表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100/151

22

 食事が終わると後は寝るだけだ。現代日本ではむしろここからが活動の始まりであったが、異世界生活のなんと健康的なことか。娯楽が少ないだけとも言うのだが。

 そう、つまり夜はまだ更けていない。

 外からは酔っ払いどもの喧騒が聞こえてくるし、階下からも賑やかな声が響いてくるが、こういうのがこの世界での娯楽に相当するのだろう。

 そういったものに興味を持てない現状、本当に寝るしかすることがないのだが。

 寝込みを襲撃される可能性を考慮し、レーダーは全力で展開しているが、こうも人が多いと何がどうなっているのかよく分からない。

 敵というか、害意を持っている相手を識別できる機能を求める。


「そういや、そろそろ湯を持ってきてくれる時間だな」


 今日もフローラには湯を持ってきてくれるように頼んでいる。二人分なので小銅貨四枚。魔法で出しても良さそうだが、湯を頼まない客イコール体を拭かない客などと思われては癪だ。不衛生だと追い出されるかもしれない。考えすぎかもしれないけどさ。

 しかしどうしたものか。

 今までは俺一人だったから、この場で普通に脱いで体を拭っていたが、今日からはフィルが居る。

 まぁ、ティトに見られてたじゃんってことを考えると、俺が脱ぐのは百歩譲って良しとしても。

 フィルは、どうするんだ。


「ユキ様。今更ですか?」

「ちょ、今更とか言うなって。今気づいたんだよ」


 ティトが呆れ顔で言う。

 ぽやんとした表情でベッドに座っているフィルを尻目に、俺の中で緊急会議を開く。

 何が不味いって、俺は自分が本当は男だと明かしていないことだ。

 下手をすれば、女同士だから気にすることは無いと、フィルがそのままこの部屋で服を脱ぎだすかもしれない。

 フィルが体を拭う間だけ部屋の外に出ているか? それが一番妥当な案、だよな。

 俺のことを全て説明するのは、時期尚早だろう。いずれ話すことになるだろうけど、今は流石に明かす必要性を感じない。

 よし、先にフィルに体を拭ってもらうことにして、俺はその間部屋の外で待機していよう、そうしよう。

 脳内会議を終了したところで、ノックの音が響く。


「お湯をお持ちしました」

「おう、今開けるよ」


 そしてフローラを部屋に招き入れ、重そうに提げている桶を持つ。


「ありがとな。使い終わったら、また下に運んでおくよ」

「いえ、私が持って降りますよ」

「いいからいいから、な? 持って上がるのは仕事かもしれないけど、持って降りるのはこっちの勝手なんだからさ。いつまでかかるか分からないし」

「それくらい待ちますよ? 今日のところは、もうお仕事も終わりますし」

「変な時間になったら、頼むのも悪いしさ」

「はぁ……。あ、そっか。そういうことですね、分かりました。ぜひお願いします」


 急に物分りがよくなった。何が起きた。

 何を意味深な笑みを浮かべているのか。

 口元に手をあてて、くすりと笑いながらフローラが部屋を出る。

 その背中を、眉を顰めながら見送る。一体何だというのだ。

 気を取り直して、部屋の中央に桶を置く。さて、ここからが本番だ。


「フィル。湯が来たから、えーと、このタオルで体を拭いておきな。俺はちょっと外に出てるから、終わったら声でも掛けてくれ」


 影からタオルを取り出して放り投げる。

 どこから出したのか気にしているようだが、説明は後にしよう。


「どうして、外に?」


 戸惑うフィル。何と答えたものか。何だって良いか。


「そこは色々と事情があるんで気にするな」

「分かり、ました」


 素直に従ってくれて何よりだ。

 俺はドアの外に出る。

 しかしあれだな。

 この宿は防音性能が低いな。

 ドア越しに衣擦れの音が聞こえてきてしまう。

 彼女の肌を包んでいる柔らかな布が、しゅるりと床に落ちていく。

 軽やかに床と布が衝突する音も、タオルを湯に浸ける音も、それを絞る音も丸聞こえだ。

 繊維質のタオルがフィルの柔肌をこすっていく音さえ聞こえてしまう。

 くそ、俺の妄想よ静まれ。

 彼女の体を思い浮かべるな。

 なまじ音が響く分、想像が掻き立てられてしまう。

 成長を予感させる未成熟な彼女の体が、水滴を浮かべながら月光に照らされる。

 穏やかに滑る布地は柔らかな肌を撫ぜ、漏れ出る吐息には官能の色が混じる。

