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「何を気持ちよく眠ろうとしているんですか」

「ごっふぉっ!?」


 鳩尾に衝撃。

 落ちかけた意識が急浮上する。


「おまっ……! 何しやがる!?」


 起き上がって文句を言う。しかしティトはそ知らぬ風だ。


「いえ。こんな場所で寝ては風邪をひくと思いまして」

「絶対に違う言葉が聞こえたんですけどねぇ!?」


 ばっちり目が覚めた。少しくらい労ってくれてもいいと思うんですが。


「労え? 全てを放ったらかしたまま眠るような方の、何を労えというのです」

「ちょっと辛辣じゃない?」


 俺、結構頑張ったよね?

 回復魔法らしきものを、死ぬ気で使ったよね?

 それに、全てを放ったらかしたままって……何を放置しているというのか。


「本当にお分かりになってらっしゃらないのですか?」


 信じられない、という目で見てくるな。俺にとっては数十年ぶりの現世なんだ。

 忘れていても不思議じゃないだろうが。


「私達に対する説明は、この際置いておきましょう。ユキ様の為すことですから、基本的に規格外の何事かをやらかしたはずですから」

「信頼感が半端ねぇ」


 主にマイナス方面に。まぁ確かに、何の説明もせずに放置しようとしたことは確かだ。

 そこは素直に悪かった。起きてからでも良いとか思うのは、心配をかけてしまった彼女等に対する不義理だ。

 だが、それを置いておくというのならば。


「残る問題がどれほどあるのかお忘れですか? ここの主は討伐したようですが、それだけが問題だったわけではありませんよね」

「あー、えっと、そうだな」


 うん、そういえばそうだ。この屋敷にはまだ傀儡と化した森人が居る。彼らの処遇を考えねばならない。

 さすがにあれだけの人数を助けることは不可能だ。俺が壊れる。

 森人だけじゃない。そろそろマイレがやってくるはずだ。

 黒幕に良いように使われていた、などという考えは無い。奴は奴で、己の利益のために森人達を利用している。

 それに、キリカだ。騎士達に搬送されてはいたようだが、魔香木による中毒症状が酷いものであれば……いや、考えるのはよそうか。


「一先ずはここを出ましょう。話はそれからです」


 ティトが先導するように部屋を出る。

 正直動くのは億劫だが、仕方ないな。


「感動の再会のところ悪いが、一旦外に出る。行けるか?」


 二人に声を掛ける。

 瞳に涙を浮かべながらも、力強く頷く。


「大丈夫です、行きましょう」

「ん……!」

「オーケー、それじゃあ行こうか」


 明かりを生み出して先を行くティトを追いかける。

 というかティト、こんな暗い中をよく動けるな。暗視の技でも持っているのだろうか。呪いが使えるなら、そういうことも出来るのかもしれない。

 通路を歩いていると、エウリアが話しかけてくる。その声は困惑の色を伴っていて。


「ユキさん、私、なんだか記憶が混乱しているようなのですが……」

「あ? そういうこともあるだろ」


 正直に言えば、記憶の譲渡は完璧ではない。

 俺の方で、彼女にとって都合の悪い情報はカットしている。

 母から譲り受けた品が、自分を苦しめたことなぞ、知らぬほうが良いだろう。

 里の長達がフィルを利用しようとしていたことやマイレの裏切りなど、彼女の心を傷つける原因となったものは、俺の内に秘めておく。

 まぁ、上書き保存のようなものではないから、何かの切っ掛けで思い出すこともあるだろうけれど。

 そんなものは今じゃなくても良い。

 大部屋まで戻ってくる。ここまで来れば、後は階段を上るだけ。


「遅いですよユキ様」


 階段の麓でティトが羽ばたいている。


「お前が早すぎんだよ。何でそんなに急いでるんだ?」

「斥候のつもりでしたが、不要でしたか?」

「だったら戻ってこいよ、何も無いから大丈夫だって」

「便りが無いのが良い便り、という言葉があるそうですね」


 全く、ああ言えばこう言う。このやり取りが、何となく嬉しくなる。


