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『山猫酒場』に入って光学迷彩を解除する。幽霊に間違えられるのは嫌だ。というか下手に病み上がりのフローラに心的負担を掛けるのもいかがなものか。
ただ、俺の姿を確認するや否や、親父さんが盛大に噴出す。
何だよ失礼な。急に現れたからって、その反応はないだろう。というか、笑ってる?
「いや、なに。パパさんが戻ってきたと思ってな?」
「あ? それのどこがおかしいんだよ」
「お嬢ちゃんが、パパさんとはな。それはあれか、俺のことを言いたいのか? 親馬鹿な親父だってな」
オゥ、シット。そうだよね、俺、見た目は美少女だもんね。そんな俺がパパさん発言なんてすれば、そりゃあおかしいわ。腹捩れるわ。
例えば、いきなりフィルがお父さん発言をすれば、全力で噴出す自信があるぞ。
「えーと、まぁ。そういうことにしといてくれ」
釣られて俺も口の端を吊り上げる。
親父さんも益々笑みを深くする。
何か通じ合った気がするぜ。
「あ、そうだ。娘さんの調子はどうだ? さっき歩いてたと思うけど」
もう仕事をしても大丈夫なのだろうか。大丈夫だからこそ動いている気もするんだけど。
「ああ、お嬢ちゃんのおかげでな。もう大丈夫だ。……食堂も、今日の夕方から再開だ」
「朝からじゃないんだ」
夕方からでもありがたいけども。何だかんだ、ここの飯は美味い。
「告知が間に合わんよ。泊り客くらいには、適当に出してやれると思うが、どうする?」
なるほど。そういや以前も貼紙をしていたな。てことは、昼過ぎには今日から再開する旨が書かれるのだろう。
だが、泊り客には朝食が出るらしい。そいつは重畳。
「ありがたい。あいつらもそろそろ起きてくると思うし、ぼちぼち頼むよ」
「分かった。カミさんに伝えておく」
そういってのっそりと立ち上がる親父さん。疲れているように見えるのは気のせいではないだろう。薬の調合から癒しの呪いまで、ずっと使っていたのだろうから。前衛呪い士だってのに。まさか呪い士とはオールラウンダーの事を指すのだろうか。
疑問は尽きないが、恐らく親父さんが特殊な何かなんだろう。
俺も水鏡を試しに行かないとな。そうこうしているうちにフィルも起きるだろうし。
親父さんを見送った俺は、ゆっくりと音を立てないように階段を登っていく。極力、ぎりぎりまで寝かせておいてやりたいし。
まるで寝起きドッキリを仕掛ける芸能人のように、そっとドアを開ける。
「おはようございます」
ついノリで、囁くような声で部屋に入る。
さすがにこんなことで起きるほど、眠りが浅いわけではないらしい。
すぅ、すぅ、と規則正しく可愛らしい寝息が部屋に木霊する。
そいつをBGMに作業をする。つまり作業用BGMだ。なんて捗らない作業用。気が散って仕方がない。
やることは少ないから、気が散ったところで何の問題もないんだけどさ。
影から盥を取り出し、魔法で水を生み出す。盥を水で満たしたところに、宝石を落とし入れる。水面に波紋が広がり、盥の縁でチャプと音を立てる。
水面が静まったところで、目を閉じて精神を集中させる。
宝石に宿った思い出を引き出すように。
水面をモニターに見立てて。
「――」
軽く息を吸う。
目を開けると、黒くなった水が見える。まるで電源の入っていないテレビ画面のようだ。
ならば、後は電源を入れるだけで良い。
水面に軽く触れる。
波紋が広がり、水面が白く輝きだす。
目を眇めつつ、映し出されるはずの映像に意識を向ける。
大量にあった足跡の謎も分かることだろう。
光が収まると、静かに無音のモノクロ映像が浮かび上がる。サイレント映画でも見ている気分だ。
着の身着のまま、酔いどれた足運びで逃げるように建物から出てくる男達。中には裸の女を抱えている奴も居る。
彼等を追うように、完全武装の人間が数名飛び出してくる。装備の雰囲気を見れば、騎士団だろうか。以前見た、彼等の装備によく似ている。
騎士達の行動は素早く、逃げ出した男達を瞬く間に捕縛していく。どんな身体能力してるんだ。あぁ、呪いか。脳筋ばかりではないだろうし、サポート役の騎士くらい居るだろう。
捕り物が粗方終わった辺りで、またも建物から騎士らしき人物がのっそりと出てくる。
熊だ。
違うな、熊のような大男だ。
あ、いや。熊耳があるから、熊系の獣人なのだろう。もみあげが非常に発達していらっしゃる。左目の辺りを縦に入っている傷が痛々しいが、歴戦の勇士であることを感じさせる。
