プロローグ
寝て起きたら異世界だった。
道を歩いていたら急に光に包まれて気がついたら異世界にいた。
またはネットゲームをプレイしていたら唐突に異世界に転移した。
あるいは事故に巻き込まれて死んでしまい転生先が異世界であった。
もしくは怪しげな本やら魔法陣やらに吸い込まれたら異世界に行った。
他には夢の中で神様に出会ったら唐突に異世界を救ってくれと頼まれた。
そんな妄想をしたことはないだろうか。
俺はある。
何度もある。
寝る前とかに。
風呂の間とかも。
しかも恥ずかしいことに、異世界での俺は無敵で無双の完璧超人であるという設定で。
現実でできないことから逃避するために、自分を慰めるために。
妄想の中での俺は何でもできた。
剣術はもちろん世界一の腕前で、ありとあらゆる魔法を自在に操り、サバイバルだってお手の物。
ダンジョンに行けばありとあらゆる罠を看破し、魔物の接近にいち早く気付き、仲間を護るために的確に指示を飛ばす。
しかしそれでいながら能力に驕ることはせず、他人に気を使うことも忘れない。
仲間は大勢いた。
頼れる盾使いの兄貴分。
俺の魔法に嫉妬しつつも実力を認める魔法使い。
ほんわかとした笑顔で、仲間を傷だけでなく心まで癒す治療師。
罠看破だとか宝箱の鍵開けだとか、何かと俺と張り合う盗賊。
旅の途中で何度も共に戦線を組んだ騎士。
町から町へのあてどのない旅路において、一期一会の友人達。
大冒険をした。
洞窟に潜むオークの軍団を殲滅した。
街道を根城にしていた盗賊を退治した。
大森林に迫る危機をエルフと共に救った。
町に潜り込んだ魔物達を秘密裏に討伐した。
湖の精の願いを聞き各地でアイテムを集めた。
秘境に住むドラゴンに挑み互いの実力を認めた。
よくもまあそんな設定が毎日毎日次から次へとぽんぽん出るわ、と自分の脳みその出来を褒めてやりたい。
時には夢の中でまで大冒険を繰り広げ、目が覚めたときには興奮冷めやらず、続きが見たいと二度寝して、学校に遅刻したこともある。
いっそこの夢を元にファンタジー小説でも書けばいいのではないかと思えるほどに、俺の妄想は留まるところを知らなかった。
だが悲しいかな。
俺に文才はなかった。
あの興奮を。
あの慟哭を。
あの憤激を。
あの慈愛を。
言葉にするとなると、どうしても陳腐な表現にしかできず、十全に文字に起こすことはできなかった。
かといって絵心はもっと無い。
一度、俺の最愛の人物であり、恋仲でもあったエルフの魔法使いをイラストにしてみたことがある。
結果。
ぐしゃぐしゃになった自由帳の一ページには、一匹のクリーチャーが誕生していた。
なにこれゴブリン?
妄想の俺ならデッサンも美術スキルも天才的だというのに。
というかその娘を題材にカンバスを彩る休日を送ったこともあるというのに。
そのときの彼女の反応は、頬を染めて軽く目を逸らしながら、ばか、と呟くというもう俺の心に直撃ストレートの行動だったのに。
しばらくその娘とは気まずくて会話できなかったんだぞ。
なんかよそよそしくないか、なんて追求されたし。
どんだけ高性能で俺を追い詰めるんだよ俺の脳みそ。
だけれども。
それがただの妄想でしかない、なんて。
何の進歩もせず、立ち止まっているだけなんて。
そんなことはとっくの昔に理解している。
それでも止められない。
たとえ俺の妄想だったとしても。
俺の中に、一つの世界が出来上がっているんだから。
俺が妄想を止めてしまえば、その世界は永遠に無くなってしまう。
俺の仲間も。友人も。擦れ違った商人も。威勢の良い売り声を上げるおばちゃんも。
あの世界に住む多種多様の生命が、観測されなくなってしまうのだ。
所詮は俺の頭の中だけだったとしても。
いや、俺の頭の中だけだからこそ。
俺はこの世界を守りたいんだ。
格好良いことを言っても、結局のところ、「妄想 楽しい です」で終わってしまうわけだが。
良いじゃないか、妄想でくらい好き勝手させてくれてもさ。
さて、それじゃあ今日もそろそろ、日課の妄想をしながら眠るとしましょうか。
願わくば、夢の中でも妄想の続きが楽しめますように、ってな。
眠りに落ちる直前の浮遊感。脳裏に白い世界が広がり、意識が暗転する。
今日は一体、どんな内容になるのやら。
――目が覚めると草原に寝転んでいた。
風が吹いてきて、緑の爽やかな香りが鼻腔を擽る。それと同時に、目にかかるくらいの青い髪が緩やかに揺れる。
辺りを見回すと、やれやれといった感じで首を竦める戦士と、柔らかな笑顔でこちらを見る治療師。
そして、
「いつまで寝てんだよ、スカポンタン!!」
怒気をはらみ、こちらに殴りかかってくるエルフの魔法使いがいた。
「はは、悪い悪い。どうにも疲れが溜まっていたみたいだ」
ぽかぽかと胸板を叩く魔法使いの頭に手を乗せ、大きく伸びをする。
太陽の位置を確認すると若干傾きが深くなっており、そろそろ町に戻らなくては野宿という羽目になってしまう。
宿を取れるのに取らない。
どこの酔狂であったとしても、そのような愚行はしないのがこの世界の常識だ。