「で、何か収穫は?」

「特には。ああ、いえ。上階から物音がしますね。件の相手が来たのではないでしょうか」

「……あぁ、なるほど」


 確かに、今夜、マイレはここに来る予定だった。そろそろ来てもおかしくはないものな。

 ちらりと後ろを見る。

 どうすべきか。記憶を完全に渡していない以上、エウリアとマイレを相対させるのは上手くない気もするが。


「あの、どうかされましたか?」


 やはり困惑顔のエウリア。

 俺の選択は正しかったのだろうか。

 いや、考えても仕方ない。良かれと思ってやったのだ。そこに疑義を差し挟むな。少なくとも、俺自身は自分の行動を疑っちゃいけない。


「何でもない。行こうか」


 ここでまごついていても仕方ない。マイレならば、この場所も知っているだろう。

 黒幕の魔獣が居ない今、その異常は奴もすぐさま察知するはず。

 となれば、危機意識の高い相手ならば行方をくらませる可能性だってある。

 させるかよ。


「先行する。足、踏み外さないようにゆっくりと来いよ」

「は、い」


 こくりと頷くフィル。エウリアとしっかり手を繋ぎ、慎重に動こうとしている。

 それじゃあ、俺は俺で早速動くとしましょうかね。

 ティトがするりと首元に潜り込み、ようやくいつものスタイルだ。

 タン、と軽やかに地面を蹴り、階段を瞬く間に登りきる。

 無論、足音は魔法で消している。風のクッションを足の裏に噛ませる要領でやれば、それっぽいことはできる。

 隠れるようにして広間の様子を窺う。

 まだまだ青年のように見える森人が一人、所在なさげに立っている。

 あれがマイレだ。


「取引は今日のはずだが……。まあ、あの雌狐のすることだ。大して意味もないのだろうな」


 独り言にしては、随分と大きい。

 ここの使用人達の状況を知っていなければできない事だろう。


「おい、そこの使用人。『客人だ、丁重にもてなせ』」


 マイレのその言葉を聞くや、近くの使用人の顔が生気を取り戻す。


「ようこそおいで下さいました。どうぞこちらへ」

「ああ」


 ……恐らく、あの言葉がキーワードなのだろう。それを聞くことで一時的に自我を取り戻すか、あるいは専用の行動パターンに切り替わるか。

 使用人に連れられ、客間であろう通路の奥へと向かっていく。

 仕掛けるならここだろうな。

 光学迷彩を起動させ、足音は消したまま、全力で疾走する。

 そしてそのまま、背後からマイレを引きずり倒す。


「ぬぐうっ!?」


 無様に尻餅をついたマイレを組み伏せ、マウントポジションを取る。


「だ、誰だ!? 何が起きたっ!?」


 応えてなどやるものか。

 混乱したままのマイレの顔面を手で掴む。


「ひっ!? な、何だ!?」


 まずは抵抗する気力を奪いつくす。

 姿の見えない敵に、蹂躙される恐怖を思い知れ。

 少しずつ握力を強める。

 アイアンクローが、マイレの頭蓋骨をメリメリと圧迫する。


「ぎ、が、やめ……!?」


 俺がこいつを誅するわけにはいかない。

 エウリアの記憶を覗き見たといえど。

 コイツに対する怒りは、エウリアのものだ。

 とは言っても、その辺りの記憶は、意図的に渡していない。

 だからこそ。

 彼女自身が、この男を罰することはない。

 ああ、だからこそ。

 こいつには、自身で潰れてもらうしかない。

 弱弱しく、両手で俺の腕を掴んでくる。

 見えずとはいえ、掴まれている感触を振りほどこうとするのは当たり前だよな。

 そうしてがら空きになった胸元に、『赤心の首飾り』を潜り込ませる。

 顔面を掴んだまま、のっそりと立ち上がる。

 自然、奴の体も持ち上げられる。

 身長的に、腕を目一杯伸ばしても、こいつの爪先が床に着く。が、それでいい。そのくらいの、救いがあるかないかの瀬戸際の方がいい。

 そのまま広間へ戻る。そろそろ二人とも、階段を登りきっている頃合だろう。

 呻くように、叫ぶように、じたばたともがきながら悲鳴をあげるマイレ。