縛り終えた騎士の一人が、その男に敬礼と共に何かを話しかけている。
恐らくあの熊騎士が指揮官なのだろう。
そいつが騎士達に何か指令を出すと、捕らえられた男たちが引き立てられていく。
一体何が起こったというのだろうか。
不思議に思ってみていると、あの胡散臭いオッサンが胡散臭い笑みを浮かべながら姿を現すではないか。
熊騎士が二言三言、彼に言葉をかけると、オッサンは頭をぽりぽりと掻いて肩を竦め、面倒臭そうに騎士たちの後についていく。
なるほどな。
恐らくあのオッサンも、俺がカメラを仕掛けたあの建物が怪しいと睨んでいたのだろう。
俺と別れた後、騎士達にそれを伝え、この捕り物劇が発生した、と。つまりあのオッサン、ハーケンと言ったか。彼は騎士団側の人間だったわけだ。
冒険者と騎士が協力関係に、ねぇ。どんだけ信頼度高いんだあのオッサン。どう見ても胡散臭い、どっちかというと黒幕側の風貌だろうに。笑いながら、次の瞬間には相手を殺しに掛かる人種だぞ。いやまぁ、殺意はがっつり出ていたけども。
あの時俺とハーケンが一戦交えることになったのは、この怪しい建物の近くから俺が出てきたためだろう。
俺だって、殺意感知で反応した建物からハーケンが出てきていたら、問答無用で殴り倒していた自信がある。逆パターンも無理はなかろう。
熊騎士が姿を消せば、それ以降、水鏡に映る姿は何もなく、最後に俺が現れてそのまま映像が途切れる。
黒かった水が、段々と透明度を取り戻していき、後には水の張った盥と、沈んだ思い出の宝石が残る。
「つまりこれってさ」
怪しい分には怪しかったわけだが、俺の行動が無駄足に終わったって事だよな?
まぁ、事件が解決に向かう分にはそれで良いんだけど。
こうやって何かしら進んだということは、親父さんの方にも情報が入ってくるだろうし。そうなりゃ俺にも情報が来る。
これが誘拐事件と繋がっているかは、さすがにまだ分からないが、少なくとも一歩前進だ。
俺の動きが無駄に終わったことなんて、事件解決に比べれば些細なことだ。
く、悔しくなんてないからな。
しかしこうなってくると、日中に俺が出来ることなどほとんど無いことになるな。まさかフィルを連れて殺意感知での危険度が高い場所に赴くわけにもいかないし、かといって一人にさせるわけにも行かない。つまるところ、昼間は平常通りに生活し、夜の間に動くしかないわけだ。
さらに言えば、夜の間は俺一人での行動。ティトはフィルの傍に居てもらわなければならない。フィルを連れまわすわけには行かないが、事件解決のために動く必要もある。両者を取るには、それが一番マシな手段だろう。
一つ頷き、盥の水を片付けようと立ち上がったところで、フィルが起きる気配を感じる。
ごそごそとベッドのシーツが擦れる音。ギシ、とスプリングが軋む音。はらりと捲れあがった服が元に戻る音。
脳裏にフィルの体が浮かび上がり、慌てて頭を振って掻き消す。
声が上擦らないように注意深く声を掛ける。
「起きたか。おはよう」
「んむ……おはよう、ございます」
手で目の辺りをくしくしと擦りながら、まだ寝ぼけた声で挨拶を返してくる。その仕草に愛らしさを感じる。父性です。決して獣性ではありません。
「早速だけど今日の予定な。朝は運搬依頼の続き、その後に買い物の続きだ。いけるか?」
「……買い物?」
「服とかは買ったけどもさ、武器や防具は持ってないだろ? 何か体に合うものでも、と思ってな」
武器はホワイトダガーを渡しておけば一旦大丈夫だとは思うけど。フィルの体格で剣は無理だろうし、弓も相当な技術力が必要だ。というか呪い士として動くのだから、近接武器は護身用程度で良いだろう。杖の効果がどうかってところで、都合の良さそうなものを買うとしよう。呪いを補助してくれる杖とかがあればベストだ。
防具に関しては何が良いだろうか。それすらも分からないな。基本的に防御性能は高めるべきだろうが、フィルに重装備は物理的に不可能だし。となると、俺のような急所を守る軽鎧であるとか、特殊な効果のある服とかローブとか、そういう系統のものを探さなければならない。それでいて、デザインがある程度落ち着いているもの。昨日見た、シキミが着ているような服装は絶対に駄目だ。俺の頭がおかしくなる。四六時中そんな子が傍に居るとか耐えられない。恥ずか死ぬ。
――それもこれも、何事もなければ、の話だが。何だか妙な胸騒ぎがしやがる。
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