LINE~つながりの落とし穴~
それは、単純な既読スルーだった。それもただ一度の。
『既読なのに返事なしとかひどい』
たかが、その程度のことと思いつつ、あたしはごめんねと返した。それは既読スルーになり、やがてあたしへの侮辱的な言葉がつぎつぎと流れて言った。
『非常識』
『ばかじゃないの?』
『ひどいよね、既読スルーとか最低』
そんな言葉から始まって、言葉がエスカレートしていく。
『死ねばいいのに』
『いいねぇ、それ!!消えろバカ』
『生まれてごめんなさいって感じぃ?』
そして、現実でも学校へ行けば、無視された。ひそひそと悪口を言われる。
(ただいちど既読スルーになってしまっただけで……)
あたしは誰にも相談できなかった。頭ではLINEを切ってしまえばいいとわかっているのに。怖くてできない。そして、限界だった。
知らない街の廃墟。建てかけてやめてしまったのか、解体中なのかわからない。一人で何も考えずに、階段を上っていく。日は傾き、たそがれ時。誰にも咎められることなく入り込めた場所。寂しくて苦しくて、なのに涙はでなかった。
(ここで終わりにしよう)
足が痛むまで登って、窓も壁もない、鉄筋がコンクリートに生えているような場所にたどり着く。ゆっくりと足は前に進む。瞳はただ暮れゆく寂しい街を飛び越して、遠くかすむ山を見ていた。
「それ以上はあぶないよ」
不意に呼び止められて振り返ると、いつからいたのだろうか、男が一人煙草を吸いながら資材らしきものにすわっていた。
「何があったかしらないけど、飛び降りは迷惑だからやめてね。あ、俺ね。特殊清掃員っていう仕事してるの。簡単にいうと死人の後片付けね」
男は勝手にしゃべっていた。あたしは身動きができないまま、ただ、話を聞くしかできない。自殺はこの男によって台無しになったのだ。
男は不意に立ち上がり、あたしの隣に立つ。そして、遠くを見たまま、しゃべり続ける。
「俺ね、ガラケイ世代だから、スマホってつかえねぇのよ。街中で平然と歩き煙草するような連中とおなじくらい邪魔くさいし、正直迷惑。なんで、そこまで熱中できるのかわかんねぇの。あんた高校生だよね。LINEとか使うの?」
「使うけど……」
「けど?」
「一回既読スルーしたら、死ねっていわれて」
男は吹き出す。こっちは真剣に答えたのに。だから、大人は嫌いだ。
「あんたさぁ、それだけで死ぬの?相手の希望どおりにさ」
「だって……学校でも無視されるし……」
他にもいろんな嫌がらせをされた。笑いながら、いたぶるように。
「ねぇ、一人になるの、怖いの?」
「怖いよ。ぼっちなんて嫌だもん」
「死ぬ方がましってか」
男はくつくつと笑った。
「よく考えてみな。一人になれるって気楽でいいぜ?誰の干渉もうけない。自分の好きなことに時間がさける。いいことづくめだぞ。それより、死んだ方がましだと思う?」
男はようやく、こちらを向いて笑った。それは同級生たちのいやらしい笑い顔とは違う。大人の困ったような笑い顔とも違った。
「それは……」
そうかもしれない。それでも、怖い。一人は怖い。
「まあ、死にたいなら止めないよ。俺には関係ないしな。ただ、今日はやめといてくれる?俺、一応大人だからさ。なんで止めなかったって責められるの迷惑だし。たまたま、この夕焼けみたくていただけだし」
そういって指さす。山の頂に沈んでいくオレンジ色のような赤いような太陽。
「綺麗だろ?」
男はあたしから視線をはずして、夕日をみながらそういった。確かにそれはとてもきれいだった。上空からぶらさっがた深く暗い青の帳。それが太陽に近くなるほど薄くなり、やさしいオレンジに変わる。明確な境界線はなくて、ゆるやかなグラデーション。
「わかった。今日はやめる……」
あたしは自分でも不思議なくらい落ち着いた声で男に答えた。
男はこちらをみて、そりゃありがたいと満面の笑みを浮かべ、去って行った。
あたしは、日が完全に沈むまで眺めていた。不思議と心は穏やかになった。
その後、あたしはLINEをやめた。スマホからガラケーにかえた。学校で何をされても、反応しないようになった。友達はいなくなったけれど、寂しさや恐怖は薄らいでいくのを感じた。そして、高校を卒業するまで『ぼっち』でいた。そうすることで、同級生たちの幼稚さが、バカさ加減がよくわかるようになった。そして大人からみれば、自分もその中の一人だったのだと、そのバカさ加減に呆れた。
(なんてつまらない人間とつながってたんだろう)
一人でできることは、たくさんあった。本が読める。読めば知識や新しい発見がたくさんあった。音楽も誰かにすすめられるままに聞かなきゃいけなかったプレッシャーはどこにもなくて、気に入ったものをダウンロードしてiPodに詰め込んでいく。
それから、夕日をよく眺めるようになった。あの場所にはあれから行っていないけれど。
同じ夕日のはずなのに、いつも見え方が違って季節によっては夕日の沈んだ空が、妖艶な紫色にそまることもあった。気が付けば、あたしは小さなデジカメでいろんな風景も撮るようになっていた。独りでできることが、こんなに楽しいことだと分かった時、高校の卒業を迎えた。あたしはその日の夕方、あの廃墟に行った。
あの男には会えなかったけれど、そこから見た夕日は今までで一番きれいだった。