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『山猫酒場』を出たところで、意外な人物と出会う。
いや、不思議でも何でもないんだけど。
「おやユキちゃん。奇遇だね」
「宿泊してんだから、奇遇でもなんでもないだろうに」
てか、前も同じようなやり取りをしなかったか?
イリーヌさんは嬉しそうに手をポンと叩き合わせる。
「ちょうど良かったよ。ユキちゃん本人がいるなら話が早い」
「どういうことだ?」
「ほら、例の件だよ。とは言っても、そんなに時間を取れたわけじゃないから、あまり詳しいことは分かっていないんだけどね」
なるほど。彼女は早速マイレとやらの情報を仕入れてきてくれたわけか。
半日程度で集められる情報がどれほどのものなのかは分からないが、どの道今は何の情報もない。あるだけで十分プラスだ。
「助かる。どこで話す? 流石に往来でやるもんじゃないだろうし」
「そうだね。『山猫酒場』が閉まってるらしいから、別の店を予約しているんだ。そっちに行こう」
そういってイリーヌさんは踵を返す。
「何て店だ?」
フィルと共に後に続く。
俺としては、女将さんから聞いた店に行きたいんだけども。まぁ、相手が店を予約しているなら仕方ないな。またいずれ、別の機会に行くとしよう。
だが、イリーヌさんが挙げた名前は、俺の予想を裏切るものだった。
「『春風の囁き』って店だよ。煮込み料理が美味しいんだ」
「お。俺も丁度その店で晩飯にしようと思ってたんだよ」
その店の名前は、俺が女将さんから聞いたもの、そのものだったから。
「へえ、それこそ奇遇だ。これはやっぱり、ユキちゃんと私は運命の糸で結ばれているんだよ」
「言ってろ」
どうしてこの人はこう、ナチュラルに残念なんだろう。
見ろよ、フィルが怯えているじゃないか。
「気にすんな。こういう人だ。慣れれば、わりと、気にしないでおけるから」
「はい。……頑張ります」
「ちょっと。そこは頑張るようなことじゃないよね? ユキちゃんも何気に酷くないかい?」
「自分の言動を省みろ」
いきなり人に魅了の術をかけようとしてきたり、何かにつけて口説いてくるような人間が、まともなわけがあるまい。
「しっかし、晩飯って言うには微妙に早い時間だと思うけど、どうしてこんな時間に来たんだ? 俺がいるかどうかも分からなかったんだろ?」
「そんなの決まっているじゃないか」
俺の疑問に、くるりと振り返ったイリーヌさんが答える。
「少しでも早くユキちゃんに会いたかったからね!」
そして満面の笑顔でこれだ。いくら残念な美人とはいえ、ここまで好意を顕わにされては、こっちの顔が熱くなる。
「どうしたんだい、急に顔を隠して」
「何でもねぇよ」
火照る顔を手の平で冷やしながら、話題を転換する。くそう、ニヤけてんじゃねぇよ。バレバレかよ。
「あとは紹介したい人も居るからね。人脈を繋ぐなら、早いほうがいいだろう?」
「紹介したい人?」
誰のことだ。というか、なんでわざわざ俺に?
気にはなるが、今聞いたとしてもはぐらかされそうだ。
仕方なしに黙ってイリーヌさんの後をついていく。
「警戒されないのですか?」
ティトがぼそりと問いかけてくる。
「別に敵じゃないんだし、警戒する必要はないさ」
それにこれは「紹介したい人がいるの」と、自分が好意的に思っていた女性から言われたわけではないのだ。乾いた笑みを浮かべながら祝福の言葉を投じなければならない状況は御免被る。
というか、イリーヌさんとそういう関係になるような酔狂な男がいるならば見てみたい。やめとけ、と一言でいいから忠告したい。
「いえ、そういう意味ではなく」
「ん? だったらどういう意味だよ」
他に警戒しなければいけない事などあったか?
「何と申しましょうか。ほら、彼女は非常に独特な方でいらっしゃいますので」
「直截的に言っていいと思うぜ?」
「彼女は変な人ですから、紹介される方も頭がおかしいのではないかと」
「もうちょっと歯に衣着せようぜ?」
というかティトさん、キャラ変わってませんか?
