70
地下室。
荒い息を吐きながら、一歩一歩、フィル達の待つそこへと急ぐ。
思ったよりもダメージが大きいな。やはり魅了の術式による脳への負担は只事ではないということか。
「いや、どう考えてもこっちだよな」
見ないようにしていたが、壁を支える俺の右腕は酷く焼け爛れていた。
魔獣を掴んだときの肉の焼ける音。あれは、俺自身が焼ける音に相違ない。
魔獣に肉なんて無いのだから、あの場で焼けるのは俺か死体か、だ。
炭化まではしていないが、それでも相当辛い。
服もボロボロになっちまったし、これはまたティトにどやされる。
というか、回復魔法が使えないという現状は、どうにもこうにも辛すぎやしないだろうか。
妄想次第で何でもありなんだから、死者蘇生とまでは言わずとも、完全回復な魔法くらい使えてもいいだろうに。
条件は何だ。人体構造の把握か? 医学専攻ならともかく、俺の知識は高校生物で止まってんだぞ。
カツン、カツン、と石造りの通路に足音が響く。
「くっそ、響く音で痛ぇ……」
これは中々に重傷ではないのか。
少しでも早く彼女等の下に行きたいが、流石に今の状況はまずい。俺の心が折れる。
何か良い物はないかと影を漁る。
そういや薬があったな。ライフポーションだのヒールポーションだの。
二、三取り出したそれを、乱暴に腕に振り掛ける。ローション状の方は左手で掬って、右腕に擦り込む。
「う、っぐ……!」
物凄くピリピリする。というかビリビリする。
だが、ほんの僅かではあるが、マシにはなった。少なくとも歩く振動で痛むなんてことがなくなった。
ふぅ、と息を吐き、歩を再開する。
壊れた魔法陣の間を通り過ぎ、細長い通路をさらに行く。
だが。
急いだところで何になる?
そんな焦燥感が胸を支配する。
俺に回復魔法は使えない。肉体を癒す術なんてない。
精神を癒すなど、以ての外だ。
ならば。
俺はエウリアをどうしたい?
後始末といって、彼女をどうするつもりだ?
分からない。答えなんて出ない。
だからといって、手を拱いているわけにもいくまい。
今、フィルを支えてやれる人間がどれほど居るというのだ。
何ができるわけでもないだろうが、傍にいてやることだけならしてやれる。
その程度しかできないからこそ、それくらいはやってやるさ。
大きく息を吸って、もう一度歩みだす。
痛みは無視しろ。俺の傷は一時的なものだ。いずれ治る。
自分に言い聞かせ、止まりそうになる足を無理矢理動かす。
気を抜けば、座り込んでそのまま動けなくなりそうな予感がするから。
さして長くない通路だ。すぐ先を曲がれば目的地だ。
「……?」
先ほどは、扉の外からもエウリアの声が響いてきた気がするが、扉が破砕されている現状で、何も聞こえてこない。
何かあったのか?
痛む体をおして、先を急ぐ。
砕けた扉はそのまま。何かあった様子はない。
転げ込むように中に入る。
「っ、ユキ様!?」
「お師匠、様?」
ティトとフィルが、エウリアに寄り添っている。
まさか、手遅れ?
「おい、エウリアは?」
「そんなことよりも、そのお姿は!」
「俺はどうでもいい、エウリアはどうした」
こちらに飛んでくるティトを遮り、エウリアの様子を見に這い寄る。
呼吸はしているようだ。
これは、寝ている、のか?
「今は眠ってもらっています。あまりに痛々しく……」
「そう、か」
それならいい。規則正しい寝息は、先ほどまでの狂態を全く感じさせない。
目覚めれば、きっとまだ心は壊れているのだろうけれど。
「それよりも、その火傷は……いえ、首魁はどうされましたか?」
「死んだ。ハーケンとかいう冒険者がやった」
ティトはそれ以上、何も言わなかった。
ある意味、その沈黙は助かる。
「フィルさん、ユキ様の治癒を」
「は、い」
フィルが俺の腕を取り、何やら詠唱を始める。
聞きなれない言葉だ。意思疎通の呪いでも通訳できないとは。
暫くすると、フィルの手が淡く輝き始める。
ほう、治癒の呪いってこういう形で発現するのか。
その手で俺の腕を撫でると、むず痒い感覚と共に、火傷痕が綺麗に治っていく。
痛みも引き、完治したように思える。
凄いな、これ。
「サンキュー、フィル。すっかり治ったみたいだ」
ぽん、とフィルの頭を撫でる。
少しの間撫でられるままだったフィルだが、おずおずと俺の手を握る。
「どうした?」
「お師匠、様。お姉ちゃん、助けられ、ますか?」
「っ」
言葉に詰まる。
先ほどからずっと考えていたこと。そして恐れていたこと。
俺は、回復魔法が使えない。
肉体の治癒も、精神の治癒も、できない。
原理を理解していないから。
効力を発揮しない。
「できません、か?」
フィルが目が潤む。
「それ、は」
やってみないと分からない。
だけど、失敗したらどうする?