夜は魔物が跋扈する。
魔物は火を恐れない。
ゆえに寝ずの番を立てて辺りを警戒する必要がある。
火を熾せば敵に自らの位置を教えているのと同義なのだ。
折角ゆっくりと体を休められる施設が近くにあるというのに、どうして外で寝なければならないのか。
金が無かったとしても、やはり野宿はしないほうがいい。
そんなものは遠出するときだけで十分だ。
「よし、それじゃあ町へ戻ろうか」
そう言って、俺達は移動を開始する。
ここでほんの少しの違和感。
この場面は何だと、冷めた目で見ている自分がいる。
そしてこれが夢だと自覚する。今日はそういう趣向か。
自覚したところで何もできないのは経験済みだ。
明晰夢とやらにはならない。もどかしいが、これが俺の脳みその限界か何かだろう。
そうなると、後は映画でも見ているような状態になる。耳に届く声はスピーカーを通したかのように現実感を失い、ただ聞こえてくる音となる。
『俺』は俺の意思とは違う言葉をすらすらと喋り、仲間達は俺の想像を超えたリアルな反応を返す。
『俺』は歩いているが、その行動を俺が操作することは出来ず、ただ『俺』の行動を見ているしかない。
幸いなことに『俺』は俺の想定外の行動は取らず、俺自身が取りたくない行動も取らない。
よって夢だと自覚はしているが、ゆったりとその光景を楽しむことが出来る。
何事も無く移動を続けているうちに町が見えてくる。
湖を手前に、国を東西に結ぶ街道の中心地、多くの旅人や商人が集う町。
俺達の拠点が見えてきた。
やっとまともな飯にありつけるな、と戦士が呟く。その顔は何かから解放されたかのように晴れやかだ。
油断するんじゃない、と魔法使い。
俺はそのやり取りを微笑ましく感じながら移動を続ける。
「ちょっと待て。何かの気配がする」
『俺』は周囲を警戒する。魔物の気配はしないが、得体の知れない魔力を感じる。
盗賊は武器を構え、背後を警戒する。
戦士も盾を構え、治療師と魔法使いの前に立つ。
治療師は杖を構え、魔法使いは魔法の発動体となる宝石を握り、油断なく辺りを見据える。
『俺』は魔法使いを庇うように円陣を組み、魔力の発生源を探る。
それは意外と近くから声を発した。
「―――私の声が聞こえますか」
声はすれども姿は見えず。
どこかと探していると、魔法使いが声を上げる。
そちらを見てみると、小さな羽の生えた少女が中空に浮かんでいた。
「……妖精?」
『俺』は自信なさげに問いかける。
俺も少々驚きだ。自分の妄想の中に、こういった妖精が出てくる話は無かった。
しかしそうだよな、エルフとかドワーフとかがいるもんな。妖精くらい居たって不思議じゃあない。
むしろ今まで登場させなかったことが不思議だよ。
俺は新たな登場人物に胸を躍らせる。
夢は俺の想像以上のことを突然やってくれる。これだから妄想は止められない。
一体どんな冒険へと連れて行ってくれるのだろうか。
今から楽しみで仕方がない。
「やっと、見つけました」
妖精が言う。
やっと、とはどういうことだろうか。
そんなにも長い時間、探していたとでも言うのだろうか。
「私達の世界を救ってください」
目の前の妖精はそう言った。
「二度と、この世界に戻ってこれないかもしれません。それでも、貴方の力が必要なのです」
なるほど。さすが俺の夢。何でもありだな。
てか、ここまでできるなら明晰夢とかやれてもいいだろうに。
残念ながら映画でも見ているかのように、俺の体に自由は無く、目の前の光景を眺めることしかできない。
しかし世界の滅亡なんて俺は望んでないし、そんな大げさな敵を出す予定も無かった。たとえそれが別の世界だったとしても。
なのにそういう方向に話が進んでいるってことは、やはり俺の睡眠時の脳みそがオーバードライブしているに違いない。
まぁ面白そうだから明日以降のネタにさせてもらうとしよう。
「ああ、いいよ。どんな敵が現れたとしても、俺達を止めることなんでできやしない」
『俺』の言葉に、仲間達は皆揃って頷く。
頼もしい限りだぜ。
「……ありがとうございます」
即答されるとは思っていなかったのか、大きな瞳を丸くして礼を言う妖精。
何だっていうのさ。
「いえ、こんなにもあっさり決めていただけるとは思いませんでした」
お人よしだからな、と笑う戦士。
さすがですよー、と微笑む治療師。
危険度も分からないのにバッカじゃないの、と呆れ顔で俺を見つめる魔法使い。
報酬さえ貰えるなら何だっていいじゃん、と目を輝かせる盗賊。お前自重しろよ。
「俺達だって随分と戦ってきたんだ。そろそろ世界滅亡クラスの難事件を解決しても良い頃だしな」
それに、結局は今回だって世界を破滅させるような大物と戦えば良いだけだろう?
そんなのは俺達にとってたいした問題じゃあない。
今までだって死ぬような目には遭ってきたが、俺はそれら全てを乗り越えてきた。
今回も同様に乗り越えれば良い。
そうだ、何も問題は無いんだ。
「……そうですか。では、ご案内させていただきます」
ああ、どんと来い。