「それは警戒しても意味がないというか、本気で変な奴を紹介されたらダッシュで逃げるから大丈夫だよ」
首元から顔を出すティトの頭を指先で撫でる。
むゆーと変な声が出るが、それは気にしてはいけない。
正直なところ、ピートの件があるため、紹介されるのが変な奴という可能性は捨てきれないのだ。ピートが変な奴だというわけではないが、一般的に見て変人ではあるだろう。
戦々恐々としながらも、鼻歌を歌いながら前を行くイリーヌさんについていくしかない。
とはいえ、フィルに危害が加えられるようなことはあるまい。
「さ、店はもうすぐそこだよ。会わせたい人は先に始めてるからね」
「早すぎんだろ」
先に始めてるって、確か酒も美味い店とかいう話だったよな。既に飲んでるのかよ。晩飯にはまだ早い時間だというのに。どんだけ飲兵衛だよ。
イリーヌさんが指し示した場所は、白い外観が清潔さと荘厳さを醸し出す建物だ。入り口の扉の上には、その外観に不似合いなジョッキと焼き鳥の串焼きの絵が描かれた看板が掛けられている。木製で、彩色すらされていない茶色い看板。印象がチグハグ過ぎるだろ。
扉をくぐって先に行くイリーヌさんを見失わないように、俺も続いて店に入る。
途端、むわっとした熱気が肌にまとわりつく。
夕方過ぎとはいえ、まだ日は落ちきっていないというのに、この場にあるのは仕事上がりの職人達の熱気。
見れば『山猫酒場』で見かけた職人や冒険者らしき人物の姿もある。
なるほど、あちらに負けず劣らずの良い料理を提供する、というだけはある。
ふと気になって店を見回してみるが、セブラー達三人組の冒険者の姿は無い。それを確認して胸をなでおろす。こんなところでまで絡まれたくないからな。
「ユキちゃん、こっちだよこっち」
おっと、イリーヌさんと少々離れてしまったみたいだ。手を振ってこちらを呼ぶイリーヌさんの元へ、込み合った店内の人混みをかき分けて進む。
すると四人掛けの四角いテーブルでは、既に一人、グラスに入った琥珀色の液体に口をつけていた。
こいつが紹介したい人、なのだろうか。
座っているから正確には分からないが、俺と同じくらいの身長だろう。ウェーブがかったボリュームのある長い黒髪をだらりと垂らし、酔っているのか朱の差した頬に、胡乱げな半眼の瞳は顔と正反対の青色。黒いシンプルなストールを纏っているが、その下はボディラインを強調するかのような丈の短いベスト。長いスカートにはこれでもかというほどのスリットが入り、組んだ足が扇情的に映える。
……うん、でもまぁ、子供が無理してる、という印象が拭えないね。俺と同じくらいの身長だもんね。体の凹凸は、流石に俺よりはあるけども。けれどフィルと比べてそう大して違いがあるわけではない。そういう出で立ちはイリーヌさんくらいのスタイルの女性がするものだと思うんだ。
俺がその人を見つめていると、イリーヌさんが気付いたのか、声を上げる。
「紹介するよ。シキミちゃんって言ってね。次の護衛依頼を請けてくれる人なんだ」
「ん」
グラスは口元のまま、もう片方の手を軽く上げる挨拶。衣装やら何やらのバランスはおかしいが、何故かその仕草は様になっている。
俺もそれに倣い、軽く片手を振る。
「で、どうしてシキミさん、だったか。彼女を紹介しようと思ったんだよ」
イリーヌさんに問う。前の護衛と次の護衛にどれほどの接点が生まれるというのか。場合によっては、これから先出会うこともないというのに。
だが俺の疑問は、イリーヌさんの一言であっさりと解消された。
「シキミちゃんは呪い士なんだよ。それも凄腕のね。呪い士同士、何か情報交換でもしたらどうかなって。どちらかというとユキちゃんに紹介したい、というよりは、シキミちゃんがユキちゃんを紹介してほしいって言ったんだけどね」
なるほど。伝達手段が充実していないこの世界では、情報の価値は高い。ソロの呪い士なんて奇特なことをしているのであれば、事前の危機を察知するためにも冒険者同士の情報交換は必要だろう。また、自分の知らない呪いや、その習得方法などを教えあうというのもありえそうだ。