肉体の治癒ですら、身体構造を把握していなければ、碌な結果にならないはずだ。
ならば心はどうなる?
無理矢理治療することは、恐らく可能だと思う。
だけどそれは俺が想像する範疇での治癒であり、決して元通りになるわけではない。
下手をすると、俺の想定通りにしか反応を返さない「ヒトガタをした何か」が出来上がるだけじゃないのか。
そんなものを助けたとは、口が裂けても言えない。
俺には、そんな力は無い。
だから、仕方ない、んだ。
「……俺には」
仕方ない、だと?
「……っ」
目の前で泣いている女の子を見て。
力がないから諦めろ、だって?
「う……うっ……」
「ユキ様……仕方ありません。心の治癒は人間業ではありません。肉体を癒しても、心に負った傷は時間を掛けて修復するしかないのです。それが、自然の摂理ですから」
自然の摂理だ?
それがどうした。
俺の魔法を、もう一度考えてみろ。
自然現象に干渉する魔術。肉体と精神に干渉する呪い。
もっとおぞましい別の何か、魔法。
呪いで作った魔道具が原因なんだろ?
だったら、魔法でどうにかできねぇ謂れは無いはずだ。
そもそもだ。
泣いてる女の子を目の前に。
治せない、だなんて。
「んなこと、言っちゃいけねぇだろ、男の子ならよ……!」
「え?」
「ユキ様、何を……?」
考えろ。
エウリアを治す方法を考えろ。
原理なんぞ知ったことか。効果が弱くなる? 発揮しない? だったらもっと凄ぇ効果をイメージすりゃ良いだけだろうが。
魔法なんだ。何よりもおぞましい別の何かなんだ。
俺のイメージ次第で、あらゆることが可能になるんだ。
あの呪い士の女を助けた薬の件を考えてみろ。薬効強化だ? どんな原理を理解してりゃ、そういうことが可能になるっていうんだ。
原理なんざいらねぇ。んなもんはただのイメージの補強に過ぎない。
求める効果を想像しろ。
新たな魔法を創造しろ。
俺なら、それが出来るはずだ。
エウリアの顔を覗き込む。
「ちょっとばかし不思議に思ってた。どうして鑑定で見える情報がばらばらなんだろうって」
名前と性能だけが分かるもの。
名前と来歴が分かるもの。
知りたい情報は見えないのに、知りたくもない情報ばかり見える、使い勝手の悪い魔法。
そう。
「使い勝手の悪い鑑定」
そんな名前じゃ、性能が悪いのも当然だ。
人の手を渡り、歴史を持った品物にならば、来歴が表示される。
生命体なら、どうなる?
そいつが生きてきた歴史そのものが来歴のはずだ。
エウリアの過去を。人生を。その全てを。見通してやる。
「いけません、ユキ様! 人の身でそのようなことをすれば!」
「うるっせぇよ! 仕方ない、なんて言葉で片付けて堪るか! 魔法だろ!? 自然の摂理なんぞ捻じ曲げてなんぼだろうが! 見せろよ、『鑑定』!」
瞬間、膨大な情報が脳に飛び込んでくる。
急激な頭痛。
パン、と何かが鳴った様な気がする。
たらりと、顔中から生暖かいものが流れ出る。
「あ、血……」
「おやめ下さいユキ様! 人の身で他人の半生を知ろうなどと、脳が壊れてしまいます!」
だから何だ。
それがどうした。
膨大な情報と言ったところで、こんなんじゃ足りない。
もっと深く。
もっと奥へ。
「いけません! そのようなことをされては、また――!」
また? 何だ、倒れるってか。知ったことか。
俺は俺のやりたいようにするだけだ。
エウリアを助けるために。
彼女の根源を。
生誕から。
現在まで。
全てを。
見尽くす。
そのためには。
この鑑定に名をつける。
目の前のモノの、来歴を見通す。
そう。
この魔法の名は!
「『来歴看破』!」
そして。
目の前から、風景が消えた。
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