 喧しい。喧しいが、ここで握り潰すわけにもいかない。

 広間に出ると同時に、二人が階段から顔を覗かせる。

 確認と同時に光学迷彩を解除し、マイレを広間中央に放り投げる。


「あ……」

「マイレさん!?」


 痛みに呻くマイレに駆け寄るエウリア。

 今の彼女にとって、その反応はごく自然なもの。

 だけど、マイレにとっては不可解極まりない行動。


「エウリア!? どうしてお前が……」

「私も、いまいち状況が飲み込めていなくて……」


 断片的な情報のみを持った人間と、全てを知っている人間。

 後ろ暗い思いを持った方は、果たしてどのような行動に出るか。

 見ずとも分かる。

 だからこそ。

 ボソリと呟いてやる。


「簡単に壊れてくれるなよ?」


 そして、マイレの心に防壁を作ってやる。

 暫くの間は『赤心の首飾り』の呪いを無力化してやるさ。


「エウリア。積もる話もあるだろうから、話しておくといい。俺達は先に宿に戻ってる」

「え、ええ。ありがとう、ユキさん」


 フィルの手を取り、屋敷を後にする。

 去り際に、魔法で奴の耳元に声を届けておくことは忘れない。


「もう一回エウリアに手ぇ出してみろ。地の果てまで追ってでも地獄を見せてやる」


 今の俺に出せる、精一杯のドスの効いた声で。

 息を呑む音が聞こえてきたような、そうでもないような。

 後ろを振り返ることすらしなかったので確認はできないが、まぁ、今はこれでいい。

 奴の犯した罪を罰するのは、奴自身の言動だ。

 エウリアとの認識の齟齬を利用し保身に走るのならば、その偽りを『赤心の首飾り』は許しはしない。

 適当な時期を見て、精神防壁を解除してやれば、あとは勝手に潰れていく。

 仮に奴が悔い改めて、全ての罪を告解するのであれば、その時はエウリアに処遇を任せよう。

 現状、俺にできることは、その程度だ。

 ドアを押し開き、外に出る。

 静かだ。

 ここで起きた惨劇のことなど何も知らないかのように、月は煌々と街を照らしている。

 薄く蒼い光で、優しく世界を包んでいる。


「……そう、か。また空を見る余裕を無くしてたんだな」


 前に空を見上げたのは何時だったか。

 柄じゃないとは思うが、エウリアの記憶を覗き見たせいか、随分と感傷的になっている。


「お師匠、様。これから、どうする、ですか?」


 外に出た途端、足を止めた俺を不審に思ったらしいフィルが、そんなことを問いかけてくる。


「そうだなぁ……」


 事後処理としてやるべきことは多いだろう。先ほど考えていたことでもある。

 洗脳されている人間は、恐らくあの魔獣が死んだことで機能不全に陥る。

 魅了が解ければ良いのだが、あの脳みそが攪拌されるような衝撃から考えれば、治癒は絶望的だろう。

 ここに囚われている森人の処遇も考えねばならない。

 彼等も廃人同然だろうが、生命活動が停止しているわけではない。

 キリカの件も気になる。騎士団がどのように治療措置を施しているのやら。

 だけどまぁ。


「俺がどうこうできる、って話じゃないからな」


 そういうのは個人で扱うべき案件ではない。

 いやさ、俺がもっとこう、例えば広範囲の回復魔法とかで、シャランラーと効果音やエフェクトを撒き散らして完全回復させられるなら話は別だけど。

 だから、俺にできることなんて限られている。


「今日のところは、宿に戻って、美味しいご飯食べて、ゆっくり寝よう。な?」


 そう言って、繋いだフィルの手を優しく握り締める。

 激動の一週間。

 その渦中にあった、まだ幼さの残る少女。

 彼女の持つ苦しみを、ほんの少しでも軽減してやること。

 そのためならば、添い寝であろうが何であろうが、何だってしてやるさ。

 まぁ、その役目は俺じゃなくてエウリアになるとは思うんだけど。



 ――そんな程度にしか考えていなかったから。



 俺は、この選択を、行動を、後悔することになる。

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