俺の場合は、レーダーやらティトからの情報やらで、そこまで綿密な情報収集をせずともある程度は入ってくるので、それほど必須と言うほどのものではないし、そもそも呪いじゃなくて魔法だから何の関係もないのだが。
イリーヌさんの言葉に頷いていると、シキミさんは赤い顔でイリーヌさんの腕を小突いている。「紹介してほしいなんて言ってない」とでも言いたげだ。
「なるほどな。そういうことなら済まないが、俺はあまり大した情報なんて持ってない。俺の使える呪いだって、基本的には肉体強化だけだしな」
「強化だけ?」
意外と声が低い。ついでに言えば結構掠れている。
「おう。体を強化して、剣でばっさりと」
「……杖、は?」
「んなもんねぇよ」
買い忘れてたね、そういえば。必要無いと言えば必要無いんだけど。検証する気ももうないし。基準も分からないままに、オーバーキルの検証なんてどうやれっていうんだ。使おうが使うまいがどうせオーバーキルなのに。
ああ、でもフィルのためにはある程度のものを買っておいたほうがいいか。
近々買いに行くとしよう。幸いまだまだ金はある。というか、ピートから貰った金貨にはまだ手をつけていないし。
「規格外」
言って、目を瞑りながらグラスの液体をくっと飲み干す。
肩が揺れているのは、笑っているからだろうか?
何でいきなり笑われなきゃならんのだ。いや、自分でもこの世界の常識と照らし合わせて、頭おかしい能力使ってるのは分かるけどさ。
「そっちの小さい子は?」
フィルを睨みつけるように視線を送る。
「弟子だ。才能は俺よりありそうだが」
そもそもからして、魔法なんていう別枠の物を使っていて、呪いなんて使えないんだから、才能という意味でいえば誰を指しても俺より上だろうけどな。
「ふうん?」
ジロリ、と胡乱げな瞳を向ける。やめろよ、フィルがビクって震えたじゃないか。可愛いって思っちゃうからやめろよ。
「ま、いいか。僕には関係ない」
僕っ娘!? 初めて見た。その格好で僕っ娘とか難易度たけぇな。
軽く驚愕していると、シキミさんは手に持っていたグラスを一気に呷る。
「そういうアンタは、どんな呪いを使えるんだよ」
「メインは結界。治癒と強化は人並み」
結界とな。教えてティトえもん。
「簡単に実例を挙げますと、以前レックスさんたちと請けた依頼で赴いた村にかけられていた、獣避けの呪いが結界にあたります」
安全地帯を作る呪いか。てことは、イリーヌさんの使う結界石は、結界の呪いを込められた魔道具、ということか。
「ソロでやるってことは、かなり強力な結界を使えるみたいだな」
「……ん」
気のない賛辞ではあったが、どうやら気を良くしたようだ。空のグラスを弄ぶ顔は、どこか誇らしげだった。
「そうだよそうだよ、シキミちゃんはとっても凄い呪い士なんだよ。おっとユキちゃんも負けず劣らず素晴らしい呪い士だよ。何せユキちゃんの呪いはとっても快適な旅路を約束してくれるからね」
その雰囲気を台無しにする残念美人。というか、その発言は色々とアウトじゃねぇか。その発案で一儲けするとか言ってなかったか。
いや、結界石にきちんと魔力を供給する、という意味で捉えればさして問題は無い、かもしれない。言葉の取りようでどうとでも解釈できるか。
「……僕の結界も、効果は保証する」
しかしそこは負けじと、シキミさんが反応する。
なんだこの負けず嫌い微笑ましい。
気付かれないように口元を緩めていると、テーブルに大量の料理が運ばれてきた。
「ご注文、お待ちどうさまっ! ゆっくり食べていってね!」
看板娘なのだろう、威勢のいい声で料理を運んできた娘は、そのまま颯爽と踵を返して別のテーブルへと近づいていく。
そしてテーブルに載っている、俺達が来る前に注文していたであろう料理の山。
これ一度に運んできたよね。あの娘こそ腕のいい呪い士なんじゃね? 絶対に筋力強化使ってるって。
「大丈夫。余裕」
まぁ、確かに不可能ではないだろうが。残ったらどうするつもりだ。
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