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目を開けると、フィルの寝顔が目に入る。
一瞬で覚醒して後ろを向こうとするが、動けない。
動かそうにも動かせないレベルでしがみつかれている。
特に左腕。がっちりとホールドされている。
というか手の甲が非常にまずい場所に固定されている気がする。
細くありながら、それでいてむっちりと滑らかな感触を両側から感じるんだもの。
何とか引き抜こうとするが、その度に。
「ふぅ……っん」
なんて艶かしい声を挙げられたら、非常にイケナイことをしている気分になってしまう。
俺に幼女趣味は無いぞ。無いというのに、目の前には愛くるしい寝顔を無防備にさらしている娘がいる。
め、目覚めるわけがない! こんなことで目覚めるはずが!
目は充分すぎるほど覚めたけども!
「……動けんもんは仕方ない、か」
今日くらいは多少寝坊しても許されよう。そもそも今日はフィルの生活用品を整えなければならない。こちらが朝早く起きたとしても、彼女を無理に起こすのも忍びない。
左腕はホールドされているが、胴体はまだフリーだ。
髪の毛を巻き込まないように気をつけながら、そろりと仰向けになる。
正直まったく眠くはないが、ぼーっとするよりは先ほどの夢の内容を整理しておくべきか。
とはいえ、基本的にティトに聞けば良いじゃんって結論だった気がする。
聞こうと思って、何だかんだ聞けていないこと。
大雑把に言えば、世界情勢だな。
そして細かく考えれば、この国のこととか、帝国のこととか、他の国、あるいは大陸関係の話だ。特に、現在活動しているこの国のことに関しては、色々と知識を仕入れておかなければまずい。
この国で活動を開始して、それなりに時間が経っているため、今更他の人には聞けないし。
そんなことも知らないで、今までどうやって生きてきたんだっつー質問に、お約束の記憶喪失だの山奥で隠遁生活をしていただのは使えないからな。
まぁ、困ったらティトに聞けばいいやと延び延びになっていたのが原因なんだが。要するに俺の怠慢が原因な訳だ。全くもって救いようがねぇ。
そのティトもまだ枕元で寝息を立てている。
動くに動けず、一度無音を意識してしまうと、妙に音に敏感になってしまう。
多少の身動ぎによる衣擦れの音。
細く長く、一定のリズムで刻まれる呼吸音。
時折軋む床の音。
外から聞こえる鳥の鳴き声。
妙に大きく聞こえる自身の心音。
気にせずにいようと思えば思うほど大きく頭に響く雑音。
深く息を吐き出し、強制的に意識の外に追いやる。
すると今度は触覚が表に出てくる。
フィルがホールドを強くしやがりましたよ? え、何この子実は結構甘えん坊? 俺は抱き枕じゃないんですが。
左腕の幸せな感触がさらに強まったわけですが、俺、どうすればいい?
てか、実はこの子、結構胸大きくない? いや一般的には小さいんだろうけど、俺よりあるような。
いや、別に俺は無で構わないんだ。むしろ絶壁の方が普通なんだ。
何で俺より大きいことに一瞬でも敗北感を感じた、おかしいだろうが。
ダメだ、このままじゃ色々とダメな気がする。
ここは心を鬼にして、フィルを起こすつもりで無理矢理にでも腕を引っこ抜こう。
第一、本気を出せば簡単に振りほどけるはずなんだ。
長時間しがみつかれていたためか、若干腕が痺れているが問題ない。
腹筋の力だけで体を起こし、ずりずりと持ち上げるようにフィルから腕を抜く。
わりと体が垂直に起き上がってるのに、まだ寝てるよこの子。
ともあれ、寝たままなのであれば問題ない。そのまま体を支えてやり、そっとベッドに寝かせる。
一応、腕が離れた瞬間に多少ぐずるように呻いていたが、横にしてやると再び穏やかな寝息を立てる。
「……なんでこんなに疲れてるんだ俺……」
足をベッドから投げ出し、はふぅーと長い溜息をつく。無駄に疲れた気がする。まだ起きたばっかりだぜ?
