束したり、包丁で攻撃してるフリをしながら、影で攻撃したり。あるいは空気砲でもぶつけて行動を阻害してやるのも良いかもしれない。

 三人から離れることで、俺の行動の自由度が跳ね上がる。俺としては願ってもない幸運だった。


「遊撃役をするとなると危険度は高くなりますが、それは大丈夫ですか?」


 盾として守れなくなることを申し訳なさそうに告げてくるレックス。気にしないのに律儀なことだ。


「俺だって一人でやってきたんだ。その位の危険は織り込み済みだ」

「……肉体強化を専門にした呪い士……凄いのよ、凄いのよ」


 うん、ごめん。強化使ってなかったんだ。言わないけど。言えないけど。

 アマリが尊敬の眼差しで見つめてくることに罪悪感を覚える。

 顔は一切変わっていないのに、瞳だけが熱を持っているんだぜ。正直怖い。嘘だってバレたら夢にまで出てきそうだ。

 そろそろ森を抜ける。足を止めたレックスが振り向く。森の先に、まだ敵は見えない。

 何事かと身構えると、軽く手を上げて制する。

 手近な木の棒を拾い地面に○を四つと×を八つ描きだす。

 何事かと思うと、どうやら作戦会議らしい。


「では改めて作戦を。この先の平原で群れを作っているビートベア八匹に対し、まずはリオが雷で先制」

「了解。一匹はそこで仕留めるわ」

「その後ユキさんは僕に肉体強化を。筋力と持久力、瞬発力をお願いします」

「あいよ」

「アマリは接敵まで待機。適時僕に疲労回復の呪いを」

「任せるのよ」

「恐らくリオの二射目よりも敵の接近の方が早いでしょう。僕が全力で敵を食い止めますから、リオは足の止まった敵を一匹ずつ魔術で仕留めてください」

「ま、あとはいつものパターンよね」

「この時点で敵を六匹にできますので、初撃が成功すればユキさんは群れから離れた敵を受け持ってください」

「ん、分かった。そっちの負担を減らせるよう努力するよ」

「これがうまくいった場合の作戦です。次に先制の雷で焼けなかった場合を想定します」

「私の魔術で二発かかる場合ね。じゃあ――」


 三人組が再び話し合う。何だか随分と悠長なことをしていないか? こういうのは大抵出発前にしておくべきことだと思うんだが。

 あるいは俺の戦闘能力を見た時点で一度帰れば良かったのだ。

 緊急の依頼ではあるが、今日中にこなすべきものではなかったはずだ。

 辺りに、先ほどの狼のようにこちらを窺う生物はいないようだ。そこは胸元のティトが保証しているので安心だ。

 どうにも不安が残る。あらゆる、とまでは行かないが、様々な場面を想定した作戦は、安全に狩りを行うためには必要だろうし、彼らも今まで同じようにやってきたのだろう。そして生き残ってきた。何も問題はないはずだ。

 眺めていると、俺はどんな場合でも二匹のビートベアを受け持つことになっている。きっと不可能ではないだろう。問題は、ビートベアの排除に時間がかかった場合、この三人への負担が増えるということ。

 初めて戦う敵でもあるし、どれほど時間がかかるか分からない。

 ……ちょっと飛ばしていきますかね。

 そう決意したところで、作戦会議が終了したようだ。


「平原のどの辺りをうろついているかは分かりませんが、広い範囲で縄張りがあると思っていいでしょう。ビートベアの群れは、それなりに広い縄張り意識を持っていますからね」

「アマリ、この中じゃあんたが一番目が良いんだから、しっかり警戒しなさいよ」

「当たり前なのよ。知覚強化、そんなに上手じゃないけどやってやるのよ」


 ほう、知覚強化とな。なるほど面白そうな呪いを聞いた。どんなイメージでやればいいのか想像できないが、自分で試してみるか。

 じっと遠くを見つめて集中しているアマリを横目に、俺もレーダーをイメージする。

 電波はさすがに無理だが、魔力が代わりになってくれるだろう。俺は自身を中心に魔力の波のような感覚を広げ、生物の存在を確認していく。俺の脳裏には自分を中心とした円範囲が描かれ、幾つもの光点が生まれたのを確認する。地面の下や草むらの影に光点として見えないほどの小さな反応があるが、これは虫や小動物だろう。随分と俺の近くにいるようだ。また、大きな反応が三つ。これはレックス達のことだろう。随分遠い場所に大きな反応が八つ。きっとこれがお目当てのビートベアか。別の方角にも光点はあるが、今回は関係なさそうなので無視しておく。

 ふぅ、と息を吐きレーダーを解除する。隣でもアマリが深い息を一つ。結果はどうか。


「……森の近くにはいないみたいなのよ。平原に出ても、しばらくは遭わないのよ」


 アマリの言葉に、自分の感覚に自信を持つ。距離感が掴めないが、平原の中央付近までは安全だろう。

 そうと分かれば、俺は緊張を解いて歩いていく。

 警戒すべき時以外は精神を休めておかないとな。戦いになって、精神疲労を起こしていては命に関わるだろう。

 それでも俺だけならティトのおかげで生き残れるだろうが、今回の場合は他人を巻き込むことになる。それは避けておきたい。

 一期一会の冒険者達。彼らを守るのは、決して悪いことじゃない。

誤字の訂正(9/5)

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