 全身を隈なく拭い、穢れという穢れを落としきった体に、清潔な布を纏う。

 その姿が、明確に脳裏に浮かんでしまう。

 思い浮かべるなと思えば思うほど、目の前の暗闇に彼女の体が鮮明に映し出される。


「あの、お師匠様」

「うひぃあはい!?」

「ふえ!?」


 いかん、妄想しているところに声を掛けられたからか、変な声が出てしまった。


「あ、あぁ済まない。もう良いのか?」

「はい、禊、終わりました。どうぞ」


 禊とはまた面白い言葉を使う。翻訳は意思疎通の呪い頼みだが、一番近い意味の言葉に変換されるのだから、大差は無いのだろう。

 ガチャリと、ノブを回して部屋に入る。

 そこには、一糸纏わぬ姿のフィルが……。


「居るわけありませんよね」

「……?」


 別に期待もしていなかったが、当たり前のようにフィルは先ほど貰ったばかりであろう服、ブラウスタイプの上着を着ていた。どうやらあのワンピースだけではなく、寝巻き用にと渡されていたのだろう。

 でもね、それ多分下に穿くものもあると思うんだよ!

 それなりに丈の長い服なので、単体で着ればパジャマとして使えると思ったのだろうが。

 うん、使えるかもしれないけれど、少々目のやり場に困る。

 白い太ももが強調されてしまっているのだ。

 股下を少し覆い隠すだけで、座れば中が見えてしまうのではないかと危惧される。


「さて、それじゃ俺も体拭くか……」


 フィルに背中を向け、ゆっくりと服を脱ぐ。

 コートの留め具を外し、ぱさりと床に落とす。

 長い蒼髪がランプの光に照らされる。

 後ろで息を呑む声が聞こえた。


「ああ、言ってなかったっけか。見せてなかったしな」


 振り返り、俺は金色の瞳で、まっすぐフィルを見つめる。

 蒼い髪と金色の瞳、そして白磁のような肌。

 伝承にある魔王そのものの姿で。

 そういえば一度も彼女の前でフードを外していなかった。


「怖いか?」

「……っ」


 フィルは微かに首を横に振る。

 ま、ここで素直に恐ろしいなんて言えないわな。一応エウリア達は、フィルも見た目でどうのこうの判断することは無いと言っていたが。


「見た目だけ、なんだけどな」


 俺に魔獣を従える力なんてないし、むしろ気を抜けば殺される。

 魔法を使えばある程度のことはできるが、何でもできるわけではない。

 魔術でも呪いでもない、もっとおぞましい何かが使えるとは言っても、できないことの方が多い。

 俺は魔王と恐れられるほどの存在にはなれないのだ。どう足掻いても。

 好き好んで恐れられたいと思うほど酔狂では無いし、この世界に絶望してもいないけど。


「お師匠、様……」


 俺の独白に、掠れる声で応えるフィル。

 呼ばれて反応すると、フィルが突然抱きついてきた。


「ちょ、何!?」

「お師匠様は、お師匠様」


 混乱する俺に、フィルはさらに言葉を重ねる。


「助けてくれた。優しい人。わかってます」

「……ありがとよ」


 こういうのも人の縁っていうのかな。見た目で判断しない人達。貴重な関係だ。

 この街の冒険者達も、ある程度は俺の見た目を知っている。その上で、特段絡まれるようなこともない。

 広い街だし偶然かもしれないが、以前の魔獣騒ぎのことを考えれば、一応安心していいだろう。


「明日からまた、頑張ろうな。呪いの修行は多分きついだろうし」

「……はい、よろしく、お願いします」


 そこで言葉が途切れる。

 だが、腰に回された腕はそのままだ。

 困った。


「フィル。体、拭きたいんだけど。いい加減放してくれないか?」

「あ、ふぁ!?」


 慌ててバネ仕掛けのように俺から距離を取るフィル。

 やれやれだ。

 俺は再び後ろを向き、体を拭くために衣服を脱いでいく。

 後ろで何やら陶然とした息遣いが聞こえてくるが、努めて無視する。

 くそう、俺だって色々と気にしないようにしたいのに。

 見られていると思うと、どうしても色々と意識してしまうじゃないか!

 極力意識の外に追いやりながら、全速力で体を拭い、ローブを身に纏う。

 もうこれで寝る。何も気にしないことにする。全部忘れてしまう。

 桶は明日の朝にでも戻しておけば良いだろう。

 俺はそのまま倒れこむようにベッドに潜り、意識を落とす。

 ああ、そういえば髪を洗ったりするのって、フィルの分はどうしよう、なんて。

 取りとめのないことを寝る寸前に思いながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