窓の外を見ると薄らと光が差してきた。いつもより多少遅いが、世間的にはまだまだ早い時間だ。
恐らくもう少しすればフローラが洗濯をする時間だろう。
丁度いい。桶も返さなきゃいけないし、俺も頭を洗いたい。
部屋の隅に放置していた桶を手に取り、部屋を出る。
キィと軽い音をさせたドアに、思わずフィルが起きないか心配したが、この程度の音で起きるほど眠りが浅いのならば、先の時点で起きているだろう。
気を取り直して階下に赴く。
「おう、今起きたのか?」
「あぁ、おはよう親父さん」
階段の下では、親父さんが掃除道具を運んでいた。
どうやら店の入り口をざっと拭くようだ。まぁ、外からやってくる荒くれが多いわけだから、入り口の掃除は重要だよな。
砂埃が多けりゃ見た目にも悪いし、清潔感は宿屋兼酒場には重要だろう。
でも何故だろう。親父さんが掃除している風景に、なぜかエプロンをつけているイメージ図が浮かんでしまう。それも可愛らしい感じの。そんなわけないのにな。
「今日は少し遅いな。どうかしたのか?」
「偶にはいいだろ。別に急ぎの用事なんてないんだし」
「嬢ちゃんがそれで良いなら特に言わんが。依頼は早い者勝ちだからな」
「分かってるよ。でも今日は請ける気もないし。生活用品を買いに、街を巡るだけだから」
「そうか」
俺の言葉を聴いた親父さんが、何やら考えだす。
「よければ、俺の贔屓の店でも紹介してやろうか?」
「お、そいつは助かる。女物の服と下着と、日用雑貨。安くて質の良いものが揃う店を教えてくれよ」
「……そうだな。その注文通りなら、丁度良い感じの店は、北の商業区まで行かなきゃならん。服は鋏と毛玉の看板が目印の店だ。日用雑貨はどこもそう変わらん」
なるほど。ルート的には少々遠出することになるのか。服を買って、その周辺で適当に雑貨を買う、と。
「分かった。昼前に行ってくるよ」
軽く手を挙げて応え、そしてふと気になったことを尋ねる。
「贔屓の店、なんだよな?」
「ああ」
「親父さんが、女物の服の店を贔屓にしてるのか?」
脳内に、筋骨隆々の親父さんが、フリフリのドレスを着ている様子が浮かんでくる。我ながら恐ろしい発想だ。先のエプロン姿が真実に思えてきた。
だが俺の問いに、親父さんは冷静に切り返してくる。
「女房や娘に、だ。妙な勘違いをするんじゃない」
「ですよね! よかったー!」
そうだよね、旦那さんだもんね。奥さんにちょっと良い服をプレゼントしたりするよね。娘さんもいるし、彼女が小さい時の服を買うとなれば付き添いも必要だよね。
まったく、と溜息をつく親父さんに、愛想笑いを返しながら、桶を返す。どうやら裏口の扉横に置いておけば良いらしい。
裏口から店の外に出る。
少し路地を進めば井戸がある。いつもなら起きたタイミングで頭を洗いにいくわけだが。
この近辺地域で共同で使う井戸は、時間が時間ならば洗濯を行う者達でごった返すことになる。
いつもよりも遅い時間帯になっているし、どうなっているか見に行ってみる。
と、道中から既に幾人か見かける。恐らくは一日の生活用水を用立てに来たのだろう。
大体が少年少女であり、家事手伝いの一つになっているのかもしれない。
水を汲むのは小さい子の朝の仕事。少々ハードすぎる気もするが、よく考えればこの宿のフローラだって、湯を運んだり何だったりはしていた。
水運び等の肉体労働は小さい子、というか一家の中でも年若い者の仕事という役割分担になっているのだろう。あるいはこの年代から鍛えていくことを要求される世界なのか。
どちらにせよ、この衆人環視の中、いつものように豪快に頭を洗う気は起きない。
まぁ、夏場だし、ローブが多少濡れることを覚悟の上でひっかぶるという手もあるにはあるか。
それならいっそ森の湖まで行って水浴びでもすれば良いんじゃないか。身体強化すれば一時間もあれば到着するし。
いや、水浴びに往復二時間はさすがに無いな。
そうなると、どこかに風呂的なものを作りたくなってくる。
魔法で水も火も出せるし、むしろいっそのこと湯だって出せるだろう。
適度に素材があれば魔法で無理矢理にでも成形はできるし、そこに湯を張れば即席の風呂が完成だ。
ふむ。これは、ちょっと面白そうだぞ。
たしかハードノッカーの鉄くずのような武器が結構な量あったよな。ドラム缶くらいなら成形できそうだ。そこに湯を張れば五右衛門風呂くらいは……。
待った、部屋の中だと水浸しになる。場所の確保が最優先だな。となると、やはり王道、自分の拠点を用意するか? 幸い金ならある。
でも自炊面倒だよな。一々『山猫酒場』まで戻ってきて食べるのも、立地にもよるが億劫だし。
「……保留!」
考えても仕方ないことだ。それに現状、フィルも居る。生活環境がそうコロコロと変わるのも負担が掛かるだろう。
一つ大きく頷いて、井戸に向かう。
とりあえずもう頭から水を引っかぶることに決めた。うだうだ考えてたら頭が熱くなってきた。
この長い髪も結構な付き合いになっているが、熱がこもることだけはいまだに慣れない。冬場とかはありがたくなるのだろうか。
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